少年院卒のダメ人間を救った3冊の本
少年院送致になってやることもないので、逮捕後からずっと本を読んでいた。
最初は小説や漫画を読んでいたが、医療少年院で精神科医と出会ったことにより自己啓発や心理学にハマっていった。
その中でも、未だに精神安定剤代わりに読み返す本がある。
この本に出会わなかったら、私は恐らく今頃刑務所にいただろう。
なかなかマイナーな本だが、人生に迷いがある人にぜひ読んで頂きたい。
普通などどこにも存在しないと教えてくれた本
この本を読み始めたのは、夏になる少し前、上野駅のタリーズだった。
当時の私は少年院を出て数年が経った頃で、自分がこれからどんな風に生きていくのか皆目見当もついていなかった。
引き寄せられるようにして手に取った本が、これだ。
この本は3冊のシリーズ本だが、もし買うのであればこの3冊目だけで十分である。
以前、お金がなくても精神的余裕を保つ方法として、自己啓発や錬金術などの「胡散臭い方法」があると言った。
その「胡散臭い方法」が、この本には詰まっている。
私は幼稚園に通う頃にはすでに、先生や周囲の大人から「変わってるね」といわれる子どもだった。
「変わっているね」という言葉は、私には「普通じゃないね」と聞こえ、みんなと同じでない自分に疑問を抱いて生きてきた。
「普通ってなんだろう、どうしたら普通になれるんだろう。」
こんな疑問を持ち始めたのは、恐らく3、4歳の頃だったろうか。
誰に聞いても納得できる答えを見つけることができず、そのまま少年院送致となり、この本に出会った。
この本に書いてあることは、一般的な自己啓発本とほとんど同じである。
なにか特別な方法が書いてあるわけでもないし、これを読めば一発逆転!などというビジネス本でもない。
だが、「普通とはなにか」という長年の私の疑問を解決する一文がこの本には載っている。
この世に「普通」はない。どこにもない。絶対に、ない。
多くの人が言う「普通」とは、大多数がそう思うから「普通」という基準になっているだけで、「普通=他人の物差し」でしかない。
変わっていることが悪いことなのではなく、他人の物差しに影響される自分が悪いのだと知ることができた。
特に思春期や20代前半は、自分を持つというのが難しい。
一歩間違えれば我が強いだけになってしまうし、かといって流されていると自分が苦しくなってしまう。
しかし、覚えておいてほしいことがある。
許容することも否定することもせず、尊重すればいい。
他人も普通も尊重した上で、自分はこうなんだと生きていけばいい。
そこにどんな物差しも必要ないし、存在しない。
自分は自分にしかなれないのだから、自分を心から愛して人生を楽しもう。
そんなことがこの本には書いてある。
そこにないものはどこにもないと教えてくれた本
私も多くの少年同様、自分探しをしていた時期がある。
バックパッカーになり世界や日本を旅して、様々な人に出会い、自分がなにかを必死に探していた。
しかし、そうして得られた答えの中に「これが自分だ」という答えはなかった。
そのことを実感させてくれたのが、この本だ。
先ほどの本は自己啓発本だが、この本は一般的な小説だ。
羊飼いの少年が旅に出るお話で、目的のものはどこにあるのか自問自答しながら旅をしていく。
そうして見つけたお宝は、一番近い場所にあることを知る。
そんな話だ。
ありきたりな話じゃないかと思うかもしれないが、この小説にはアルケミスト(錬金術師)が登場する。
一般的に錬金術師は、水をワインに変えられる力を持っているといわれている。
しかし、錬金術師といえ水をワインに変えることなどできない。
所詮人間だからである。
この本で教えていることは、心の錬金術だ。
物事の受け止め方は人それぞれだが、ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかで大きく変わってくる。
最も良いたとえが、少年院だ。
少年院を出たことを、多くの人はネガティブに捉えるだろう。
当然だ。罪を犯して収監されたのだから、ネガティブに捉えない人はいない。
しかし、私はポジティブにしか捉えていない。
頭がお花畑なのかといわれても、だから捕まるんだといわれても構わない。
私は少年院でたくさんのものを得たし、それらの経験を糧にしている。
恥だと思わないし、ひとつの経験としてとても良い時間を過ごせた。
少年院を出なければ得られなかったもの、気付けなかったこと、見えなかったことがたくさんある。
被害者には申し訳ないが、それでも私は少年院という場所に感謝している。
物事はたくさんの側面から見ることができるが、多くの人は一部の場所からしか見ていない。
そうして決め付け、独自のフィルターを作り、偏見と自分の物差しで出来事を捉えていく。
だが、もったいなくはないだろうか。
表から見ればネガティブに感じられることも、裏から見たらポジティブに溢れていることもこの世にはたくさんある。
そんな気付きを与えてくれるのが、この本だ。
トチ狂ったこの本が、私の人生に指針を与えてくれた
最初に言っておくが、私は今から頭がおかしいことを言う。
変人の世界へ皆様をお連れしようとしているが、決して理性や常識を忘れているわけではない。
この本に出会ったのは、23歳の頃だった。
人生に目的も見いだせず、このままのらりくらり暮らしていくのかと思っていた矢先、この本に出会うことができた。
Amazonでの価格は高騰しているが、出版社から取り寄せれば(全国の本屋ならどこでもできる)3,000円程度の定価で購入できる。
もしもこの本を読み理解できる人がいたら、私に連絡してほしい。
連絡はこちらへ「nitohachi28@gmail.com」
そのくらい、この本を読める人も理解できる人もいない。
なぜなら、トチ狂った本だからだ。
エメラルドタブレットは、密教と呼ばれる宗教の本だが、全世界の宗教の始まりだといわれている。
だからといって、胡散臭いことはなにひとつ書いていない。
人間は本来どんな生き物で、どうして複雑な心理状況に陥るのか、それはなぜなのかということが詳細に書かれている。
エメラルドタブレットでは、宇宙を含めたこの世界を「全」と呼んでいる。
これは冒頭紹介した本も同様で、最初に紹介した本はエメラルドタブレットをより分かり易く解説した本だ。
エメラルドタブレットの冒頭には、こんな言葉が書かれている。
「上なるものは下なるものに、下なるものは上なるものに」
これを言い換えたセリフがキリスト教やイスラム教でも使われており、仏教でも同様に使われている。
隣人を愛せよ、貧しいものにパンをあげよ、弱者を助けよ、これらは全て、「上なるものは下なるものに」を言い換えただけだ。
私は医者と風俗嬢になんの違いもないと思っている。
お金持ちと貧乏にも、なんの違いもない。
要は度数の違いにしか過ぎず、それらのフィルターを取っ払えば、みな同じ人間だということだ。
しかし、それを理解するまでにこの本を何百回と読む必要がある。
なぜ?と思うかもしれないが、それだけ人は取るに足らないどうしようもない生き物だということだ。
そんなことをこの本が教えてくれた。
まとめ
読書は賢いフリをしたバカのすることだと思っていた。
なにガリ勉ぶっちゃってんの?
と、思って生きてきた。
だが、少年院に入って読書にハマったことで「知る」ことができた。
今日紹介した本は、どれも全て狂っている。
しかし、狂ったものから得られるのは至極真っ当なことばかりだ。
ぜひ人生に迷いがある人に読んでほしい。
答えはいつだって、すぐそばにある。
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