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家族を巻き込んだ学年主任からの虐め

自分には一年間で「突発性難聴」と「味覚障害」を同時に併発した経験がある。

とある中学校で、学年主任と意見が合わないことがあった。自分は講師で特に主張を通すこともなく、何も言わずに主任の指示に従った。しかし、主任には「自分に意見をいう生意気なやつ」というように写ったのだろう。

他学年の主任から「今週の企画委員会でも君の悪口いってたぞ。聞くに耐えない」と毎週聞こえてくる。
そんな言葉を気にすることなく、毎日の仕事を続けていた。しかし、彼はとうとう私の家族の悪口まで言い出していたのだ。忘年会のときに。


私はアルコールが飲めないので、そういう場には行かなかった。そうすると、その学年主任は口火をきったかように自分を口汚く罵っていたらしい。しかし、罵詈雑言はそこにとどまらず、自分の家族の話にまで達した。あまりに酷かったため多方面から報告を受けたボクは数日間悩み、校長に相談した。

学年主任のAは父親が校長、母親も教員のまさに教員一家である。そこに畑違いの自分がひょいと飛び込んできたのが気に入らなかったのだろう。

坊っちゃん育ちの彼は意見を言われた経験もなく、幼少のときから何不自由なく育ってきた社会科教員である。ただでさえ倍率の高い社会科採用試験を難なく突破して、この仕事をしている。もちろん社会経験は教員以外ない。

他の先生方に聞くと、毎年ターゲットにする先生がいるとのことだ。ターゲットにされたスタッフはターゲットが変わるまで、とことん罵詈雑言や悪評を言われ続ける。

そして、今年はどうやら自分らしい。

放課後、彼を別室に呼び出して忘年会の話を問いただした。「事実なら正直に教えてください。」


彼の顔色はみるみる青ざめていった。


そして、震えた唇から絞り出した言葉は

「酔っていて覚えていない」

だった。

その年をもって、ボクは講師を辞めた。



彼はその後離婚し、そして現在
地域の教育事務所の指導員をしている。
学校からは離れたようだ。


何を指導するというのか。
あきれた目線で冷ややかに彼を眺めた。

突発性難聴は数年
味覚障害は一年で回復した。しかし心の傷はまだ残っている。


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