中学校教員パワハラ日記後日談

私が12月をもって退職した日。
職員室で臨時の打ち合わせをもたれた。
校長の説明があって、自分の退職の旨を話されていた。「家族の事情」ということだけだった。

その後に自分からひとこと。

自分にとんでもない暴言を吐いた理科教諭は職員室にはいなかった。

校長に注意されたのか、それとも気まずかったのかは知らないが、とにかく彼は来なかった。

社交辞令の挨拶のあと、足早に職員室を去った。

「末期ガンの家族なんてどうせ何をしたって死ぬんだ」

「俺が言えば、お前の職を奪うことだってできる」

「講師のクセに……」


彼の口から垂れ流された言葉の数々が頭をよぎった。

悔しさで年甲斐もなく泣いた。
帰りの車内で泣いた。




そして、3月3日

祖父は亡くなった。


そのときから私の心の中には深い闇と憎悪、怨恨、晴れることのない心の雲が覆い尽くした。

理科教諭の彼には殺意にも似た感情が溢れた。これは今でも溢れている。

匿名掲示板に実名で書き込み、できることはなんでもした。


とある日、退職した学校から電話が来た。あの教頭からだ。「いや、色々謝ろうと思って……」

多方面へのアクションが学校に影響を与えたのか、声からは怯えと及び腰が感じとれた。

「いつまでも嫌なことを考えていても君のためにならないよ」

加害者の屁理屈だ。ことなかれ主義の最たるものだ。
私は怒りをグッとこらえ、何も答えず電話を切った。





私は今でもこの理科教諭と教頭を許してはいない。

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