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さかいくん

小学校のクラスが同じだった子だ。

友だちと普通に話すことが苦手で、少し嫌なことがあるとすぐに怒る。

そうかと思うと、パソコンの印字かと見紛うほど美しい文字を何十分もかけて書く、不思議な子だった。

彼はよく“キレた”。
クラスのやんちゃな男の子に「うるせぇよ」とか、黒板消しを持った日直の子に「早くノートとって」と言われる度に、ノートや筆箱を地面に叩きつけて、教室を飛び出した。

なぜか私だけ彼と小学校6年間、クラスと校外学習の班が同じだったのは、私だけが怒っている彼を宥めることができて、他の子と同じように接していたからだと思う。

「さかいくん、おはよう」
「さかいくん、ポケモンの絵上手だね」
「さかいくん、字が綺麗だね」

朝、挨拶をしてあげること。しっかり名前を呼んであげること。彼が立派なところは褒めてあげること。

そうすれば、笑顔が下手な彼も、少し嬉しそうにはにかむのだ。

ときどき不器用な先生がいて、彼を厳しく注意して怒らせてしまうことがあったけど、そんなときもよく頼りにされた。

彼のことが可哀想だとか、そういう風に思ったことはなかったけれど、「手懐けている」と飼育員のように捉えられることは気にくわなかった。

彼は人間なんだ。接し方でちゃんと分かるのだ。放っておくと寂しいのも、理不尽に言われると腹が立つのも、褒められて嬉しいのもみんな同じなのに。少し繊細なだけなんだと分かればいいのに。


ある日、クラスの男子が彼のポケモンの鉛筆をバカにした。確かに、5年生にもなってポケモンの鉛筆を使い続けている男子は他にいなかった。

今までにないほど激昂したさかいくんは自分の鉛筆を床に叩きつけて、目の前の紙を破いてまた教室を飛び出した。

字が綺麗だからという理由で、校外学習のまとめ新聞を清書してもらっているところだった。


彼の美しい字が並んだまとめ新聞は、びりびりに破れていた。


観光もそっちのけで怒らせないように気を揉んだのに。彼を混乱させないようにシンプルに原稿をまとめたのに。

せっかく、綺麗に書いてくれていたのに。

いつもなら鉛筆を拾って筆箱に戻してあげたけど、その日は一本だけ拾って、地面に叩きつけた。

そのときはじめて、彼をなだめに行かなかった。




次の日、彼は学校に来なかった。

今までだったら、何事もなかったかのように登校して、ポケモンの鉛筆を眺めていたところだ。

「小梢が行かなかったからじゃない」と友だちは笑った。

放課後、先生に呼ばれていろいろ聞くと、どうやらなにも持たず学校を出て、そのまま家に帰ってしまったみたいだ。

朝はいつもお母さんに送ってもらって学校に来るのに、お腹が痛いから休むと言ったらしい。

先生ごめんね、私のせいで、もう二度とさかいくんは来ないかもねと言った。

先生は、遠藤さんに手間ばかりかけてごめんね、本当にありがとうと頭を撫でてくれた。



その次の日学校に行くと、さかいくんはいつもの席に座っていた。

みんなはなんとなく、彼から距離をとっていた。

私を見つけると、いつもの不器用な笑顔で新しいポケモンの鉛筆を見せびらかしてきた。
「きのう、ママにかってもらった」

あまりに屈託のない笑顔に、少し呆れた。
しばらく黙っていたら、彼は上目遣いで私を見ながらとても小さな声で「ゴメンネ」と言って、描いていたポケモンの絵を「コレ、アゲル」と差し出した。

「上手ニ書ケタカラ、アゲル」


さかいくん。

君のせいで、私は何度も大変な思いをした。君に対して腹が立ったこともあった。新聞をぐちゃぐちゃにされたときは、本当に悲しかった。

これからは君が我慢しなくちゃいけないこと、謝らなくちゃいけないことがあるはずだ。君にとっては少し難しいかもしれないけれど、さかいくんだけがサボっていいわけじゃない。

それはこれから少しずつ、分かっていけばいい。

だから、楽しいことは嬉しいことは、その何倍も大切にしていいんだよ。

どんなにちっぽけな喜びも、それは大きなゆたかさになるんだよ。

さかいくんの丁寧なポケモンの絵が、少し涙で滲んでしまった。

ありがとう。さかいくん。大事にするね。



小学校を卒業してすぐ、親の転勤とともに彼は県外に引っ越してしまった。

発達障害という言葉を知ったのはその数年後で、彼がASDなのかどうなのかとか、詳しいことは私にはわからない。



彼が今、どこでなにをしているかは知らない。

彼のことを思い出すと、いつも心が潤う。

私が彼に初めて言った「ありがとう」も、ずっと、彼にとっての喜びになっていますように。

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