記事一覧
なんとか週末にたどり着いた。誰とも話したくない。死にたくなる。
あと数ヵ月でnoteを辞めます。ただし、いままでのパワハラ教員の実名を全て晒してから。
自分は身バレするかもしれませんが、日本社会、教育業界全体から見れば意義のあることだと思います。
震えて待て。東北のとある県より
家族を巻き込んだ学年主任からの虐め
自分には一年間で「突発性難聴」と「味覚障害」を同時に併発した経験がある。
とある中学校で、学年主任と意見が合わないことがあった。自分は講師で特に主張を通すこともなく、何も言わずに主任の指示に従った。しかし、主任には「自分に意見をいう生意気なやつ」というように写ったのだろう。
他学年の主任から「今週の企画委員会でも君の悪口いってたぞ。聞くに耐えない」と毎週聞こえてくる。
そんな言葉を気にすること
中学校教員パワハラ日記後日談
私が12月をもって退職した日。
職員室で臨時の打ち合わせをもたれた。
校長の説明があって、自分の退職の旨を話されていた。「家族の事情」ということだけだった。
その後に自分からひとこと。
自分にとんでもない暴言を吐いた理科教諭は職員室にはいなかった。
校長に注意されたのか、それとも気まずかったのかは知らないが、とにかく彼は来なかった。
社交辞令の挨拶のあと、足早に職員室を去った。
「末期ガ
私がnoteを始めたのは、いままで苦しめた教職員を晒しあげるため。決して健全な動機ではない。どちらかと言えば、私怨。
コメントなんかをお気軽に残してくれると嬉しいです。覚悟を決めてnoteを始めましたので。
このnoteは期間限定にしようかな。
退職決まったら、すべての記事を実名にして、ぶちかます。
中学校教員パワハラ日記
「余命は一年だって」
母が肩を落としてそう言った。
祖父が入院して、しばらくしてから自分にそう言った。
自分は試採用の中学校の非常勤だったが、「常勤の非常勤」という奇妙な雇用だった。(※「常勤の非常勤」てはいについては別記事で必ず詳細を書きます)
家族での看病が必要だ。
自分は学校を休みがちになり、時には早退をした。
校長、教頭にはこの説明をしたがやはり退職をしたい旨を伝えていた。慰留は