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枠があるから、自由がある。

地域の学生の話し合いで、ファシリテーターを担ってきた。町内の中学生や高校生が集う青少年ボランティア活動の一環「ジュニアリーダー」が、秋のイベントでブース出店をするとのこと。そこで、その出店内容を決める「対話」のための講師として、僕ともうひとりの地域おこし協力隊員が派遣依頼を受けたのだ。

意識したことは、まずお互いが対話の姿勢を保てるような雰囲気づくり。僕は打ち解けた話し方を心がけ、また学生が話す際には笑いやツッコミを含めた相槌を欠かさぬようにした。そして、全体の目的を定めること。集まったメンバーの個性や意見を尊重しつつ、今回は「お客さんも自分たちも、誰もが楽しめること」を共通の軸として掲げた。

メンバーによっては、全体の目的から考える楽しさも味わえることだろう。しかしながらそれは大人でも簡単ではなく、話し合いの方向性および着地点をあらかじめ見据えておくこともファシリテーターの役割だ。何なら今回を振り返れば、もう少し“解像度”を上げてもよかったのではないかと、決してわるい意味ではない反省がある。すなわち「お客さんも自分たちも、誰もが楽しめること」を噛み砕いて、より細かな解釈を学生たちに提供することである。

たとえば身体的な接触がないこと、あるいはルールが分かりやすいこと。学生たちにはそういった判断の軸を示しておくことで、より効果的な議論ができたのではないかと思う。ファシリテーターがどこまで解釈を砕いておいて、当事者たちにどこまで議論を委ねるのか。ある程度の枠があるからこそ自由が活きるのだと、それが理に叶ったアイデアになるのだとそう信じて、僕自身そのバランス感覚を養っていきたいと思った。

いつもいつもありがとうございます〜。