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288.人生って、心から幸せだと思えることなんだね!

中国人の叔父の洗脳

coucouさんの祖父母は山形県連枝で生まれ育ち、樺太開拓団として小沼市(現在はハバロスク(樺太庁))に在住した。

大正8年12月10日、coucouさん父はこの小沼市で生まれ開拓団の子として育つ(昭和2年祖父急逝)。
その後、昭和16年に樺太から満州開拓団として移民し、同年、太平洋戦争勃発、coucouさんの父は八戸陸軍航空隊入隊。19年に弥栄村(現在中国の黒龍省)祖母急逝。

昭和20年8月15日に終戦を迎えた。

チューリップ©NPО japan copyright association Hiroaki

※「チューリップの花言葉」赤色のチューリップの花言葉は「愛の告白」「真実の愛」。 ピンク色のチューリップの花言葉は「愛の芽生え」「誠実な愛」。 黄色のチューリップの花言葉は「望みのない恋」「名声」。 白色のチューリップの花言葉は「失われた愛」。


coucouさんの父は山形、樺太、満州という三つの祖国を往来した。

祖父のお墓は現在も樺太庁小沼町にあり、祖母は満州の土の中にそのまま残されている(場所は不明)。
そして、腹違いだが父には弟がおり、満州で生き別れとなっていた。

昭和50年になって初めて35年ぶりの弟と再会を果たす。
父は奇跡的な運命に感謝しつつ、弟を日本人として引き取るための手続きに奔走した。

しかし、中国人にとっての日本は敵国であり、ましてや弟は家族に捨てられたという恨みと憎悪の塊で、何を話しても、何を説明しても不信と疑いで何も信じようとはしなかった。
むしろ、日本に来た本当の理由は、現在の日本国内の調査、偵察が目的であり渡航資金などは中国共産党から捻出されていた。

兄弟が35年ぶりにであったことで、父はそのことに気にもせず杯を交わした。しかし、弟からの言葉は辛辣なことばかりで、中国の素晴らしさ、技術の高度化、共産主義こそが正しい国のあり方である、という考え方を徹底として洗脳されていた。
同時に、戦前の日本の残虐さ、非道さ、人種差別等などはまさに教科書通りの発言を繰り返し、恨みと憎しみの再会いだった。

父や、山形の親族たちも説得にあたったが、むしろ、日本という国、日本人に対する物凄い偏見を持ち、誰に対しても心を開かずにそのまま帰国してしまった…。

チューリップ©NPО japan copyright association Hiroaki
「思いやり」という花言葉を持つチューリップ。


それでも父や親族は、日本人である弟を日本に戻すための努力をし続け、さらに数年の年月をかけて中国人の妻と弟の子どもたち5人を日本に呼び寄せる事に成功した。
彼らは、戦争孤児として国からも手厚く保護を受け、生活の心配はなく家族全員が帰化することができた。

しかし、弟は日本にはあまりなじまなく、むしろ捨てられた憎しみを残したまま、日本人として生きる事になる。

確かに、人生を50年近く中国で育ち、日本人との接触もなく、むしろ日本人ということを隠し通しながら生き続け、中国人として学び、生きて来たのだからそう簡単には考え方を変えることなどできない。

父は、諦めた…。

洗脳されているならば、自分自身が学んで心から納得しなければ何も肯定できないことを知った。
それでも彼を日本語学校に入学させ、子どもたちを日本人に帰化させ、保護を受けられるようにして、生活面や仕事面なども援助し続けた。
それから10数年過ぎても彼の憎しみと洗脳は取れなかった。

祖母は、この世を去る時に、幼い子どもをこのまま死なせるのならば、中国人にあげた方がまだ生きれることができると判断し、中国に残した。

当時はこのような中国残留孤児はたくさん存在していた。
中国人にしてみればただで労働力が手に入り、ましてや丈夫な男の子であれば大歓迎であり、徹底として中国人として育てあげた。

日本に脱出できた者と、残された者。離ればなれとなった親や兄弟、子どもたち。現在も中国人として生きている日本人たち、そしてその子どもたち。そのような環境の中で、彼らの洗脳教育に対して、どれだけ解放できるのか、誰にもわからない。

一昨年、その弟が急逝し、coucouさんは親族の代表として葬儀場に出向いた。葬儀には中国の音楽が流され、参列者は中国人と帰化した者たちが中心で行われ、名前は、父の姓ではなく、別名のまま行われた…

coucouさんの父は、最後は同じ姓にしたかった、と生前言い続けていたことを思い出した。
人の恨みも憎しみも、とても深い思い込みがそこには存在しており、その思い込みは永遠に人の思いや優しさ、愛情などを理解できずに生涯を終える。

これも自らが選び、選択した人生なのでしょうか?

本当のこと、真実、実体を知らぬこと、何も理解できず、見えぬまま、それも良い事なのでしょうか?

coucouさんは、とても悲しいことだと感じてしまう…。


coucouさんの父はいつも自慢気に「俺は樺太生まれの樺太育ち、樺太人だ」とよく言っていた。
ならばcoucouさんも樺太人なのでしようかね。

あえて、ソ連はあの時代とまるで変わらない…。

coucouさんのご先祖さんや開拓団の土地や建物、すべて奪われ、現在も祖父のお墓は残っており、日本に移動できないまま放置されている。祖母は満州の地に残されたまま。
戦後が終わっても何も変わっていない現代社会。

思い込み、洗脳って、悲しいと思う…。

チューリップ©NPО japan copyright association Hiroaki


人生を幸せに生きる方法、
それは、心から幸せだ、
と思える生き方にあるのかもしれませんね。

coucouさんです。
みなさん、ごきげんよう!
暗いお話でごめんなさい…。

少し、明るいお話で締めくくりますので、おつきあいしてくださいね。


ここにきて、チューリップの花が目立ち始めましたね。
近所の玄関、庭先、お花屋さん。
可愛らしく、美しく、素敵な香りと様々な色があることがわかります。

子どもの頃、チューリップはおいしい食べ物だと信じていたcoucouさん。
でもね、そんなチューリップには深い、深い意味もあったので、真剣に調べて見た!

チューリップにはこんな物語と花言葉があったので紹介しますね。


その昔、オランダの小さな村にとても美しい少女が暮らしていました。
ある日、三人の騎士がその少女に恋をしてしまいます。

三人の騎士は美しい少女の心を射止めようと、それぞれが家宝として大切にしてきた王冠と剣と黄金を少女に贈り、プロポーズをしました。

しかし、少女は三人の騎士の気持ちを思いやり、三人の中から一人だけを選ぶということができませんでした。

そこで、悩んだ少女は花の女神であるフローラにとあるお願いをします。
その願いとは、「自分を花の姿に変えてほしい」というものでした。

少女の願いを聞き入れたフローラは、美しい少女をチューリップの花に変えてしまいました。三人の騎士がくれた王冠はチューリップの花を、剣は葉を、そして黄金は球根を表していると言われています。

そして、「思いやり」という花言葉を持つチューリップとなりました。

「紫のチューリップ」の花言葉は、「不滅の愛」


「黄色いチューリップ」の花言葉は、「正直」

「白いチューリップ」の花言葉は、「新しい愛」

「赤いチューリップ」の花言葉は、「愛の告白」

「オレンジのチューリップ」の花言葉は、「照れ屋」

「緑のチューリップ」の花言葉は、「美しい目」

「ピンクのチューリップ」の花言葉は、「愛の芽生え」



本数でも変わるチューリップの花言葉

ここまでは「色ごとに違うチューリップの花言葉」を紹介。

色ごとに異なる花言葉を持つチューリップですが、「本数」によっても花言葉が変わります。その内容は、

・1本:あなたが私の運命の人です

・3本:あなたを愛しています

・4本:あなたを一生愛し続けます

・8本:あなたの思いやりに感謝します

・9本:いつまでも一緒にいよう

・12本:恋人(妻)になってください

・40本:あなたに永遠の愛を誓います

・50本:永遠

・99本:永遠の愛

・108本:私と結婚してください


108本は煩悩のようだけれど、これだけのお花を買って準備するのだから真剣勝負だね。


coucouさんは、1本、たくさんの人に1本ずつ差し上げたい。





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