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「花窟神社」最古の弔いと願い

割引あり

熊野には旧暦の2/2と10/2に古くから受け継がれているお祭り(屋台があったり、花火があったりというそういうお祭りではありません)があります。以前、この神社に初めて来たときに宮司の方が話してくださいました。そして、「10/2にお祭りあるから、よかったらおいでください。」とそう言ってくださいました。これはもう、行くしかないでしょう。
ちょろいですね、私。今年の当日をとても楽しみにしていました(多分5月くらいから)

伊勢神宮や、出雲の事を書いた際に触れたかもしれませんが、古事記の伊弉諾と伊弉冉の、特に伊弉冉の事を祀っているのがこちらの神社です。いつか書きたい事の一つですが、ここは那智の滝と同様に社をもたない神社の一つです。神様を祀ってはいますが、根底は人々の暮らしに寄り添った「自然崇拝」に近い信仰、という感じがします。私たちの生活でもっとも親しみのあるのは、食事の際に手を合わせて「いただきます」「ごちそうさまでした」という習慣ではないでしょうか。これだって立派な信仰のなせる業です。日本でのこの短い言葉に込められた祈り、海外じゃ長ーい文言を終えてから食べるので、この一言で終わる速さは「え?もう終わり?もう食べてもいいの?終わってからも言うの、なにそれ?」ぐらいの衝撃だそうです。でも、納得するとこの所作のシンプルさや合理性、美しさに真似してみたくなる人も多いようです。凄いですね、日本語。

では早速、神社へお詣りに伺いましょう。前来たのは、閉まってしまう1時間くらい前だったので、今回は前よりもゆっくり見る事が出来て、嬉しかったです。

この神社の言い伝えはこのようにされているそうです。
「国産み」「神産み」をしたといわれる伊弉冉尊と伊弉諾、その子どもの「軻遇突智尊(カグツチノミコト)」が関連していました。
多くの神々をお産みになった伊弉冉が最後に産んだとさせるのが火の神である軻遇突智尊です。彼は生まれながらに火を纏っていたため、彼女は全身大火傷を負って亡くなってしまいます。それを深く哀しみ、怒り狂った夫の伊弉諾は軻遇突智尊の首を剣で飛ばしてしまいます。ちなみにその剣に付着した血から誕生した神が軍神:建御雷とされます。この神は出雲の国譲りの際に稲佐の浜で活躍したとされています。こんな風に神様同士で繋がっているとは思いませんでした。
話を戻します。その伊弉冉は伊弉諾によってここで丁重に葬られた墓所がここであるとされています。その時に火を使って伊弉冉を弔ったとされているのですから、なんとも因果な事です。その後に妻に恋い焦がれて黄泉の国まで迎えに行こうとしてって、恐らく皆さんがご存知であろう恐怖の追いかけっこの話になるそうです。
赤ん坊が炎に包まれながら生まれてくるのも、イメージしにくいかもしれませんが、本当にそう書いてあったんです…。


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