「転職回数」というスペックで判断することについて


始めに断っておきますが、この記事は私自身が有利になるようなバイアスがかかった話であり、一般論を客観的に切り取るスタンスではありませんので誤読されないようお願い致します。

近年になって転職というものがそれほどタブーではなくなり、またレイオフやリストラについても最終手段ではなくなってきています。一部では「働かない人をあっさり切れるようにすべきだ」という過激な意見もあります。一方で、「やむなく退職した人」を受け入れる「転職歴にこだわらない中途採用」がセットでないと成立しない話でもあると思います。

私自身転職回数が多く、残念ながデメリットにはなってもメリットにはなりません。それは「定着しない」とスペックで判断されるからであり、且つ事実としてそうしてきたからでもあります。個人的には転職するたびに理由があって、それは「キャリアの中で自分を成長させたい」の一点でもあります。

勤続年数が長いほうがスペックとしてはよいわけですが、個人的な考えで言えば「ある時点から同じことの繰り返しをしてる人」の方が「マンネリから抜け出して新しいことに挑戦する人」より優れているという点でよくわかりません。もちろん会社としては経験を積んで出来ることが増えたならそれを会社に還元してほしいと思うのだと思いますが、それがイコール個人の成長かというと、若干の疑問があります。

体感として3年位で業務は一周して徐々に「前にもやったこと」の繰り返しになります。もちろん以前よりうまくできますし、もしかしたら後進を教育する立場にもなるかもしれません。ですが、一つのスキルと考えたときには「繰り返し」であり、新しいスキルを体得することとは逆の方向性になります。

乱暴な例えになりますが、キャリアを婚姻と考えると
・転職回数→離婚回数
・年収→年収
・企業規模→身長
・勤続年数→体重
のように「数値で測れるもの」が並ぶのが、いわゆるスペックと呼ばれるものです。

では、例えば数値にならない
・愛情の深さ→愛社精神
・思いやり→チームワーク
・責任感→やり切る力
・許す力→教育力
みたいなものを、「勤続年数」で測れるでしょうか?個人的には「No」だと思います。

もちろん会社が望む人材として「ソフトスキルより数値化出来るもの、つまり長く勤めてくれる人」とするならば、スペックで足切りするのも正しい選択だと思います。ではその人が「長く勤めてくれるから”優秀な人”」になるでしょうか。

違う角度から考えてみると、採用コストや教育コストを考えると同じ人間が同じ集団を形成し変化しないことも一つのメリットではあると思います。しかし「現状維持の打破」がどこかで必要になったときに「長年同じことを繰り返し業務としてやってきた」人ができることでしょうか。

これも「一般論に天才を持ち出すな」と言われそうですが、スティーブ・ジョブズは「iPhoneを作ったからAppleの社長になれた」わけではありません。もちろんMacintoshやiMacなどのヒット商品を生み出してきた実績はありますが、ではiMacを出す前のジョブズは「iMacを作ったから社長になれた」のでしょうか。違いますね。それまでの迷走していて誰も打破できなかったAppleを見事に作り返す「ポテンシャル」があったから社長になったわけです。つまり、「Appleにはいないタイプの人間で、Appleに染まりきってない人間」だったからとも言えます。

40年前ならいざしらず、2023年のいまとなっては、10年後に世界がどうなってるかもわからない時代になってきているわけです。そんな時代に「勤続年数の長さ」というスペック第一に人材を判断するのだとすると、それは「今後10年変わらない会社で役立ってほしい」という願望であるとも言えるのではないでしょうか。無理ですよね。

個人的に転職回数が多く、また多少飽きっぽい性格もあり、なかなか就職先が決まらないのですが、スキルや経験で「転職回数の少ない人」に負けているとは思いません。かつて勤めた会社で恐ろしく業務レベルの低い会社があったのですが、そんなところで10年働くより厳しい環境で半年働いたほうがよっぽどスキルは上がります。

今の世の中が、いまだに「転職回数の多少」で人材を判断していることが、なんとももどかしいですし、その前提となる「継続は力なり」であったり「石の上にも三年」であったり、凄まじいスピードで変化している世の中と逆行する価値観を重んじていることが理解できません。長く勤めてほしいと思う会社の気持ちもわからなくもないですが、それをスペック足切りの第一に持ってくると、「変化を好まない愚鈍な人材」しか集まらない可能性もあるのではないかと思う次第です。

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