子どもに怒るのと叱るのは違うと考えるのは危険
少し前に話題になっていてネットで目にしました。子どもが何か問題行動をした時に
怒るは感情が入っているからダメで叱るはしつけだけだから良い
みたいな話でした。色々な議論がなされていましたが、私はこういう考えはとても危険だと感じています。なぜなら一番大切なことが抜け落ちているからです。それは、
子どもから見たらどっちも一緒
っと言うことです。怒られようが叱られようが子どもからしたら一緒ですよ。大人側の考えなんて関係ないです。子どもに対して否定した、大声出した、手を出した、その事実は何も変わらない訳なんです。それが正しいか正しくないかの話です。子どもに対しても大人同士でも叱るが厄介なのは、
相手のことを思ってやっているからオッケー
って言う免罪符を持ち合わせている所です。本当はそんな免罪符ないのですがね。でも、当の本人は持っていると思ってしまっています。
じゃあ、あなたは子どもに対して怒ったり叱ったりしないのかと言うことになりますが、自分の娘にも
怒るし叱りますよ!
時には必要でそれがなければうまくいかない場面なんて沢山あります。学校で子どもたちに注意する時に一番気をつけていることは、
注意する姿を他の子に見せている
という所を意識しています。注意することで本人に対してと周りに居る子に対して両方を意識しているということです。周りの子をなぜ意識するかというのは、
周りの子に安心して通える場所だと知ってもらうためです
もちろん本人にもその狙いがありますし、他の子が同じようにしても必ず注意します。本人と周りの子が注意している私を見て
怒られるからやらないようにしよう
っと思う方向ではなく、
守ってくれるから安心して過ごせる
っと思ってもらえるように意識して舵取りをしています。細かいことを積み重ねてそう舵取りをしているのですが、まあ大変です。そう思ってもらえるには何かを見逃すことは一度も出来ないんです。それが信頼に繋がり安心に変わります。そして、一度見逃しただけで時にそれは裏切りに変わります。色々と見逃してはいけないことが続くとたまに頭から煙出そうになりますからね。子どもに信頼してもらう安心してもらうって言うのはそんなに簡単じゃないってことですね。
話しは戻りまして、怒ることも叱ることもあると私は言いましたが、どっちがどっちだなんて正直どうだって良いんです。なぜなら、
どちらも子どもたちにとっては同じで良くないこと
だからです。大事なことは、
目を背けず人に対して怒ったこと叱ったことを背負う
ことだと思っています。怒るな叱るなとは言いません。
背負うことから逃げるな
と言いたいんです。これは仕事ではなく自分の子どもの頃から来ている考えでもあります。父親が私を酒飲んで殴って来ようが、母親が男とどっか行ってネグレクトだろうが、
理由と考えなんて本当にどうでも良かったです
あるのは事実のみで
大人が子どもを殴った、育児放棄した
子ども目線で言うとそれだけなんです。大人同士ならまた違う部分もあるかもしれませんが、ここでの事情なんて事実を背負わず逃げるための言い訳でしかない訳なんです。なぜなら、
方法ややり方、答えは他にも沢山あるからです
まとめますと、誰かに対して何かをするなら
言い訳せずにその選択肢を選んだことを背負うべきだ
っと思っております。
その背負う姿勢を見せることって一番大切なことです
そこ背負っていかないと何も変わらないですからね。ゴールと思っちゃっていますが全然ゴールじゃないですからね。まだまだこの先にはベストな答えが沢山あります。
私はきっと死ぬまでにこれだと思える答えまで辿り着けないと思っています。なので、少しでも
答えに近づける作業
を怠らず日々続けていきたいと思っております。
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