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小泉八雲「心」「日本の心」

こんにちは。
皆さんは、小泉八雲をご存じでしょうか。怪談「耳なし芳一」「雪女」「和解」などなど、日本の幽霊や妖怪に纏わる話を翻訳して、海外に日本のことを広めてくれました。怪談は英語で「Kwaidan」(くわいだん)と書かれています。wiki 曰く、奥様の出身地である出雲地方の出雲弁では「かい」を「くゎい」と発音し分ける場合があるようです。
「かい」介/界/械/改/皆/階/開/解/海など
「くゎい」会/絵/回/灰/快/怪など
方言を尊重してそれに合わせてあまり使いたがらなかったローマ字表記を使うなんて、なんというかいぢらしい、です。最初に英語で出版されました。そして、それをもう一度日本語に翻訳した当時にとっては珍しいタイプではないかなと思います。もともと、怪談とは日本に既に在った話の事を指します。よく名前が挙がるのだと、「牡丹燈篭」、「四谷怪談」、「皿屋敷」で古典的な物ものだと「今昔物語」や「雨月物語」が代表のようです。それに八雲の解釈が入れられて書かれたのが明治の怪談のようです。

その八雲は日本では執筆と教師、講師として活躍されましたが、来日の前はアメリカでジャーナリストとして働いていました。生い立ちを見てみるとかなり優秀だったのが伺えます。
今回取り上げるのは、そんな文学者ではなくジャーナリストの側面を持った八雲の「心」「日本の心」です。西洋人(ラフカディオ・ハーン)から見た日本人というのが、細かく書かれています。これも最初に英語で、あとで日本語に翻訳された本と思って差し支えないと思います。
書籍だと数千円しますが、Amazonの復刻版ですと200円程度でKindleで購読できます。金額的にはオススメです。ただ……根気のいるのは心して頂いたほうがいいと思います。この復刻版、当時の書籍を今の技術でスキャンして保存された状態です。なので、ちょくちょく字が潰れていたり今は使われないであろう漢字がしれっと出てきます。ルビも辞書もないので、どういう意味かはその時々に検索して最終的に慣れるというのが肝になってくる気がします。調べる技術があるだけよかったとホッとします。どちらの書籍も一編の内容は短くはありますが、かなり重みがあります。
青空文庫では、「心」に掲載された「停車場にて」があります。

「心」でも「日本の心」でも、興味の惹かれる記録は多かったのですが中でも私は西洋から見た日本の思考に関する記述が今にも当てはまる色褪せないポイントという気がします。全部書くと、それはもう膨大なので、個人的に

「英語教師の日記から」/日本人の心
週に一回英語で短文を書かせて先生に提出する、という課題を出させました。その添削の時に八雲はある事に気づきました。そして、それをこう綴っています。

「普通の日本の生徒の作文に於て私の最も驚くべき事と思はれるのは、彼等は全く個人的特色をもたない事である。二十の英作文の手蹟までも奇妙に親類的相似を有する事が分る。この結論を動かすことができないほどに、著しい除外例は先づない。」

「英語教師の日記から」/日本人の心
Kindle No.72

どういう意味かというと、学生たちに課題を与えたがその内容がどれも似通っているというのです。30回ほどあった課題のどれもが、似ていると驚いたのです。過去に来日した西洋人も日本の事を礼儀正しい親切という一方で、個性がないという、誰もかもが似ている印象を受けていたそうです。それを八雲は面白みに欠けるというのではなく、想像力や独創性というのが育っていないという特色を見つけました。桜が、山が、綺麗。雪の描写が整っている、昔ながらの事をきちんと勉強しているのが理解できるが、その奥にある個人の受け止め方がまるでなく、正確に書くという方だけが目立って終わっているというのです。
正しく書くことの何がいけないのか、と思われるかもしれません。ですが、八雲の言うようにここに特化し過ぎていて、個人の意思がまるでないのが問題なのは今も変わらないのではないでしょうか。
八雲は想像力や独創性というのが育っていないという特色をこれからを生き抜くためにはなくてはならない、ある意味で危機と捉え、学生にとにかく質問をさせることを重要視していました。西洋の学習の基盤には想像力がありました。それを取りいれた方法で教えるというのは合理的とも言えると思います。寺子屋などであれば「読み書き算盤」ができればOKのような基準がありましたが、明治になって唐突にそれは通用しなくなってきました。なんだか、今とよく似ているのではないでしょうか。と思います。八雲はこれからの為に西洋の一部の方法を取りいれる事はしましたが、かといって全てが西洋がいいとはこれっぽっちも思っていなかったようです。事実、八雲は日本古来の「美」は大変重宝していたからです。
その後のヘルン先生と学生のやりとりも心に響くものがあります。ですが、私が今回注視したかった点とは少々外れるのでこの一言にて締めさせていただきます。

「濱口五兵衛」/日本人の心
このエッセイは日本人の心の一番最初に掲載されているものになります。1896年に東北の青森から岩手、宮城に掛けてを襲った津波についての話です。先にも申しましたが、これはジャンルとしては「随筆」に当たります。解釈はあれど、起こった事を読んで昔の日本人って凄すぎないかと固まってしまいました。

その日はむしあつかつた。そして微風が起つて來たが、まだ何だか重苦しい暑さが殘つてゐた。それが農夫の経験によると、ある季節には地震の前兆である。そして間もなく地震が來た。人を驚かすほどの強さではなかつた。しかしこれまで数百回の地震を感じてきた濱口は変に思つた。ー長い、のろい、ふわりとしたゆれであつた。多分極めて遠方のある大きな地震のほんの余波であつたらう。家はめきめきと云つて幾度もおだやかにゆれた、それからまた静かになった。
その地震が終ると、濱口の鋭い思慮深い眼は、気遣はしさうに村の方へ向いた。ある一定の場所や物を見つめてゐる人の注意が、全く自覺して見てゐない方へー明らかな視野以外にある無意識な知覺の朦朧たる範囲に於てただ少し変な感じのする方へ、不意に気を取られる事がよくある。そんな風に濱口は沖の方に何かつねならぬ事のあるのに気づいた。立ち上がつて海を見た。海は全く不意に暗くなつたそして変になつた。風と逆行してゐるやうであつた。陸から向うへ急に退いて走つてゐた。

「濱口五兵衛」/日本人の心
Kindle No.16~

はい、ここで止めます。明治からも東北という地域は地震や津波が既に多かったのがこのあたりで見て取れます。そしてなんと、それをこの濱口という人物はこれまでの経験を基に、自然災害が起こる一歩手前は変化を違和感として、自身で受け取るそしてそれはなんなのかを探ろうとするのです。このあとですが、こいつはやばいことになると直感して、村人を高い丘の位置に誘導し、息子に松明を持ってくるように、指示して火を持ちます。その火で村を焼きました。村人も息子も動揺が隠せずに悲しみます。ものすごい罵詈雑言をみなから受けました。しかし、静かになった海が急に波がものすごい勢いで村を飲み込んでいきました。濱口はこれが火を放ったわけだといいました。幸い死傷者は一人もおらず、村人400人あまりの命を救ったのです。
ここで、伝わってくる教訓は「自身の感覚は常に研いでおかなければならない。」という点かもしれません。これもある意味で大きな教育の要因に思います。自然のサインに気づける日本人って凄いと思います。

趨勢一瞥/心
こちらの書籍は多分「日本の心」よりもかなり広い範囲についてを綴られたエッセイであろうと思われます。さきほどの「停車場にて」もこちらに掲載されています。中でも趨勢一瞥の六は今のような日本になることを予見していたのではないかなとさえ思う点がかなりあったので、それを簡単にご紹介させていただきます。
「體格においては、日本人はつぎの世紀の終末に達せぬ中に、現在よりも大分優れたものとなっているだらう。さう信ずるには三つの確かな理由がある。
第一は、帝国の強そうな青年の組織立った教練体格の両訓練は歴代のドイツの軍事教練が成したごとき著しき結果ー筋力の増加を来すに違いないということ。
第二は、都市の日本人は栄養多き食物、肉を食い始めた事、従って滋養分に富める食物が、成長発育を増進させる生理的結果になるに違いないということ。
第三は、教育と兵役義務の必然の結果たる結婚の遅延は、盆~良好なる子孫の産出に至るべきである。早婚は今や通則でなく除外例になったから。」

ここで止めます。體格とは体格だけでなく、その循環システムなども含めた事とみてもいいと思います。これが八雲が指摘した日本はよくなるであろうと説いた点です。いい事だけかというと残念ながらそうでもありません。システムが良くなるにつれて、こう言われています。
「道徳の進歩はあまり期待されない。むしろその反対である。日本の昔の道徳の理想は、少なくとも我々の理想と同程度に高いものであった。」と言っています。そして、これには私もそんな気がするという気がします。歴史関係を読まれたりしたことがある方はなんとなくお分かりかもしれませんが、昔の日本人の直感はかなーーーり精密で奥ゆかしいと言えます。恐らく西洋の人では難しいであろう「気配り」が飛びぬけていたのです。今でも、言わなくてもやっておいてほしいみたいな空気を醸されることはないでしょうか。それはまさにこういう気質が過去に根付いていたのが特徴に思われます。

まとめ
ここまで読んでいただいてありがとうございます。読んでみて思ったのはどちらもかなり根気がいりますし、難しいですし、ところどころ読みずらいです。読んでいて疲れてしまってPCの前で潰れていることがよくあります。ですが、この内容は自分が日本人であることその特徴と呼ぶものを過去の記録から知る事の出来る貴重なものだと思います。疲れてきますが、これらを読むのは嫌いではないです。読むほどに発見も当時の事もいろんな事象が大変興味深いので、微々たるものですが愛着が湧いてきます。微々たるですが。ここでは紹介していないものもたくさん掲載されているので、気になられた方は購読を推奨します。


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