大村 昇@宮城県美里町

地域おこし協力隊(2022.04〜)/約5年の東京生活からUターン/副業コピーライタ…

大村 昇@宮城県美里町

地域おこし協力隊(2022.04〜)/約5年の東京生活からUターン/副業コピーライター・ライター/Mr.Childrenとスヌーピーが好き/リトルトゥース/のぼ・ぼーの https://lit.link/nobo0630

マガジン

  • 地域おこし協力隊としてのコラム。

    2022年4月から着任している地域おこし協力隊での活動を通じて、感じたこと・考えたことを綴っています。

  • 「対話」との対話。

    「この世界に自分の言葉を増やす」をビジョンとする今後の活動に向けて、そのキーワードのひとつとなる「対話」を考えます。

  • 就職活動に関する気づき。

    就活に苦しんだ大学時代を振り返り、今だからこそ分かってきたことを書いています。

  • 教育・探究あれやこれ

    生き方という概念を大人になってから知った過去を経て、地域の学校との関わりを持つ今、教育や探究学習のあり方に関する問いを日々深めています。

記事一覧

「いいね」の行き先。

僕が日頃チェックしている糸井重里さんのエッセイ『今日のダーリン』には、「いいね」がない。なんだか、ふと気がついた。FacebookやXのアカウントでシェアこそされるもの…

みんな、ふつうで生きている。

「お前にやらせた私が悪かったんだ」 僕がまだ幼い頃、母親がVHSを買い揃えた不朽の名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』。とあるエピソードの中で、厳格なおじいさんがハ…

点を線にする。

日々仕事をしていればそりゃあ、うまくいかないこともある。その問題にはコミュニケーションに起因するものもあり、何なら心なしか地元に戻ってきてから多くなったような気…

変わらず、あるには。

その人が、その人らしくいてほしい。組織やウェルビーイングを探究する実業家の言葉だけれども、僕はナチュラルに共感できる。そっくりそのままオマージュして、どこかで使…

僕はただ、あるだけ。

久しぶりに再会した友人が、最近僕のSNSをチェックしてくれているらしい。彼は偶然見つけたというYouTubeやこのnoteで、僕の発信をこと細かに受け止めて、自身でしっかり咀…

企画が行き詰まったときは。

自分から企画を動かす機会が、少なくない。地域おこし協力隊は、ある種「具現化」が大切な仕事のひとつである。自分や誰かが考えたアイデアを企画して、実際に落とし込んで…

知識と思いやり。

配慮があったらどれだけいいだろう。ふと仕事や生活の中で、そう感じることがある。それ必要に見える人は、なんだか自分本位で、ひとりで生きているようで、まわりの人間が…

僕の、いつもの。

「きょうはどうする?…って一応訊いてみたけど。いつもの感じ?」 東京から宮城に帰ってきてから、ずっとお世話になっている地域の美容師さん。僕より4〜5歳ほど上の“兄…

伝播するスタンス。

先週末、地域のイベントを当日のスタッフとして手伝っていた。決して実行委員ではなくとも、1日だけの関係者として動くことは地域おこし協力隊としてよくあって、何ならそ…

継続に必要なもの。

となりのまちの中学校へ、授業の視察に行ってきた。いわゆる総合学習の、いわゆるキャリア教育の時間。地域のおとながゲストティーチャーとして各教室の教壇に立ち、生徒た…

黒歴史を語れる人は。

「黒歴史」と呼ばれる概念がある。その環境やあり方から、現在から振り返ると恥ずかしいような、おもにそんな過去を自虐するための言葉だ。 それを言えるということは、黒…

人脈という副産物。

もう自分しか信じられなくなり、PC一台で稼ぐことに生きやすさを覚えた20代後半。東京に住んでいた当時、駅前のあちこちにあるカフェのテーブル、ときに自宅アパートのベッ…

情報の価値。

25歳の頃、自分が好きな「書く」を仕事にしたいという思いだけを持って上京して、運よく制作会社に拾ってもらえた。念願のコピーライターの名刺は、東京を離れた今もずっと…

問うひとのうつくしさ。

「自分の言葉」に敏感である。言い換えれば、その人だけが持つ「オリジナルの言葉」。辞書やインターネットを調べることでは出てこない、独自の論理や表現を帯びたものであ…

嘘をつけない人。

とあるトークバラエティ番組で、女性タレントが「わたし嘘つけないタイプなので…」と自身のあり方を語っていた。オンエアとしてそこまで際立つようなものではない、何気な…

できないからこそ。

そういえば「できない」が怖かったなあ。 学生時代、いや厳密には小学生だった頃、気づけば「わかる」や「できる」が評価される世界にいた。テストの点数、授業中や休み時…

「いいね」の行き先。

僕が日頃チェックしている糸井重里さんのエッセイ『今日のダーリン』には、「いいね」がない。なんだか、ふと気がついた。FacebookやXのアカウントでシェアこそされるものの、日々更新される独自のプラットフォームではそのコマンドがない。 比較的めずらしいことなのではないかと思う。Instagramにも「いいね」はあるし、noteにも「スキ」がある。文字通り「よい」と思ったときに押す人もいるだろうし、「読みました」という合図を込めて押す人もいると想像する。僕はどちらかというと、前

みんな、ふつうで生きている。

「お前にやらせた私が悪かったんだ」 僕がまだ幼い頃、母親がVHSを買い揃えた不朽の名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』。とあるエピソードの中で、厳格なおじいさんがハイジの言動を受けてポツリとつぶやいた言葉である。 おじいさんからチーズの番(鍋を絶えずかきまぜること)を頼まれたハイジだったが、家の外からの誘い(詳しくは忘れた)にほのめかされて、遊びに行ってしまう。彼女が帰った頃にはチーズが焦げていて、その片づけをしていたおじいさんが、ハイジを横に怒ることなく静かに発した言葉だ

点を線にする。

日々仕事をしていればそりゃあ、うまくいかないこともある。その問題にはコミュニケーションに起因するものもあり、何なら心なしか地元に戻ってきてから多くなったような気もする。それほど人とのコミュニケーションが、多くなっているということなのだろう。 当然、エラーやトラブルはある。たとえば言葉が足りなかったり、ひとこと多かったり、解釈がすれ違ったり。別にそれはしょうがないことで、もちろん「ない」に越したことはないけれど、誰もが不完全な人と人がコミュニケーションをしている以上、起こりう

変わらず、あるには。

その人が、その人らしくいてほしい。組織やウェルビーイングを探究する実業家の言葉だけれども、僕はナチュラルに共感できる。そっくりそのままオマージュして、どこかで使ってやろうとも思っている。 言わずもがな、この世に誰ひとり同じ人は存在しない。誰もがオリジナルの経験をして、感覚を持ち、価値観を備えている。まずそれは、僕がどうこう言う以前に揺るぎない概念である。 しかしながら、そのオリジナリティは年齢を重ねるにつれて薄れていく印象である。冒頭の言葉が価値を持つということは、“その

僕はただ、あるだけ。

久しぶりに再会した友人が、最近僕のSNSをチェックしてくれているらしい。彼は偶然見つけたというYouTubeやこのnoteで、僕の発信をこと細かに受け止めて、自身でしっかり咀嚼した上で、感想や質問を伝えてくれた。 彼は、地域おこし協力隊に関するコンテンツを受けて「ほかの隊員は見ていないんですか?」と僕に尋ねる。普段の活動で感じたことや考えたことを赤裸々に発信する僕のSNSが、ほかのメンバーにとってどう位置づけられているのか、気になったのかもしれない。たしかに彼らの活動から感

企画が行き詰まったときは。

自分から企画を動かす機会が、少なくない。地域おこし協力隊は、ある種「具現化」が大切な仕事のひとつである。自分や誰かが考えたアイデアを企画して、実際に落とし込んでいく役割を担う。 とはいえ、一筋縄ではいかないことも地域というフィールドではよくあることである。まあ、すんなり企画が実現するならそこまで苦労もないはずで、さまざまな人や文化、また自分自身と対話をしながら進めていくわけだ。最近の僕でいえば、この“一筋縄ではいかないこと”を進めていくのが、地域の面白さでもあるとすら思える

知識と思いやり。

配慮があったらどれだけいいだろう。ふと仕事や生活の中で、そう感じることがある。それ必要に見える人は、なんだか自分本位で、ひとりで生きているようで、まわりの人間がまるで見えていない。決して誰かのことを言いたいわけではなく、ときに僕自身もそんな状態になっているのだろうと想像する。 思いやりが大切なのだという教育を受けてきた。小学生の頃から道徳の授業があったし、それより前からも「人の嫌なことをしない」などと家庭教育を受けてきたような気がする。ある意味立派な早期教育というか、しっか

僕の、いつもの。

「きょうはどうする?…って一応訊いてみたけど。いつもの感じ?」 東京から宮城に帰ってきてから、ずっとお世話になっている地域の美容師さん。僕より4〜5歳ほど上の“兄ちゃん”で、学生時代の共通の知り合いなどはいないけれども、地元が近いこともあり、あるいは僕自身の人間的な成長もあり、自分史上もっとも親しみを感じられる美容師さんである。 そういえば最近は、髪型に関する細かな注文はしていなかったかもしれない。僕の頭の形状や髪質を理解した彼に全幅の信頼を寄せ、ただ鏡の前に座るだけ。他

伝播するスタンス。

先週末、地域のイベントを当日のスタッフとして手伝っていた。決して実行委員ではなくとも、1日だけの関係者として動くことは地域おこし協力隊としてよくあって、何ならその活動を通して人と出会えたり地域の事情を知れたりもする。 今回のイベントは、主催側からのオペレーションの案内が比較的少ないものだった。よいとかわるいとかは別として、シンプルに複数回経験しているからこその感覚である。集合時間とだいたいの内容が与えられたのみで、細かなお客さんへの案内や備品の取り扱いなどは、正直あまり十分

継続に必要なもの。

となりのまちの中学校へ、授業の視察に行ってきた。いわゆる総合学習の、いわゆるキャリア教育の時間。地域のおとながゲストティーチャーとして各教室の教壇に立ち、生徒たちに向かって働くことや生きることについて話していた。 毎年行われているこの企画は、回を重ねるごとに洗練されているようだ。地域の人のつながりも借りながら、そしてそのとき在籍している生徒たちの希望も参考にしながら、小さな変化を繰り返しているという。たとえば、ゲストティーチャーに毎年呼ばれるような保証はなく、終わったあとの

黒歴史を語れる人は。

「黒歴史」と呼ばれる概念がある。その環境やあり方から、現在から振り返ると恥ずかしいような、おもにそんな過去を自虐するための言葉だ。 それを言えるということは、黒歴史の“オンタイム”に比べて落ち着きを得て、すなわちどこかで自分の過去を受け入れたことを意味するのではないかと思う。たいてい「あの頃のわたしは」と精神的に一定の距離を保っていて(もちろん時間的にも)、自らを客観的に見ている。 僕は、黒歴史を語れる人がすきである。紛れもない経験が裏づけとなった人間としての幅、自らの不

人脈という副産物。

もう自分しか信じられなくなり、PC一台で稼ぐことに生きやすさを覚えた20代後半。東京に住んでいた当時、駅前のあちこちにあるカフェのテーブル、ときに自宅アパートのベッドから、ライティングに従事していた。しかし、ふと新しい仕事や活動に取り組みたいと思ったとき、そこには人間関係が不可欠だったことを思い知る。すなわち、一人でできることの限界を感じた。 それから僕は、地域というフィールドを知ることになる。初めは地元の宮城県でもライターとして働けたらいいなと移住イベントに参加したが、各

情報の価値。

25歳の頃、自分が好きな「書く」を仕事にしたいという思いだけを持って上京して、運よく制作会社に拾ってもらえた。念願のコピーライターの名刺は、東京を離れた今もずっと名刺入れの中に入れている。僕のお守りである。 広告のコピー制作に限らず、カタログの撮影やファミリーのお出かけの取材など、幅広い仕事に取り組ませてもらった。いま思い返せば、僕の師匠から受けた取材記事の添削が印象的で、地域おこし協力隊として活動する現在につながっている。 一文を長くしすぎないだとか、語尾の表現をまばら

問うひとのうつくしさ。

「自分の言葉」に敏感である。言い換えれば、その人だけが持つ「オリジナルの言葉」。辞書やインターネットを調べることでは出てこない、独自の論理や表現を帯びたものである。 当然ながら、一般的な正しさがあるとは限らない。偏りがあって、ある意味で正しくない表現になっているのかもしれない。それでも、希少性や独自性を含めて、そのリスクをもろともしないようなあり方に、僕は美しさを覚える。 また、問いを立てているようにも感じる。自分はどう思うだろう、辞書ではこう書いてあるけれども自分にとっ

嘘をつけない人。

とあるトークバラエティ番組で、女性タレントが「わたし嘘つけないタイプなので…」と自身のあり方を語っていた。オンエアとしてそこまで際立つようなものではない、何気ない言葉のひとつだったけれども、それもあってか僕はじっくりと共感できた。 すなわち、彼女は「自分に正直」なのである。おそらく単純に“でまかせ”としての嘘をつけないというよりかは、誤魔化すような自らの言動を受け入れられない、という意味なのではないかと解釈した。たとえば誰かの機嫌を気にして愛想笑いをしてみたり、お世辞を言っ

できないからこそ。

そういえば「できない」が怖かったなあ。 学生時代、いや厳密には小学生だった頃、気づけば「わかる」や「できる」が評価される世界にいた。テストの点数、授業中や休み時間の振る舞い、先生やクラスメイトからの信頼。子どもながらにそんな要素を感じながら生きていて、僕はそのまま中学生になる。比較的落ち着いていたからか、たまたま“優等生”的なポジションにいた。いわば「できるヤツ」だった。 ただ、高校に入れば「できるヤツ」がたくさんいて、相対的に僕は「できないヤツ」になった。この世界の大き