大村 昇@宮城県美里町

地域おこし協力隊(2022.04〜)/約5年の東京生活からUターン/副業コピーライター・ライター/Mr.… もっとみる

大村 昇@宮城県美里町

地域おこし協力隊(2022.04〜)/約5年の東京生活からUターン/副業コピーライター・ライター/Mr.Childrenとスヌーピーが好き/リトルトゥース/のぼ・ぼーの https://lit.link/nobo0630

マガジン

  • 「対話」との対話。

    「この世界に自分の言葉を増やす」をビジョンとする今後の活動に向けて、そのキーワードのひとつとなる「対話」を考えます。

  • 地域おこし協力隊としてのコラム。

    2022年4月から着任している地域おこし協力隊での活動を通じて、感じたこと・考えたことを綴っています。

  • 就職活動に関する気づき。

    就活に苦しんだ大学時代を振り返り、今だからこそ分かってきたことを書いています。

最近の記事

戦力外という季節風。

毎年この時期になると「戦力外」という言葉を目にする。プロ野球をはじめとした、おもにスポーツ用語のひとつと僕は数えているが、それはすなわち「クビ」である。スポーツチームの「もうあなたは要りません」「あなたとは契約しません」などという意味が、戦力外の通知には込められている。 そして、そんな戦力外通告を受けたプロ野球選手たちやその家族のドキュメンタリー番組も毎年見かける。クビになるストーリーすら価値になるという、プロ野球の世界のエンタメ性に感服したりもする。ただ、なんて辛辣という

    • 来てくれるって、愛なんだ。

      近ごろ、地域で企画を実施することやイベントに参加することが少なくない。そのとき、お手伝いあるいはお客さんとして、わざわざ来てくれる人がいる。時間を割いて、あるいはお金を払ってまで来てくれることは、とても嬉しい限りである、さらに言うなればわざわざうちの地域にまで、つまりは僕の地元にまで来てくれるんだ、なんていう個人的なバイアスも乗っかってくる。 愛なんだと思った。わざわざ来てくれるって、愛なんだ。きっと本人に伝えたところで「たまたま予定が空いていた」「もともと興味があった」な

      • 言語で伝えるためには。

        「なんだ、英語しゃべれるんですね!」 きょう、国際交流事業のひとつとして、県内から数名の外国人留学生が我がまちに訪れたときのこと。僕は地域おこし協力隊として、すなわちSNSで発信するための取材として参加していた。地域の農家レストランで稲刈りや餅つきを体験し、その餅も含めたランチをみんなで食べる。そして、20名ほど集まっていたその空間で、改めて順番に一人ずつ自己紹介をする流れとなった。 司会の方が「べつに日本語でも英語でも、どちらでも大丈夫ですよ〜」と和やかに示してくれたも

        • うっかりデザイン。

          きのう、おもに仙台市を拠点に「焚き火×対話」の場を設けている人の話を聞いてきた。バリバリのビジネスマンとして資本主義社会のど真ん中を生きていたという彼は、友人の急逝をきっかけに自らの生き方を見つめ直し、焚き火や対話に行き着いたのだという。試行錯誤を繰り返しながら場づくりを続け、昨年は行政とタッグを組んでの企画も実現させた。 じつは僕も昨年、共通の知人を通して彼と出会っており、自分にとって“焚き火の師”といっても過言ではない。ということもあり久しぶりに会ってきたのだが、そこで

        戦力外という季節風。

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        記事

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          取捨選択と、好き嫌い。

          最近「やらない」という選択肢の重要性を感じている。地域おこし協力隊に着任してから、ありがたいことに多くの出会いに恵まれて、わくわくした日々を過ごせている。すると、今後取り組みたい活動のアイデアも次々と湧いてくる。しかしながら、あまりタスクを抱えすぎるといずれも成果とならないような、中途半端な結果を招きかねない。「“やらない”をやる」が、少なくとも今の僕に必要とされている。 それはいわゆる取捨選択。そのときの状況や未来への可能性を見極めて、必要なのか不要なのかを選ぶわけだ。べ

          取捨選択と、好き嫌い。

          クリエイターが地方で生きるには。

          都会に比べて地方は、クリエイターという文化にあまり馴染みがない。たとえば知人のデザイナーは地方に来たばかりの頃、そこにいる人にデザインの力を信じさせること、つまりその価値を示すことに苦労したという。昨年東京から帰ってきた僕自身もライティングを活かして稼ぐことはそう簡単ではないと思っているし、何より地域の人がお金ではなく自分というコストを払う現状を目の当たりにしている。無論、それではクリエイティブに限界があるわけだ。 だからついつい、簡単に引き受けてしまう。「いいですよ」「と

          クリエイターが地方で生きるには。

          自分の言葉を持つ人は。

          以前、地域の人から嬉しいことに「自分の言葉で表現できる人だよね」と評されたことがあった。ライターとして生きてきた過去もあるし、何より書くことを愛しているし、言葉に対して意見をもらえることはとてもありがたく思う。「自分の言葉」という表現もまた、オリジナリティやスペシャリティを引き立ててくれている。 ただ、最近改めて考えてみて「表現できる」にこそ本質が詰まっているのではないか、と思えている。たとえば複数の人が同じ体験をしたら、それぞれ自分の感覚を、すなわち自分の言葉を持つことに

          自分の言葉を持つ人は。

          なくても困らぬ、なくては困る。

          地域おこし協力隊として、もうすぐ着任から1年半が経とうとしている。僕は地元に帰ってきたということもあり、当初から最長任期の3年をまっとうする気満々であった。それもいよいよあっという間に、後半戦に差し掛かろうとしている。 町にとって1期生の隊員となった1年目のシーズンは、だいぶ手探りの状態で進んだ。それは僕個人にとっても、受け入れ先の役場、ひいては町にとっても。何をするべきか、何から始めるべきか、何を将来に見出すべきかが、終始ふわついていた。もちろん個人として事前の知識や心構

          なくても困らぬ、なくては困る。

          伝播するまちづくり。

          地域おこし協力隊に着任する前、僕はこの肩書きを少し大きめに捉えていたようだ。すなわち、その人が1人ですべてを成し遂げ、まちおこしを果たすようなイメージ。着任当初の研修で「協力隊は“スーパーマン”になる必要はありません」なんて聞いた記憶があるけれども、僕自身がそんな誤解をしていたようだ。 思い返せばその研修では、たしか「掛け算の支援」という言葉があった。たとえば自分ひとりが何かに取り組む「足し算の支援」とは違い、自分が地域の人に作用してその力を“掛け合わせる”ことだと。どちら

          伝播するまちづくり。

          「誰が言うか」に見る夢よ。

          きょう、昨年からずっとお世話になっている地域の方に「今度大村さんがライティングを教える場をつくりたいんだよね」と言われた。きのうのnoteを見てくれていたのかは分からないけれど、なんてタイムリーなんだろうか。その流れに乗って、いま自分が抱えている「教える」に対する違和感を打ち明けてみた。すなわち「僕にとって書くことは生きることで、教えるものではない気がする」というような感覚である。 ただ、その方は「何にせよ、書くにあたってベースとして考えている部分はあるでしょ。そういうので

          「誰が言うか」に見る夢よ。

          「書く」と「教える」の距離感。

          自分自身を語る上で、「書く」が欠かせないものになっている。思えば15年以上前の中学生の頃から、僕はこうしてひとりで黙々と、日々のできごとやそのときの感覚を文章にしている。シンプルに、楽しいから。気持ちがいいから。好きだから。今ではそんな原体験が派生して「書く」でお金をいただくことはあるけれど、いわゆるこのエッセイの形式が僕の根底にはある。 地域おこし協力隊として、自分の何かで誰かを巻き込めないかと考える。つまりささやかなイベントのようなかたちで「書く」を活かせないかと、ふと

          「書く」と「教える」の距離感。

          付け焼き刃が取れるとき。

          「元カレはどんな人だったの?」「えーそうだなあ。むずかしいなあ。」「じゃあどういう人が好き?顔は?ジャニーズとか?」「うーん。ジャニーズかっこいいよね。…逆にどんな顔がタイプなの。」 まだ知り合って日が浅いであろう1組の男女が、カフェで隣に座っていた。いずれも20代前半の若手社会人だろうか。全身ブラックで揃えて、胸元にシルバーのアクセサリーを光らせる男性。そして、秋を先取ったような色合いの、花柄のワンピースに身を包んだ女性。これから恋仲になるかどうかは当然彼ら次第であるが、

          付け焼き刃が取れるとき。

          コーヒー1杯、以上の価値。

          スターバックスでドリップコーヒーをよく注文する。もっとも小さなショートサイズで、350円。コーヒー1杯で350円である。あなたはどう思うだろうか。すなわち、高く感じるだろうか。安く感じるだろうか。 たとえば僕の両親ならば「なんだそれ」「家で淹れたほうが断然安いじゃん」「せめて缶コーヒーにしなよ」なんて指摘をするだろう。彼らは僕が小さい頃から、そのような価値観で生きている。きっと今でもそう言って、カフェを利用することはほとんどないのだろうと想像する。まあたしかにコーヒー1杯だ

          コーヒー1杯、以上の価値。

          謎という価値。

          映画館で『君たちはどう生きるか』を観てきた。公開から2ヶ月が経過しながらも、個人的にずっと気になっていた作品。自分のテンションや上映のスケジュールがようやく重なり、なんとか大きなスクリーンで観ることができた。金曜日とはいえ平日の夜ということもあってか、客席には僕を含めて3人だけが座っていた。 正直、よくわからなかった。映画の内容の話だ。もちろんキャラクターの関係性や比喩表現など、断片的に理解できる部分はあった。けれども全体的に、そのストーリーや世界観がまるで掴めなかった。シ

          最近ついた嘘のハナシ。

          今年の3月から、僕は地元の美容院に通っている。昨年の4月にUターンしてきてからしばらくは仙台にまで髪を切りに行っていたが、やはり地域に自らお金を落としてこそ、微力ながら「まちおこし」につながる気がした。また、それは地域の人とつながるチャンスだとも思えた。 調べてみると、これまで3月、5月、7月と2ヶ月おきに利用している。そして5月に2回目の利用をした際「今後も利用してくださるのなら」と、僕は会計のときにお店オリジナルのスタンプカードをもらった。どうやらスタンプが貯まると、ト

          最近ついた嘘のハナシ。

          何を言うか、誰が言うか。

          サッカー日本代表の国際親善試合が行われた。トルコ代表を相手に、結果は4-2。序盤に主導権を握りながら一時は1点差に迫られたものの、終盤に突き放して勝利を挙げた。 だいたいのスポーツ中継は、アナウンサーが務める実況と、おもに元プロ選手が務める解説というふたつの役割で伝えられる。今回のようなサッカーに限らず、野球や大相撲なんかでも、この“フォーメーション”が組まれる。 しかしながら、僕はいちサッカーファンとして、サッカーの解説者(特に地上波)には物足りなさを覚える。「良いプレ

          何を言うか、誰が言うか。