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【短編】『僕が入る墓』(後中編)

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僕が入る墓(後中編)


近くを飛んでいた小蝿や蛾が一斉に明かりの灯った電球の周りに集まった。

「大丈夫?」

「――」

「スイッチここね。わかりづらいよね」

「――」

「電気つけるとほら、虫がすごいのよ」

彼女の言葉は僕の耳には入ってこなかった。ただ響くのは激しく脈打つ心臓の鼓動の音だけだった。僕は気を落ち着かせてからやっとのこと口を開いた。

「一瞬――」

「え?」

「一瞬、明美が老婆に見えた」

「何言ってるの?」

「本当なんだ」

「やだね。私そんな老けて見える?」

「違うんだよ。暗闇の中で老婆の顔が映ったんだ。白髪だった」

「やめてよ。怖いから――」

僕は電球に群がる虫たちを眺めてしばらく考え込んでから、やはり見間違いかと思い直して、笑みを浮かべながら言葉を返した。

「――ていうのは冗談だよ」

「ねえ!ほんとにやめてよね」

服を脱ぎ終わると、明美に浴室の電気をつけてもらった。裸のまま入念にスイッチの場所を教えてもらってから浴室の扉を閉めた。


 翌朝、僕は義母の作った豪華な朝食を平らげてから寝室に戻り、布団の上に明美と寝転がっていた。

「お墓参り行く前に、ひいおじいちゃんたちにご挨拶してきなさーい」

と遠くから義母の声が聞こえた。明美はすぐに「わかった」と返事をしてから布団から起き上がり、僕に手招きした。

 仏壇は、骨董品や日本人形などが飾られた、いかにも風情のある部屋の奥にあった。日本人形の白い顔に黒髪で目がさらに黒に塗られていた。その瞳を見ていると畏怖の念を抱かざるをえなかった。慎重に線香に火をつけてから香炉に差して、鐘を鳴らした。その鐘の音を聴いていると、どこからか風が吹いて部屋が涼しくなった。明美のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんがガラスの板の向こうから僕のことを見つめていた。僕は正座を崩してあぐらをかいた。明美のことを観察していて、ふと引っかかるところがあった。

「そういえば、ずっと気になってたんだけど、明美っておばあちゃんどうしたの?」

「あれ、言ったことなかったっけ?」

「うん」

「もう死んじゃったわ」

「そうなの?なんかごめん、気が遣えなくて」

「別にいいわよ。特に悲しくもないし」

「え?」

僕は実家に来て初めて、自分の知らない明美の一面を見たような気がした。

「だから謝らないでって。悲しくないから」

「そっか。明美って意外と薄情なところあるんだね」

「失礼ね。私が生まれる前に死んでるのよ」

「あ、そっか。そういうことか」

やはり僕の妻は心の通った人間であったと安堵のため息をついた。と同時に、薄情だといったばかりに、妻の人間性を一度疑ったことをあからさまに打ち明けていることに気がつき、不意に恥ずかしくなった。

「でも、なんで死んじゃったのに仏壇には写真とかがないの?」

「あー」

と、もう何度も親戚から尋ねられたかのように、慣れた口調で語り始めた。

「おばあちゃん変わった人だったらしくてね。死ぬ前に遺書にこう残したらしいの――」


 私が息絶えた時にしていただきたいことを書き留めます。骨は墓に埋め   
 ぬようお願いします。川にでも捨ててください。それと、家の仏壇にも
 私の写真は立てないでください。遺品は売るなり捨てるなりご自由にし
 ていただいて結構です。


「そうなんだ。でもなんでそこまで?」

「家族のことが大嫌いだったみたい。ほら、じいじがああでしょ?」

僕は、昨晩怒鳴っていたお祖父様の顔を思い出して自ずと納得してしまった。

「じゃあ、川に捨てたの?」

「そこまでは知らないわ。お母さんもお父さんも、じいじもみんな話したがらないの」

「よっぽど嫌われてたんだね」

「うん。遺書だけはじいじがこっそり教えてくれたんだけどね」

「そうなんだ――」

と僕は、あたかも納得した口ぶりで軽く返事をしたものの、頭の中は多くの疑問で埋め尽くされていた。もちろんその一つは、昨夜脱衣所で一瞬目の前に映った老婆は明美のおばあちゃんなのではないかという、決して口に出せない疑問だった。


 寺の横にある駐車場に白のミニバンを停めると、義父が僕と明美に指示した。

「お前たち、とりあえず掃除だ。バケツと箒を持ってきてくれ」

「はい!」

と僕は妻の父親に、最大の敬意を払って返事をした。

明美はその様子を傍で見ながら、釈然としない顔で最初に僕が動き出すのを待っていた。おおよそ、毎年自分の役目だったものがこれからは僕の番になったとばかり思って調子に乗っているに違いなかった。

「明美も行くのよ」

と義母が声をかけると、ため息をついて嫌そうな顔をしながら車を降りた。

 墓地に入ると、昨晩降った大雨のせいかそこら中湿っていた。僕は明美の背後に残る薄いオレンジの香りを鼻に吸い込みながら、凛々しく立った墓たちを通り過ぎていった。どこの家の墓石を見ても、雨水が降った跡が目に見えるほど、艶々と太陽の強い光が反射して眩しかった。倉庫からバケツと箒を取り出すと、蛇口のある場所へと連れて行ってもらった。僕はバケツを水で満たしてから再び明美の後をついていった。

 ようやく明美が足を止めると、すでに義母たちが塔婆を持って墓の前に立っていた。僕はその墓を見て言葉を失った。墓地の中でも随一の大きさで、入念に磨き上げられた黒い光沢が煌々と輝いていた。その石の面には、


  先祖代々之墓


と金箔の入った文字で記されていた。その下の方には、家で見た皿と同じ――三つの葉が三方に開いて円に囲われた――模様が彫られていた。横には霊標板が建てられており、


  久保田家 霊標


という大きな文字の横に先祖の名前がぎっしりと詰めて刻まれていた。

「すっかり綺麗になってるじゃないか。こりゃご先祖様も喜んでるな!」

とバケツを持った僕の目の前で、義父が思ったことをはつらつと口に出した。僕は水を汲んだのは意味がなかったと悟って、ゆっくりとバケツを地面に下ろした。明美も箒を床に捨てた。

「しかしあれだな。うちの墓もだいぶ古くなってきた気がするな」

「ねえ、あんた」

と義母は、お祖父様の顔を一度伺ってから、同じ轍を踏みそうになった夫を睨みつけた。

「はいはい」

と義父は顰めっ面で返した。すると、お祖父様がぼそっと呟いた。

「今のは聞かなかったことにする」

その吐き捨てるような言葉を聞くや否や、義母は背筋を凍らせた。

 気を取り直して、義母は持参したビニール袋の中からお線香とライター取り出すと、一人一人に順番に線香を配っていった。僕はいざ線香を手渡されると、ふとここが自分の入る墓になるのだと思えて少しばかりか緊張した。

 お祖父様は慣れた手つきで線香を香炉に置いては、目を瞑って手を合わせた。次に義父が線香に火をつけ、同じように目を瞑った。すると、暑さのせいで気が狂ったのか自分の番が終わると、愚痴をこぼし始めた。

「あー暑い暑い。でも俺もいつかこの墓に入るのか――」

義父以外は黙ってそれぞれが線香をあげるところを見守っていた。

「そう思うと、もう少し派手にするのもいいかもな」

義母は黙って線香を香炉に入れてから目を瞑る。明美もその後に続いて線香を供える。

「なんたってうちは大地主の家系なんだからな」

ようやく僕の出番になり、煙の立った線香を指につまんで墓の前でしゃがみ込む。義父は我を忘れたように訴え続けた。

「地主ってのはやっぱり高貴でなくっちゃなあ」

そう一言、義父が呟いたときだった。

「恥を知れえ!」

と大きな掠れ声が墓地一体に響き渡った。僕は、後ろからしたお祖父様の異様な掠れ声に仰天して、指に束ねていた数本の線香を不意に指から離してしまった。

 その日は真夏にもかかわらず案外涼しかった。昨晩降った大雨のおかげで地面が熱くならずに済んだようだ。雲ひとつない空は限界まで膨らんだ風船ぐらい透明な青でこの世界を包み込んでいた。そんな快晴の真下で、一つの怒鳴り声は響いた。線香が底につくまでは、あっという間だった。線香の落ちる間に、見えない火はゆっくりと芯をたどりながら反対方向へと垂直に進み、付近に薫りを立たせた。線香の持ち手が地面を掠ると、先の方の燃焼部が勢いよく床を叩けて灰を散らせた。その瞬間、布を勢いよく破いたような鋭い響きとともに、火はたちまち石の表面を伝って墓石全体に燃え移った。先祖の名の刻まれた霊標も塔婆も炎に包まれて見えなくなった。訳もなく瞬く間に久保田家の墓は、激しく燃え上がったのだ。

序後編に続く


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