記事一覧
双極性障害に対するリーマス投与の経過
これまで血液検査が必要だということで、ずっと避けてきたリーマスですが、2ヶ月ほど前から服薬を開始しました。それまではドグマチールとデパスでなんとか気持ちの振れ幅を抑えてきたのですが、2ヶ月ほど前に「もう限界」というところまで来て、主治医と相談しての判断です。
リーマスというのは炭酸リチウムが主成分で、120年ほどの歴史がある薬だと伺いました。気分が落ち着くということで「リチウムドリンク」なんかも
「死ぬのが怖い」がわからない
「死ぬのが怖い」という感覚がわからない。
生きている以上はいつかは死を迎えるわけだし、それが早いか遅いか、今日かいつかか、という葉だけの話だし。
いつかやってくるものに怯える、というのは生存を主な存在理由としている生物には至極まっとうなものなのかもしれない。
でも、自分には、ない。
いつか来る、その死というものに向かって生きている、その事実は変えようがないし、変えたいとも思わない。
ある
生と死の間にあるグラデーション
生きている、生き続けることと、死んでしまうこと、終わってしまうことの間にあるグラデーション。
生きていながら死んでいるような人、死んでいながら誰かの中で生き続ける人、生と死が必ずしも二者択一のチョイスではない、ということ。
明日も今日と同じような一日を過ごすこと、明日も生き続けるということ、そこに夢も希望もないけれど、この世に放り出された惰性で、たぶん明日も生き続ける。
でもそれは、「生きて
あるいは死という選択
今日と同じような明日を生きるという選択もあれば、今日で終わらせるという選択もたぶんあって。ただその選択をするには楽じゃない方法論があって、スイッチを切るようには実現しないわけで。
一人でいることを気楽だと思う反面、一人でいることを寂しいとも思う、その相反する感情は、どちらかに寄せたとしても多分同じようにあって、結局生きづらいという感覚だけが残るんじゃないかと思う。
明日なんか来なければいいと思
双極性障害という見えない障害
生きているのが辛い、と感じるのは自分の感情がコントロールできないからで、はっきりと医師から「双極性障害」と診断を頂いて納得はしたものの、辛さは変わらなくて。
気分の浮き沈みが激しくて、浮いているときも沈んでいるときも、自分を自分でコントロールできない辛さはいつもあって、それでも毎日「普通に」生きていくことが求められていて。
正直会社員をやれていることもラッキーだと思うし、見えない障害としてのメ
一人多重録音。
大丈夫、という強がり
大丈夫
大丈夫なんかじゃない
辛いことばかり
逃げたいことばかり
でも言う
大丈夫
大丈夫なんかじゃない
でも言う
大丈夫
今日が終わる
明日が来る
そのことが幸せではなく
また今日と同じ
大丈夫じゃない日がくる
わかってる
大丈夫じゃない
でもどうしようもない
誰も助けてはくれない
自己責任だという
生きるのがつらいのが
自己責任なら
生まれてきたのは
ふつふつと、鬱々と、
雨に歌おうが
闇に叫ぼうが
変わらないものは変わらない
生きていくこと
他人と関わること
存在していること
何をもってしても
好きじゃないものばかりで
孤独を埋めるための誰か
孤独を思い知るためのなにか
そばにあるのはいつも空っぽなものばかり
明日は来る
明日も来る
今日と変わらない明日が来る
それを嬉しいと思わない
他人なんていなければいい
他人がいないと寂しい
バンドにおけるボーカルと楽器隊の付き合い方
ボーカルがいるバンドだとどうしても「ボーカルに合わせる」という場面があって、それはキーだったりテンポだったりするわけですが、ボーカルのバンド内における立ち位置によってその扱いは変わると思っていて。
サザンオールスターズやMr.Childrenのように「ボーカルが実質音楽の主導権を握っている」バンドだとボーカルは王様でしょうし、X JAPANのように楽曲制作がボーカル以外だとボーカルは「道具」にし