ノキオ

音楽と語学が趣味なラーメンLover。 日本語・英語・中国語・韓国語を話し、ピアノ・ギ…

ノキオ

音楽と語学が趣味なラーメンLover。 日本語・英語・中国語・韓国語を話し、ピアノ・ギター・ベース・ドラム・サックス・二胡なんかを弾きます。 生活糧はマーケターとしてデジタルマーケティングをやっています。 中国滞在8年の経験あり。

最近の記事

「転職回数」というスペックで判断することについて

始めに断っておきますが、この記事は私自身が有利になるようなバイアスがかかった話であり、一般論を客観的に切り取るスタンスではありませんので誤読されないようお願い致します。 近年になって転職というものがそれほどタブーではなくなり、またレイオフやリストラについても最終手段ではなくなってきています。一部では「働かない人をあっさり切れるようにすべきだ」という過激な意見もあります。一方で、「やむなく退職した人」を受け入れる「転職歴にこだわらない中途採用」がセットでないと成立しない話でも

    • 双極性障害に対するリーマス投与の経過

      これまで血液検査が必要だということで、ずっと避けてきたリーマスですが、2ヶ月ほど前から服薬を開始しました。それまではドグマチールとデパスでなんとか気持ちの振れ幅を抑えてきたのですが、2ヶ月ほど前に「もう限界」というところまで来て、主治医と相談しての判断です。 リーマスというのは炭酸リチウムが主成分で、120年ほどの歴史がある薬だと伺いました。気分が落ち着くということで「リチウムドリンク」なんかも出回っていて、死者が出ることを不審に感じた学者が調べたところ、重篤な中毒症状があ

      • 二人の「自分」

        自分自身を客観的に、「他人の目で」見られるか?というのは哲学的問いかけではあるけれど、その主体が2人いることは、多重人格やその他諸々の使い分けにおいて問題視されたことはないと思う。 自分自身は「社会的に受け良い社交的な自分」と「わがまま放題の本当の自分」という両側面が共存していて、そのどちらもが「本当の自分」として他人の目には映るのだと思う。 社会というコミュニティ、会社というコミュニティ、友人というコミュニティ、どこにおいても、自分自身を偽ることなく「外向けの自分」を演

        • 「死ぬのが怖い」がわからない

          「死ぬのが怖い」という感覚がわからない。 生きている以上はいつかは死を迎えるわけだし、それが早いか遅いか、今日かいつかか、という葉だけの話だし。 いつかやってくるものに怯える、というのは生存を主な存在理由としている生物には至極まっとうなものなのかもしれない。 でも、自分には、ない。 いつか来る、その死というものに向かって生きている、その事実は変えようがないし、変えたいとも思わない。 あるいは、いつかやってくるその死というものを回避することを望むんだろうか。 どちら

        「転職回数」というスペックで判断することについて

          早逝への羨望

          今日は各種メディアで22歳の女性が死去したとの報道が出ていた。まだ原因は調査中とのことでなんで亡くなったのかは憶測の域を出ないのですが。それでも、たぶん、きっと、という推測はできてしまうわけで。 23歳になる年に親友を亡くし、それも原因はわかっていないのだけれど、そして34歳になる年に、また一人親友を亡くし、こちらも原因は不明なんだそうなんだけど、早逝することを、少なからず羨ましく思う自分が確実にいて。 長生きしたいなんて思ってもいないし、むしろ何度も「死にたい」を繰り返

          早逝への羨望

          生と死の間にあるグラデーション

          生きている、生き続けることと、死んでしまうこと、終わってしまうことの間にあるグラデーション。 生きていながら死んでいるような人、死んでいながら誰かの中で生き続ける人、生と死が必ずしも二者択一のチョイスではない、ということ。 明日も今日と同じような一日を過ごすこと、明日も生き続けるということ、そこに夢も希望もないけれど、この世に放り出された惰性で、たぶん明日も生き続ける。 でもそれは、「生きている」という、はっきりした明ではなく、生命維持が継続しているだけど暗かもしれない

          生と死の間にあるグラデーション

          あるいは死という選択

          今日と同じような明日を生きるという選択もあれば、今日で終わらせるという選択もたぶんあって。ただその選択をするには楽じゃない方法論があって、スイッチを切るようには実現しないわけで。 一人でいることを気楽だと思う反面、一人でいることを寂しいとも思う、その相反する感情は、どちらかに寄せたとしても多分同じようにあって、結局生きづらいという感覚だけが残るんじゃないかと思う。 明日なんか来なければいいと思う、それは嘘ではなくて、毎日本心からそう思う。でも、来てしまう。明日が来ないよう

          あるいは死という選択

          人間関係の断捨離

          つまりは、人間が苦手で、人間関係が億劫で、つまりは、人間に向いていないということで。 人間というのは基本的に(自分も含めて)自己中心的であって、それはそれでよくて、その中での気遣いだとか感謝だとか、そういう「繋げるもの」があるからうまくいくわけで。 自分は感情表現が下手で、ストレートにものを言い過ぎて、でも人一倍臆病で、嫌われることに極端に恐れを抱いていたりして。そんな自分の感情をうまくコントロールできないなかで、さらに他人の気持ちまで操ろうというのは土台無理な話で。

          人間関係の断捨離

          双極性障害という見えない障害

          生きているのが辛い、と感じるのは自分の感情がコントロールできないからで、はっきりと医師から「双極性障害」と診断を頂いて納得はしたものの、辛さは変わらなくて。 気分の浮き沈みが激しくて、浮いているときも沈んでいるときも、自分を自分でコントロールできない辛さはいつもあって、それでも毎日「普通に」生きていくことが求められていて。 正直会社員をやれていることもラッキーだと思うし、見えない障害としてのメンタルな問題は、変に気を使っていただいても治るものではなく、かといって全く理解さ

          双極性障害という見えない障害

          Beautiful_Love

          一人多重録音。

          Beautiful_Love

          Beautiful_Love

          婚活の無理難題

          婚活というものをしてみた。 一言でいうと「無理」。 何が無理なのかと言うと、「お見合い」という初対面の、僅かな時間の会談で「ありか?なしか?」を判断する、判断される、ということで。 人間は多面体であり、誰一人に対しても「同じ自分」はありえなくて、今日例えば誰かとお見合いをしたとしてもそれは「多面体の一部」でしかないわけで。 もちろん人間のすべてを知る必要はないと思うし、知ることもできないとは思うけれど、その「ごく一部」で「ありか?なしか?」を判断”される”ことが非常に

          婚活の無理難題

          大丈夫、という強がり

          大丈夫 大丈夫なんかじゃない 辛いことばかり 逃げたいことばかり でも言う 大丈夫 大丈夫なんかじゃない でも言う 大丈夫 今日が終わる 明日が来る そのことが幸せではなく また今日と同じ 大丈夫じゃない日がくる わかってる 大丈夫じゃない でもどうしようもない 誰も助けてはくれない 自己責任だという 生きるのがつらいのが 自己責任なら 生まれてきたのは 誰の責任か 大丈夫 また言う 繰り返し また言う でも 大丈夫なん

          大丈夫、という強がり

          自由という不自由

          なんでもやっていいよ、なにをしてもいいよ、制限はないよ、規則もないよ、などと言われたら「動けなくなる」んじゃないかと思う。 なんでもしていいというのはルールがないということで、自分自身がよっぽど自分を律する事ができない限りゴールもない。そのゴールのない状態を楽しめるか?というのがたぶん人生なんであって。 生きているということはいろんな制約があって、人間関係やお金の話やお仕事や将来のこと、そういう制約があって、その中に僅かな希望の光を楽しみとしてもっていることで、なんとか生

          自由という不自由

          ふつふつと、鬱々と、

          雨に歌おうが 闇に叫ぼうが 変わらないものは変わらない 生きていくこと 他人と関わること 存在していること 何をもってしても 好きじゃないものばかりで 孤独を埋めるための誰か 孤独を思い知るためのなにか そばにあるのはいつも空っぽなものばかり 明日は来る 明日も来る 今日と変わらない明日が来る それを嬉しいと思わない 他人なんていなければいい 他人がいないと寂しい どちらも正解で どちらも間違い 生きていること 人の中で生きること な

          ふつふつと、鬱々と、

          バンドにおけるボーカルと楽器隊の付き合い方

          ボーカルがいるバンドだとどうしても「ボーカルに合わせる」という場面があって、それはキーだったりテンポだったりするわけですが、ボーカルのバンド内における立ち位置によってその扱いは変わると思っていて。 サザンオールスターズやMr.Childrenのように「ボーカルが実質音楽の主導権を握っている」バンドだとボーカルは王様でしょうし、X JAPANのように楽曲制作がボーカル以外だとボーカルは「道具」にしかならなくて。MISIAや椎名林檎様や宇多田ヒカルのような「曲も作れて歌えてプロ

          バンドにおけるボーカルと楽器隊の付き合い方