525.やっぱり、ありがとうって、挨拶じゃあないんだよね。
coucouさんのお仕事論㊶
最近ね、ありがとう~
ありがとうございます~って、
言葉が軽くなってきた気がする。
それはね、どこに行っても、どこのお店でもこの言葉を耳にするし、電話をかければ、お電話ありがとうございます~という。
coucouさんはね、少しばかり違和感を覚えるようになったんだ。
それはね、挨拶用語になっているような気がするんだ。
あれ~
ありがとうって、こんなに軽い言葉だったのかなあ~
みんなは、どう思うの?
coucouさんも、ありのがとうって、口癖なんだけれど、何が違うのかな~
例えば、小さな子どもさんがね、あ・り・が・と・う、っていうと素直で正直で何かしら心に打つものが在る気がする。
お爺ちゃん、お婆ちゃんに何かしてあげたら、嬉しそうに、あ・り・が・と・う、って聞こえる。
それに、大好きな人に、何かを差し上げたら、あ・り・が・と・う、って喜ばれると嬉しくなるよね~
ねえ、みんな~
何が違うのかなあ~
1.魔法の言葉「ありがとうの報告」
ある営業マンがいた。
彼は一生懸命に努力をする。
一生懸命に仕事する、
これは祖父からの家訓だと自慢する。
でもね、一生懸命に真剣に仕事をしているのに関わらず、努力しているにも関わらずお金が溜まらないんだ…。
むしろ、日々動けば動くほど経費はかさみ、どんどんと貧乏になってしまう…。
でも、彼はそれでもへこたれず前を見て、本で学んだプラス思考を用いて努力は続けてきた。彼は優しく人間性も良く、人から好かれるタイプなんだよね。
それを見かねた多くの応援者たちは彼に人を次々と紹介したんだ。
でもね、なかなか仕事は決定しないんだ…。
ある日、彼を紹介した社長は、紹介先に連絡を入れた。
「いゃあ。先日紹介した彼はどうだった?仕事が決まらないといっていたけど…」
「この間電話した通り、何も申し分ない人で良い人だったよ~」
「じゃあ、仕事は何か頼んでくれたの?」
「頼んでないよ!」
「どうして?」
「どうしても何も、ただ顔を出して話をしただけで、特段何か変わったことがあったわけではないし…。それより紹介したあんたはどうなの?彼から何か話でもあったの?オレより一番詳しいのではないかい?」
「…」
その後、彼からは何も音沙汰がなかった…。
でも、風の便りではあいかわらず苦戦しているようだという。
そして、ある日、以前から知っていた別の営業マンが訪ねてきた。
彼も回りからの評判も良く、やり手ではないが、何か信頼がおける気がする人物だったという。
「社長。何か仕事か人を紹介してほしい。不景気でね、なかなか仕事が決まらないですよ…」
人間というものは頼まれると人を紹介したくなる動物なのかもね~
ついつい好感がもてる相手には紹介したくなるもの。
彼には、その前の彼に依然紹介した場所を何か所か紹介したんだ。
すると、彼から連絡が入った。
「社長、ご紹介ありがとうございました。仕事が決まるかどうかわかりませんが、良い人を紹介していただいて勉強になりました。感謝していたと社長からもお伝え下さい。また次に紹介お願いします。まずはご報告のみで失礼します。」
その後、紹介した先の会社から連絡が入った。
「社長、良い青年を紹介してもらいました。ありがとうございます。まだ仕事を出すかどうかはわかりませんが、今後何かしらお願いができそうですよ」
たかが紹介だが、こういう電話は嬉しいもの。
「いやあ。ご丁寧な連絡ありがとうございます。彼はとても喜んでいましたよ。本人は勉強になったともいっておりました。」
彼が多くの人に信頼されていることが、これでわかったような気がした。
人の紹介はむずかしくても、大切なことは、こころの繋がりだよね。
報告やお礼ができない人はやはり、信頼は獲得できない。
むしろ信頼を失ってしまう恐れがある。
その後、彼からは今でも報告が続いているという。
これって、何だろうね?
人の紹介ってね、簡単なものじゃあないよね~
それに、人を紹介してくれただけでも、そこにはその人の思いや、好意があるんだもの。
やっぱり、ありがとうって、挨拶じゃあないんだよね。
あ・り・が・と・う、なんだよ~
2.前進せよ!
「魔法の言葉」って聞くと、まるで何かのおまじないのように聞こえるかもしれないけれど、「魔法の言葉」はわたしたちの生活や仕事の中で誰にでも聞こえる言葉なんだよね。
ただ、本人に聞く耳があるかどうか?そこにカギが隠されている気がする。
でもね、この「魔法の言葉」が聞こえない人たちはたくさんいる。
具体的にどのような人たちかといえば次のような人たちなんだ。
「仕事がない」
「仕事がうまくいかない」
「売り上げが伸びない」
「生活が苦しい」
「お金がない」
「寂しい」
「毎日がつまらない」
「楽しいことがない」
「その他」
まだまだ無限にあるのだけれど、どうかな?
この一言と、ひと目でわかると思う…。
これはね、人を否定し、自分をも否定している人というのが共通点なんだもの。
このような人たちには、残念だけど、この「魔法の言葉」の存在がわからないまま過ぎていく。
それはね、わからない、という前に人の意見(考え)を聞かない人たちかも。
人の意見(考え)を聞かないということは状況がわからないというのと同じだもんね。
例えば、ある社長が「売り上げがいかない」と悩んでいたとする。
おそらくその人を思い、心配する人がいるよね。
それって、一緒に働いている働きさんたちかもしれない。
その悩みに対して、
「こうしたらどうでしょう?」
「このようなことをしたらどうでしょう?」
と、その社長のことを心配し、好意で伝える。別に会社の社長さんでなくともおんなじ。友人や先輩、仲間たちだっておんなじだよね~
でもね、頭ごなしに「そんなことは無理だ!」といった瞬間に、
この「魔法の言葉」は消え去ってしまう気がする。
「魔法の言葉」はね、否定に弱い、だから簡単にその否定でかき消されてしまうんだ…。
ここで注意することはね、その人のことを考え、思い、心配して提案している事柄の前に唯一の味方を失ってしまうことなんだ。
このように、他人の意見を否定すると良い情報や考えが集まらなくなるんだ。これって、自然の法則なんだ~
また、「こうしたらどうでしょう?」という意見(考え)の中に、意外と真実は潜んでいるもので、その時の意見が耳に入らない場合、
《自分にとって都合が良い意見か?》
《自分にとって都合の悪い意見か?》
という自分の都合、耳触りの良いものを望んでしまうからなんだ。
先日、coucouさんの友人が映画を見ていたら字幕に「恐れるな!前進せよ!」という言葉を見たという。
その場は何気なく終わったけど、妙に心に引っかかったという~
そしたら、その翌日本屋で「前進せよ!」という文章に目が入った~
次の日、新聞のニュース欄の本文の中の「前進せよ!」という言葉が目に留まる。
彼はね、「前進してみよう!」と心に誓ったという。
これって、一体何だろうね~
神からの啓示なの?
メッセージなの?
何かの知らせなの?
自らが求めていた言葉なの?
でもね、これも「魔法の言葉」のひとつに違いない気がする。
私たちの身の回りにはありとあらゆる言葉が公共の電波やテレビ、ラジオ、パソコン、スマホ、本や雑誌、新聞、対話、言葉の中で一日当たりどのくらいの言葉のシャワーの中で生きているんだろうね?
身体全体に無限の言葉を浴び、その中から自分に必要とする言葉を見つけることは至難の技かもしれないけれど、何かしらの言葉、心に残る言葉、何かを伝えようとしている言葉が無限にその言葉のシャワーの中にあるような気がするんだ。
でもね、それをクリアするのは、やっぱり他の人の意見(考え)を聞くことが唯一の解決方法かもしれない気がする。
もし、神さまがいるとすれば、人の言葉を借りて地上にいる人間すべてに平等に助言を与えているのかもしれないからね。
coucouさんです~
ごきげんよう~
みんな~
いつも、あ・り・が・と・う~
先日、友人からこんな話が合った~
「ねえ、coucouさん、『ありがとう』って言葉はね、言葉に出して100回でも、300回でも、1000回でもいうといいらしいわ~そうするとね、感謝の気持ちが湧き出てくるんだって…」
「へえ…」
「ねえ、coucouさんも騙されたと思ってやってみて~」
coucouさんはね、考え込んだ~
そう、それも大切なことだと思うけれど、ますます、ありがとうって言葉が軽くなっていくように感じたんんだ~
だってね、大切な言葉なんだものね~
ありがとさんだってね、ありがとうを1000回、10000回唱えたらびっくりしてしまう気がするんだ。その素晴らしい?輪が拡がって、すべての人が唱えるようになって、世界中に広がり、拡散しすれば人類が平和になるならうれしい~
でもね、それでも世界が平和にならない、人々の争いが絶えないとしたら、そのありがとうが足らない~っていうのかな~
祈りが足らないから~っていうのかなあ~
その後、彼女はたくさんの人に嫌われてしまったようだ…
きっとね、あ・り・が・と・うって、伝わらなかったんだね~
coucouさんのホームページだよ~みてね~
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