生と死の間にあるグラデーション

生きている、生き続けることと、死んでしまうこと、終わってしまうことの間にあるグラデーション。

生きていながら死んでいるような人、死んでいながら誰かの中で生き続ける人、生と死が必ずしも二者択一のチョイスではない、ということ。

明日も今日と同じような一日を過ごすこと、明日も生き続けるということ、そこに夢も希望もないけれど、この世に放り出された惰性で、たぶん明日も生き続ける。

でもそれは、「生きている」という、はっきりした明ではなく、生命維持が継続しているだけど暗かもしれない。

仮に命が終わったとして、それで終わるのは自分の世界、自分だけの世界、他人には関係のない世界。

明日生きていようが、明日死んでいようが、世界という、大きな括りでは、どうでもいい話。

自分を取り巻く世界の中で、一人、一人と、消えて無くなって、それでも自分の世界というものが続いたとして、それが希望なんだろうかと思う。

いっそ自分が消えてしまう、という現実が、むしろ希望が、心のどこかに合ったりもする。

生きているということと、死んでいるということが、必ずしも二者択一ではないのは、その間にある、「どっちでもない」状態があるからで、その「どっちでもない」状態が、もしかしたら心地良いものかもしれなくて。

精一杯でも、全力でも、なくていい、そういう生き方があってもいい、誰にも迷惑をかけず、誰の世話にもならず、この世という世界の片隅で、鼓動と呼吸が続いているだけ。

明日、いなくなるかもしれない、この世界と、この自分という自我と。

明日、それでも何も変わらない、「世界」というものが、動き続けるだけ。

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