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540.たった一つ褒められて、心が動いて、動かされて、人生って全く変わってしまうんだね。【褒め言葉研究会⑩】

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

わあ~もう「褒め言葉研究会⑩」の最終回なんだ~
実は、まだまだ書き足りない、書きつくせない…。

1.話が長いといわれたけれど…

でもね、noteは10,000文字を超えるのは失礼だというnote記事があった~
ツィッターのように短い文なら耐えられるけれど、ましてや長文は読む人を疲れさせてしまうそうなんだね~
それに長文なんて誰も真剣に読んでなんていないという言葉もあった…。

確かに、おっしゃる通りだよね~
でもね、勘弁してほしい~
coucouさんは短く文をまとめることができないんだよ…。

こうして、パソコン画面を見ながら次から次へと、あれも、これもと右往左往しているんだ。だから、読んでいただいている人には心から申し訳ないって思いながら書き続けているんだよ~

でもね、それでも読んでくれる人、この一部分でも読んでくれる人がいるだけで、とっても嬉しくてつい書き続けちゃうんだ~

だから、誰も読んでくれなくなったとき、やめるときかなあ~
だから、それまでは許してほしいなあ…。

そんなコメントさんへ~

胸が痛いなあ…。

coucouさんの場合はね、は短文でも興味のあるものは全部読み続けているよ~そして好きな人たちの作品にもね、だから短文だからとか、長文だとかの意識はないんだ~
だって、素敵なものは素敵、面白いものは面白い、学べるものは学べるんだもの。

だから読むのも読まないのもその人の自由だよね。

coucouさんはね、その自由を味わい続けているんだよ~

社団法人発明学会故豊澤豊雄会長

2.豊澤豊雄の言葉


そして、戦後を迎えた…。

彼は、日本の焼け野原のあとを見つめながら泣き続けた…

どれだけの仲間たちと、どれだけの育ててきた生徒たちを失ってしまったのだろう。そして、自分は生き残ってしまった…。
敗戦を迎えた人々の思いはみなひとつ。

そうこの世を去った者たちへの無念さと後悔だけが残されていした。
帰る家もない、着るものもない、食べ物もない。
彼はたくさんの子どもたちに教育を通して人の命の大切さと人を褒めることをし続けてきた。

だけど、一体これから何を褒めればいいのか?
生きている命、生き残った命だけを褒め続けていればいいのか?
お国のために命を落とした人々を褒めればいいのか?

いや、違う~
それはおかしい~

彼は、ここで一大決心をした。

そう、教育だけでは間に合わない、この日本を救う道を探さねばならないんだ。そして、彼は驚いたことに政治の世界に身を投じることになる。

「自分は代議士となって、お金もない、ものもない世の中に知恵とアイデアだけで生きれる方法を伝えたい…」それが彼の発明への道となった。

仲間たちからは気が狂ったといわれた。
確かにそうかもしれない。
彼にはなんにもないからだ。
そして、彼は成城学園の生徒だった父親にそのことを相談を持ち掛け、援助してもらい立候補することとなった。

ここからの話も面白い~
それは、彼の独自のアイデアだった。

その時の選挙運動は、人脈も組織もない、手伝いも誰もいない。援助してもらったお金を元手にして新聞をポスターがわりにし筆文字で何月何日、会場名と大きく書いて出した、電柱柱に一枚一枚貼り付けた。
その記事は「金のなる木を植えよう」という内容だった~

そのポスターらしきものを読んで誰もが驚いた~

だって、何もない、世の中。建物も食べ物も何もない時代に「お金のなる木を植えよう」という座談会を開いた。
もちろん、発明やアイデアの話。

そして、昭和23年、豊澤会長32歳。
当選し、国会に出向くことになった。
彼は「発明で日本を救うのだ!」と唱え続けた。

彼が当選した裏話がある。

それは空襲を受けたときに助けた女子生徒150人が彼の応援をしてくれたことだった。
そして、トラックの上で女子生徒たちは合唱をしたサトーハチローの作詞の「リンゴ可愛や、可愛やリンゴ♪」を歌い、バイオリンとハーモニカの伴奏付きで合奏した。凄い教え子たちだ~
そして、香川県で1番の得票数で当選した。

まさに素人選挙がプロを押しのけた~
そうアイデアで勝負した。
そして、彼は発明を唱え続けていく~

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.発明振興議員連盟の誕生

なんと、特段、後援会組織があるわけじゃない。
まったくの政治経験なしの素人たちが集まって選挙をしたら当選してしまったんだ。本音を言えば、自分でも当選するなんて信じられない~
それに信じられないことはトップ当選~

これって奇跡なのだろうか?

いや、coucouさんはね、奇跡だとは思わない~

当選した理由は、空襲の焼け野原の中で、彼は本気で、真剣に世の中を変えたいという気迫が伝わったからだ。

生前、彼が言い続けていたことがある。
「coucouさん~専門家になっちゃあいけない~プロになる必要はない。大切なことは、いつまでも素人のまま、素人でいいんだ~それは専門家になればなるほどその本質が見えなくなる。それをなあ『思考の盲点』というんだよ~灯台もと暗しとおんなじ。わからなくなる…。だが、かえって素人の方が複雑に物事を考えない、考えられないから意外と本質がわかる場合が多い。だから、プロになっちゃあいけないんだ。自分の考えた独自の生き方をすればいい…」

coucouさんはこのとき、ああ~このままでいいんだ~プロになる必要がないんだ~いつまでも素人でいいんだ…、と思った。

さらに、彼は、
「coucouさん、我々は素人だけれど、つき合う相手も素人さん。プロや専門家とつき合うわけじゃあないし、そんなもの必要ない。ただし、その専門家たちが素人の気持ちとなって考え始めたら怖いことだが、残念ながら専門家には専門家のプライドが生まれてしまい、素人の考えなど馬鹿にするようになるから、まあ、大丈夫だけどな…」

さらに興味深い話がある。
それは、友人が「豊澤さん、あんたはどこの党から出るんだい~」
「私にはよくわからないが、発明を応援してくれる党からでます~」
と答えたがそんな党などどこにもなかったという…。

そう、全くの怖さ知らずの素人選挙だった。
当時は、生活の安定、働き先、住居、食糧問題が中心の国政選挙。どの候補者も同じような公約の中で、彼は、発明、アイデア、知恵を使って金儲けの話ばかり。まさに、我が道を往く、onlyone~

昭和23年、39歳で国会へ進出~
しかし、政治の世界など生まれて初めて。友人や先輩がいるわけじゃあない~何もかもがちんぷんかんぷん。おそらく候補者の中でこれほど政治のことに無知なものなどいないかもしれない。

そう、ただの貧乏な若造だ~

ただ、子どもの頃の彼のあだ名はドンキー。
この時は誰もが向かわない大きな怪物風車に向かうドンキーホーテとなっていった。彼は何も知らない、何もわからないから、ただ「発明で日本を救う」とだけ言い続けた。
さらに日本はまだ米国の統治下であり、マッカーサーの一言で勝手に解散されられ、すぐさま2回目の選挙となる。
それでも彼は、発明の話ばかりし続けながらまたまたトップ当選を果たした。
そして彼が当時のことを鮮明に覚えていることは発明協会に多額の予算を付けたり、国会内に「発明振興議員連盟」を作り、国会議員78名を仲間にして地場産業の発明思想を植え付けた。もちろん、78名を彼は褒め続けた。
そして、発明と言えば特許権、特許を申請する国家資格者弁理が直接裁判にかかわれる法律を作った。

のちにこの国家資格者が彼の最大の敵になるとは努々思ってはいなかった…。

©NPО japan copyright association Hiroaki

4.大衆運動を始める

そして、3度目の選挙で彼は政治の世界を簡単にやめてしまい、大衆の中に飛び込んでいく。

そして大衆運動をはじめ、発明の底入れに入った。

つまり、発明人口と発明家を増やす。
発明は特別なものではない、すべての国民に与えられている市民権だ、と唱える。
そして、小さな町工場、地場産業、工場などで次々と発明やアイデアの指導を始めた。
特に彼はそれでお金をもらったり請求をするわけではない。
自然に自動的に儲かった会社が彼の元へお礼にお金を持参する、まさに成功報酬のようだ。

彼の功績は小さな会社を大きくしたこと、無名な会社を大きくしたこと。その根っこには彼の褒め言葉によって発明やアイデアが形となりお金となった。

まるで花咲か爺さん~
こんなところから金持ちの神様、いや、金持ちにしてくれる神さまと異名を取ったのかも知れない。

彼は次の言葉をよく言っていた~カーネギーの言葉。
「アメリカの今日の富は、決して天然事件によるにあらず、各自のの職場における創意工夫のたまものである云云」

ローベルト・コッホの言葉。
「名もなき大衆の間から、有為の発明が続出し、それが国境を超えて人類に幸福を与える。それが疲れを知らぬ民族の生命力である」」

そして、その大衆発明はテレビに登場してさらに躍進を果たしていった。
そのテレビ番組が、昭和40年9月から毎週日曜日に「あなたのアイデア買います!ただいま特許出願中」が放映される。司会は片山竜二、柳家金五郎、サトウ・ハチロー、中曽根代議士等が審査員となる。(片山竜二は「アイデア紳士」など多数の著書がある)

ここでも彼は言い続けた…。
「発明の民主化を図るためには、金がいる、地位がいる、権力がいる。しかし、そうしたものを一つも持っていない人は自分のチエとアイデアで他人の力を借りなければならない。それには、ないとか、できないではなくて、いつも『どうしたらできるか?』と毎日考えねばならない。考え続けていたら、いつのまにか、友人や先輩からそのチエを借りられるものである」

故哲曰く
「人間の幸福は、過去の追憶と、未来の希望の中にある」という。
そう、未来の希望が現在も過去も変えてしまうことができる。

©NPО japan copyright association Hiroaki

5.闘いはじめ

そして、順調に彼の考えた大衆発明は広がっていった。
しかし、まさかの強敵が現れた。
それが代議士の時代に特許を申請できる代理兼のある国家資格者が裁判までかかわれるように法律を作ったにも関わらず、彼の大衆発明が批判されるようになった。
それは、誰もが簡単に発明ができる。
特許等の出願も自分で勉強すれば簡単に出願できる、ということを世の中に打ち出し、民間資格として社団法人発明学会が推奨し続けたことだった。

その資格とは「特許管理士」という民間資格だ。
これは、特許権、実用新案権、商標権、意匠権等を自らが学んで自分で出願するための資格である。この民間資格は弁理士資格などという難しい内容ではなく、「あくまでも自らが自分のアイデアや発明を自分で出願する」という考え方に国家資格者たちの既得権を冒している、違法行為だと問題視された。
当時は、「特許管理士」を学んでから国家資格者なる者もたくさんいたため持ちつ持たれつという関係も続いていたが、バブル後の大不況も重なり国家資格者自身の仕事も激減していた時期だった。世の中の大衆が、みんな自分で出願する時代となったら仕事がなくなってしまう、と恐れたのだろうね。

そして、科学技術庁、文化庁、その他省庁を巻き込んで論争が繰り返され裁判にまで発展していく。

そして、それと同じくして、
「著作権は誰にでもある、誰でも権利が持てる。小さな子どもでも、お年寄りでもすべての人に与えられた市民権、大衆のものだ」
と唱え、著作権論争が盛んになった…。
これがきっかけで、
「特許権も著作権も特殊な、特別な、特定の者だけの権利ではなく大衆の権利だ」ということを我が国に知らしめたのがこの豊澤豊雄会長だった。

これは物凄い功績だとcoucouさんは思う~

そして豊澤会長の闘いは、発明学会を引退し、別組織を立ち上げてさらに新しい出発を試みた。
彼の出す本は次々にヒットを飛ばす~10版、20版なんて当たり前。その本を購入する人たちは大衆発明、アイデアに目覚めていく。国家資格者たちが束にかかって出版しても売れない。その理由は、専門家でない、素人目線、大衆目線の本だからだ。
そしてさらに戦いは激しくなっていった…

coucouさんも同時にこの戦いに巻き込まれ、2チャンネルでは大論争、大炎上となり、coucouさんも名指しで攻撃されるようになった…。
そして、新聞社を集めての記者会見を行った…。

彼はすでに90歳を超えていた…。
「よう、こんな老人を寄ってたかっていじめるのう~裁判にまで借り出して~だけど、発明やアイデア、著作権は大衆のものなんじゃ、あんたたちおかみのモノではない!」

©NPО japan copyright association Hiroaki

6.老人力


そして95歳になってさらにチャレンジを始めた~「第3の人生じゃ~」と彼はいう。平成12年、当時の新聞では、90歳の石山代議士は引退、88歳の桜田議長引退、竹下元総理以下10人の高齢者引退、議員定年88歳と言う話題が出た。

そこで、彼は、これでは80歳以上の年寄りはみんな気弱になってしまう。そこで彼は再度参議院選挙に出馬する決心をした。もし、立候補が成立したとしたら、世界の記録破りとなる。おそらくギネスブック入りしただろう。
政治結社「1億発明等党」を作り申請許可まで取った。彼は老人に希望を与えたいと願った。
(最終的には家族の猛反対により断念したが、そう考えるだけで凄すぎる豊澤会長だった。)

「もし、わしがエジソンだったら『99はーセントのマネと、残りの1パーセントの変更だ」
と言う言葉は今でもcoucouさんの頭から離れない。

「それは日本国自体が模倣国家によって経済が発展した。しかし、それはただの物まね、模倣ではない。独自の考え方、独自の表現の仕方がアイデアやチエを使って何もない所から出発した国だ。世の中にものまねのないものなど存在しない。だが、人にマネされるようなものを考えるが、マネはされたくない。それでもマネされないものは売れない。だからマネする、マネされたくないというのは表裏一体のものでどちらも大切な発想力だ。そう、だから人にマネされるような生き方、マネされるような考え方が必要なんだ。ただし、それらは特許権等の工業所有権と著作権と言う大衆の権利が存在している」


coucouさん撮影のお気に入り©NPО japan copyright coucou 
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
ここまで読んでいただいてお疲れさまでした~
とても長い文量のシリーズでした。
書き続けながら、いつのまにか10万文字を超えてしまった…。

でもね、豊澤会長から学んだアイデア、ヒント、発想方法、チエによってcoucouさんはたくさんの事と人を知った。

そして、褒められ続けたんだ…。

人生でこんなcoucouさんを褒め続けてくれたのはcoucouさんの父と会長の二人だけ。
もう、二度と現れないんだろうなあ~

いや、coucouさんは志願兵~
膨大な教えをこのnoteを通してたくさんの人に残したいと考えた。
それがcoucouさなの第2の人生なんだ~

もうひとつ豊澤会長の秘密がある、それはね、世に出ようが出まいが最後のの最後まで本を書き続けていたこと。
それが豊澤会長の人生だったような気がしている。
そして、coucouさんを含め、豊澤門下生のほとんどは同じように本を書き続けているんだ。
それも、たった一言の褒め言葉話でね~

これって、みんなどう思う~

人間って、素晴らしすぎない~

coucouさんだって、もう麻薬中毒のように書き続けて止まらない~
書いているときってまるで時間を忘れてしまい、年齢も、衰えも忘れ、まるで瞑想状態(トランス)のように勝手に心の中のつぶやきが文に変わってしまう~

ああ、こんな幸せをいただいたんだ…。
そう思うお年頃になったような気がしている。


父が80歳を超えたとき、とても元気を失っていた。
そうだよね、入退院を繰り返しそこいら中病気の固まりなんだもの。そこでcoucouさんは2つのことをプレゼントした。
一つは最高齢で豊澤会長の民間資格の試験を受けて合格させること、そのために豊澤会長とcoucouさんのコラボ講演会に参加することにした。
父は毎日勉強を始めた…。

coucouさんは父に向って講演した~
場所はいつもの成城でね。

そこで、coucouさんが元気で復活し始めたことも父に知らせて安心もさせたかったからね。

そして、講演会終了後に、父に豊澤会長を紹介した。
豊澤会長は相変わらず目玉が大きくなるメガネの奥底からcoucouさんの父を眺めながらこういったんだ。

「あんたがcoucouさんのお父さんかい、ほほう、いい目をしちょる。うん、肌つやもいいのう~うん、何よりもあんたは若い、いいのう、若いって…」

coucouさんの父は全身が硬直した…。
もしかすると、軍隊以来かな…。
その理由はね、父は、もう駄目だ~
もう歳だ、歳だと人生を諦めていたからだ。

そして、もう自分なんて何も役に立たない、と思い込んでいた…。
父からわずかながら涙が零れた…。
coucouさんも…。

ああ~会長、会ってくれて父を褒めてくれて…。

そうなんだ、coucouさんがすべての希望を失って豊澤会長の仕事場に訪ねたときに言われた同じ言葉を親子二代に話しかけた…。

父は、親友だった片山竜二の想い出話をしていた~
その翌日から父も第3の人生を豊澤会長とともに歩むことにした…。
だってね、あんたは若いって褒められたんだものね~
そして父は、生涯現役を目指し、4年かけてこの世を去るまで本を書き続けた。そう、coucouさんとおんなじ生まれて初めての体験だった…。

ああ~
なんだろうね~

みんな~
coucouさんだってよくわかんない~

たった一つの言葉で心が動いて、動かされて、人生って全く変わってしまうんだね。つき合う人が違うだけで世界が変わってしまう…。

不思議だね…。

でもね、あのときに褒められた言葉はね、coucouさんの宝物~

決して、忘れないと思う。

94歳まで頑張った父、103歳まで生涯現役を貫いた豊澤豊雄会長。

現、一般社団法人発明学会中本繁実会長とcoucouさんの二人は豊澤会長の心の意思を継いでいく後継者だと思っている~


ああ~なんと素晴らしき、哉、人生なんだろう~

ああ~ごめんなさい~
10回シリーズ、10万文字を超えてもまとまらない、終わらない~

みんな~
ありがとうございました~

明日から、またこの豊澤会長から学んだ新シリーズ、まだ仮称【coucouさんの出版論】をノートのクリエイターさんたちに送ります~

読んでね~

ごきげんよう~

coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru








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