【42】 『脳みそジャーニー』の危機。自己肯定感の「ありのまま」問題
病院で『ほめ日記』という自分を褒める本を読んだことにより、その後、自己肯定感について改めて学びたいと思うようになりました。
6種類に細かく枝分かれしている自己肯定感。
これら6つをまとめて「自己肯定感」というのだそうです。
それぞれを眺めてみると、どれも「やや低い」と感じるのですが、なかでも⑤番の「自己受容感」は確実に低いと思いました。
ありのままの自分を認める感覚。
「ありのまま」というワードは、アナ雪の主題歌が流れる頃から、すっかり日本でも定着しましたが、「ありのままの自分てなに?」と、考え始めると結構ドツボにハマる感じがする言葉です。
生まれた瞬間の素の自分を「ありのまま」と表現するならば、大人の私は幾重にも着ぐるみを着て生きています。そしてもはや「着ぐるみ」だと気づかずに、それを「ありのまま」と思って生きていたりします。
そうなると②の「自己決定感」だって、本当になんでも自分で決めて生きているようで、社会の常識や固定観念にとらわれたまま、皆に倣っているだけのことも。
哲学者カントは「我々は、他者の指示を仰いで生きていた方が楽なのです」と、人間のならわしを揶揄する言葉を残しているそうです。
……などと、「ありのまま」という言葉ひとつにひっかかり、考え込んでしまう私。
いや、分かっているのです。
この場合の「ありのまま」というのは、
ざっくりと、こういうことですよね、きっと。
しかし!
ちょっと待ってくれ。
そうであるならば、私がこれまでにせっせと自分自身を矯正しようと努めてきた『脳みそジャーニー』は一体どうなってしまうのか?
という図式が成り立ってしまいませんか?
「……なんかわからなくなってきました!」
脳みそのミソちゃんもおろおろし始めているのが分かります。
「ちょ、ちょっと、ミソちゃん。落ち着いて考えよう。そもそもの私とミソちゃんの目的ってなんだっけ」
そのためには、不安や恐怖、ネガティブな思考に苛まれ、くよくよし続けて大切な一日を台無しにする自分のクセを修正したい。そのための方法として、脳みそのクセに気づいて軌道修正をし、
「毎日が楽しい」「私って、なかなかいいじゃない」と思える状態を作り上げたい。
「ふーん……そうだよね。ミソもあんたも、幸福に生きたいだけなんだよね」
そう言ってミソちゃんがうなずいています。
「そうそう。幸福になるために、自分の考え方のクセを変えようっていうのはいいと思うんだ。良くなりたいと思って、人は変化していくものでしょう?」
「そうか! ミソは分かった気がする。自分の目標とか、ここを直したいって気持ちはそれとして。とりあえず、それが達成できていない現在の自分もまるごと認めてやれってことなんだろうね!」
「まさに、そうだ! 現在を、足りていない自分として認識していると、なりたい自分になるまで永久に苦しみ続けることになる。つまり一生涯、『私は、ここが足りてない』って自分を認められないまま、死ぬ日を迎えることになるってこと……」
「………………そんなのは、イヤだよ、絶対に」
ミソちゃんが私を見つめてきます。
「そうだよね、それこそ幸せに生きることを阻む考え方だよね。だから現在足りていない自分を「30点」と断罪せずに、『今日は今日で自分は100点、充分に頑張っている』と認めてやることなんだと思う」
「うんうん、自己受容の意味が、ミソも分かってきた……ねえねえ、あんた『ほめ日記』をやってみようかって言ってるけど……自分を褒めていくと、もっと何か変わるのかなぁ」
「ミソちゃん! すごい! やる気になったの?」
「やってみたらいいんじゃないの。なんでも、やってみないことには分からないもんね」
「ミソちゃん!!」
ミソちゃんがそんな風に考えられるようになったこと自体が、私にとっては感動的なことでした。
これまでは⤵
「人は変われない」と根強く信じ込んでいる遺伝信者の私。
考えてばかりで行動が伴わなかった私。
そんな私が、ミソちゃんと対話を続けることで、「変わろうと思わないと、人は変わらないのだ」という当たり前の気持ちを持てるようになってきているのでした。
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