早逝への羨望

今日は各種メディアで22歳の女性が死去したとの報道が出ていた。まだ原因は調査中とのことでなんで亡くなったのかは憶測の域を出ないのですが。それでも、たぶん、きっと、という推測はできてしまうわけで。

23歳になる年に親友を亡くし、それも原因はわかっていないのだけれど、そして34歳になる年に、また一人親友を亡くし、こちらも原因は不明なんだそうなんだけど、早逝することを、少なからず羨ましく思う自分が確実にいて。

長生きしたいなんて思ってもいないし、むしろ何度も「死にたい」を繰り返して今にいたり、まだ生きているわけだけれども、生きていることに関わる全てがなくなったとしても、幸せでないことにはならなくて。むしろ生きていると遭遇する各種の出来事は不幸せな方が多くて。

自分で命を終わらせるほどの決意も行動力もないままここまできてしまったけれど、それができてしまった、あるいはそうなってしまった、ことを羨ましく思う。早く終わりにしたい。

生きていることのすべてが不幸だと言うつもりはないけれど、生きていることそれ自体が幸せだとも思わない。いつ、どんなふうに終わってもいいと思ってる。いつかは終わるものであり、生きていることそれ自体の幸せはどこにもなかったりして。

ある日、「今日が最後の日だ」と誰かに告げられたとして、たぶんなんとも思わないだろうと思う。「そう、」というだけで。早く死にたい、でも生きてるなら幸せでしたい、とはいえ長生きしたいわけではない。どれが本当の望みかは判然としないのだけれど、少なくとも毎日の生活を楽しんではいないし、むしろ終わるなら遭遇しない嫌な出来事もたくさんあるわけで。

自分の決意と行動力、なのだけれど、早逝した人を、羨ましく思う。いつかは終わるもの。長いからと言って幸福度が上がるわけでもなく。この意識がプツッと途切れる日を待ち望んでいたりする。

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