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【短編】『赤い鉛』(後編)

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赤い鉛(後編)


 目を覚ますと、いつもの自分の部屋の天井とは違い、黒い細かい斑点の入った天井が目に映った。ベッドはクリーム色のカーテンに覆われて自分が今どこにいるのかすらわかりかねた。周りからは人の声が聞こえるが、それもうまく聞き取れなかった。腕にはチューブが刺さり、頭上にある袋の中から液体が体内に入っていくのを感じた。

「お目覚めですか?」

気がつくと、目の前に看護師がいた。

「何があったか覚えていますか?」

「いえ」

「あなたは車に衝突されたんです。運転手の方が救急車を呼んでここに運ばれました」

「そうでしたか」

「事故に遭う前の記憶はございますか?」

「確か友人と食事をしていたような」

「明確には覚えていないのですね?」

「そうみたいです――」

「事故後の突発的な記憶障害はよくあることです。ご心配なさらず」

「あ、はい」

「体調が戻りましたら、そのまま帰っていただいて結構です。賠償請求はご自身で判断お願いします。運転手のお名前と御連絡先は受付にて控えております」

「わかりました」

看護婦は点滴のチューブを取り外すと、優しく微笑んで部屋を去っていった。僕は体を四十五度左右にひねらせて体が動くことを確認すると、ベッドの横に鞄が置いてあるのを見つけて起き上がった。

 大学院の授業を終えてから、学内のカフェで時間を潰そうと思った。座席を選んでからアールグレイを注文した。カウンターで待っていると、店員が白いカップを差し出してきた。アールグレイを頼んだはずが、出されたのは青く透き通った色の紅茶だった。僕はすぐに注文を聞き間違えたのだと思い店員に聞いた。

「あの、僕アールグレイを頼んだんですが――」

「はい。こちら当店限定のアールグレイでして――」

と店員はもっと紅茶について語りたいといった様子で目を輝かせて答えた。

「そうでしたか」

と言って僕はカップの乗ったトレーを持って自分の席へと戻った。

 突然地面が大きく揺れた。震度七弱といつもよりだいぶ強い揺れだった。しばらくして店員が店内のモニターのチャンネルを回すと、ニュースが流れた。つい今しがた発生した地震による被害の状況を中継で見せていた。友人の家の近くのようだった。かなり大きな被害で古い建造物が道路側に傾き、すでに崩れてしまっている建物まであった。ふとテレビ画面が別の景色を映し出した。そこには、瓦礫の下敷きになっている男の姿があった。その映像には下半身だけが映っており上半身は瓦礫で隠れていた。すぐに救急隊が駆けつけ、瓦礫の山を他へと移した。中継は終了した。僕は信じられなかった。こんなあっさりと人は身動きが取れなくなってしまうものなのかと人間は無力であるという事実から目を背けたくなった。

 家に帰っても、瓦礫の下にいた男のことが頭から離れず、なんだか居心地が悪くなってすぐさま家を出た。なんの目的もなくただ家の近くを歩いていると、急に女が道を尋ねてきた。

「あの、近くにお金持ちの人って住んでたりしませんか?パーティーの住所がわからなくて」

僕は誰のことかさっぱりわからなかったため首を横に振った。すると、女は続けてこう質問した。

「あなたすごく悲しそう。もしかして大切な人とお別れをしたの?」

僕は突然のその質問にただ何も答えず女の顔を見ていた。女は何も話さない僕に呆れてそのまま僕の横を歩いていった。とその時、金属とプラスチックがぶつかる妙な音がした。後ろを振り返ると、バッグのジッパーにディズニーのティンカーベルのストラップが付いているのを目にした。僕はどこか違和感を覚えた。

 家に戻ると、携帯電話が鳴っていた。すでに五件の通知が届いていた。何か嫌な予感がしたためそれを取りたくはなかった。しかし、緊急だとしたらどうしようかと思い、携帯電話を耳に当てた。僕の嫌な予感は的中した。警察からの電話だった。友人が亡くなったとのことだった。なんでも倒れてきた本棚の下敷きになったらしい。警察は鞄の中からとある本を見つけたらしい。その本のページの間に挟まっていた紙に僕の研究員の名刺が挟まれていたため電話をしたと言ってきた。本の名前を聞くと『赤い鉛』と言った。確かに、名刺を挟んだのは自分だった。しかし、友人はすでにあの本を知人に返して持っていないはずだった。友人の突然の死と、その本を持っていたという謎が僕の頭を混乱させた。とその時、ふと本に書いてあった内容が断片的に蘇った。瓦礫の下敷きになった男。パートナーを失った男。パーティーに登場した妖精の女。友人が口にした「青い鉛」。全てが無秩序のまま一つの世界観として形を成し、その不可解な現実を突きつけられた。僕は今まで感じたこともない絶望感を味わった。友人から借りたあの本を読んでから何もかもが変わってしまったように思えた。

 僕はパソコンを開いて本のタイトルを打ち込んだ。すると、同時に著者のプロフィールも表示された。無職、三十二歳、元自然ドキュメンタリー番組のカメラマン。僕は彼のSNSアカウントからよく訪れる場所を特定して彼のことを尾行した。男は家に入り、窓を全開にした。僕はその窓から家の中にこっそりと侵入した。男の姿はなかった。リビングには昆虫の入った透明の入れ物がいくつも重ねて置かれていた。その中にいた昆虫を見て、僕の目は止まった。そこには一匹の小さなてんとう虫がいた。僕はすぐにあの小説の装丁を思い出した。赤い背景に黒い丸。すると、何かを踏んだせいか軽い衝突音が部屋に響いた。床には小さな複数のステンレス球が一つの塊に集結していた。磁力があるようだった。しかし、そのすぐそばに一つだけ集結せずに、同じ場所に留まる球があった。僕は人差し指と親指でそれを拾い上げると、突然何かの弾みで球が砕けてしまった。

「誰だ?泥棒か?」

「違います。あなたに聞きたいことがあってきたんです」

「不法侵入罪で訴えるぞ?」

「どうぞ。その前に一つだけ教えてください。あなたは何者ですか?なぜ僕のことを監視しているんですか?」

「何を言っているんだ?俺はお前のことなど知らん。さっさと出ていけ」

「そうですか。もう一つ質問があります。あなたは、一線を超えてしまったという自覚はありますか?」

「警察を呼ぶ」

と言って彼は僕に背中を向けた。僕はその隙に右ポケットに入っていた短い縄を取り出して後ろから襲いかかった。彼は僕のことにまったく気づかず易々と僕に首を締められることを許した。無理やり体を捻るが僕は器用に縄を回転させて再び首を絞めることに集中した。長く締め続けていたはずだが依然として男は耐え続けているようだった。彼は歯を食いしばった状態で僕の顔をまじまじと見つめながら最後の言葉を告げようとしていた。顔はすでに真っ赤に染まり上がり、汗が全体を覆って照明の光を白く反射させていた。彼は自分の首を縛っている縄を必死に両手で掴み、内側の血管が締め付けられないようにと全意識を指先と首の付け根の筋肉に集中させた。僕は彼の最後の言葉を聞くまでは殺すまいと一定の力でもって両腕を固定させていた。

「あの本は一体なんなんだ?何を企んでる?答えろ!」

彼は答える余裕がないのか、口を閉じたまま顎に力を入れ続けた。一度縄を数センチ緩めると息を吹き返したように荒く呼吸を繰り返した。

「どうなんだ?」

彼は何も答えなかった。僕は決意が固まり、彼の首を再び縄でしめ上げた。しばらくして彼は抵抗すらしなくなった。目の力が抜けていくのを見ていると、突然頭の重みを感じ取った。僕はすぐに彼を床に寝かせた。じっと彼の機能不全となった身体を眺めながら、近くにあった椅子と縄を持って奥の部屋へと向かった。


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