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恋をする上での“葛藤”(“好き”の基準/周りからの評価/好きな人の“好きな人”/感情の無限ループ/想いを伝えるかどうか)

前回の内容はこちら▼

恋をすると起こる「葛藤」

恋をする上で悩まされる、「葛藤」。

恋をする上で、「自分の中での相反した感情」に悩まされることがある。

好きな人の良さを、周りの人にも知って欲しいが、誰にも知られたくはない。
好きな人に会えない時の「辛さ」と、会えた時の「幸せ」が、無限ループする。
好きな人に、「想いを伝えたい」と思うが、「想いを伝えずにいたい」とも思う。

このように、「感情の矛盾」によって生まれる葛藤についてまとめていった。




①「好き」の基準について
ー 無理に感情を形に当てはめる必要はないのに、永遠と考え続けてしまう ー

相手に対する『好き』という感情が、恋愛的な『好き』なのか、単純に友達として・人として『好き』なのかわからずに、永遠と考え続けてしまうことがある。
どこからが『恋愛感情』なのか、境目がわからない。

特に、それまでの人生で感じた「恋愛感情」とも違うし、ただの「友情」とも違う、未知の感情に出会った時は、自分の過去の経験と比べたり、基準に当てはめることができないので、なにもわからなくなってしまう。

本当は感情に境目なんてないのも分かっているし、感情を無理に形に当てはめる必要がないのも分かっている。
考え続けても答えなんて出ないし、わからないままでいるのが一番幸せなのかもしれない。
それに、相手に対する感情が、どんな感情であろうと「大切な相手」という事実に変わりはない。

それでもやっぱり、無理にでも「形」に当てはめたくて、永遠と考え続けてしまう。

感情に「名前」をつけることで、安心したいだけなのかもしれない。
「名前」をつけてあげることで、自分で自分自身の感情を理解することも、人に対してわかりやすく伝えることもできるから。

それとも、「恋をしている自分」に酔いたくて、無理矢理にでも「これは恋愛感情だ」ということにしてしまいたいのかもしれない。






②周りからの好きな人への評価
ー 好きな人が周りに好かれても嫌われても嫌 ー

自分の好きな人のことを誰かが悪く言っているのを聞くと、悔しくて悔しくて仕方がないが、
だからと言って、その人のことを『好き』だという人が増えても、自分の心が苦しくなるだけ。

本当に複雑な感情。

好きになった人に対して、「全人類、この人の良さをわかってほしい」「布教したい」と思うが
「私以外誰もこの人の良さを知らないで欲しい」という思いもある。

好きな人のことを、こんなに好きなのもこんなに大切に思っているのも、別に自分だけではなくて、他にも沢山いるのだという事実に辛くなる。
でもやっぱり、好きな人には、沢山の人に愛されて欲しい。

どうしようもない矛盾。




③「好きな人の好きな人」の話

ー 幸せになってほしいけれど、幸せにならないでほしい ー

好きな人から、その人の「好きな人」の話を聞くと、自分の中で複雑な感情が混ざり合って、よくわからなくなってしまう。

好きな人の「好きな人」の話は、もちろん「聞きたくない」という思いもあるが、「聞きたい」とも思ってしまう。

まず一つ目に、好きな人に関することはどんなことでも全部知りたいので、「好きな人の好きな人」の話でさえも、聞きたくなってしまう。

二つ目に、好きな人が、あまり周りには話していないような「好きな人」の話を自分にだけしてくれるというのが、幸せすぎて仕方がない。
「独占欲」が満たされてしまう。

そして三つ目に、「好きな人の幸せそうな顔を見ているのが幸せ」というのがある。
その人のことを本当に好きなんだな、というのが伝わってくるような、愛のこもった話し方。
好きな人が好きな人を想っているその愛情こそが、私にとっては、世界中の何よりも愛おしくて尊くて大切なもので、絶対に守り通したいな、と思う。
好きな人が、「一人の人を好きでい続ける一途なところ」とかそういうところも全部含めて大好きなので、ずっとそのままでいて欲しい、と思う。

好きな人の好きな人のことを、嫉妬したくても、恨みたくても、憎みたくても、
好きな人が幸せそうにしているのを見ると何故か恨めなくなってしまうし、全部許せてしまう。

「私の好きな人に、こんなに幸せな思いをさせてくれて、こんなに尊い感情を芽生えさせてくれて本当にありがとう」と、感謝さえしたくなってしまう。

そんなことを思いながらも、やっぱりちょっとだけ、胸は痛い。


自分の好きな人には、とにかく幸せになって欲しい。
もういっそ、その人が、私の好きな人のことを幸せにしてあげてくれないかなあ、と思う。
「好きな人の好きな人」なのだから私は信じるし、どんな形でも良いからとにかく幸せになってほしい、と思う。

それでも、実際にそうなったら自分がしんどくなるのは目に見えているし、絶対に辛くて苦しくて、見ていられないだろうな、とも思う。

とりあえず、好きな人の幸せを願うことしか、
私にはできない。

でも、それこそが私の「幸せ」なのかもしれない。




④感情の無限ループ
ー 「辛さ」と「幸せ」の無限ループ ー

好きな人と会えずに、家で一人で考えている時は、少しの出来事で、「もう死んだ方がいいかもしれない」というレベルで病んでしまう。

好きな人が他の人と仲良くしていたり、遊びに行ったりしているのを見て、辛くて、苦しくて、しんどくて、もうこれ以上耐えられない、次に会ったら全部ぶつけてしまいたい、そうでもしないとこの苦しさは報われない、もうどうにでもなってしまえ、と思う。

全部空回りしてるのが一周まわって馬鹿馬鹿しくなってきて、もう全部辞めたくなってくることもある。

そのくせに、いざ好きな人と直接会って話すと、少し話しただけでも一緒に居られるだけでも幸せで、幸せすぎて仕方がなくて、嫉妬とか辛さとか、そういうのももう全部どうでも良くなってしまって、この何気ない幸せが永遠に続けばもうそれだけで良いや、と思って満足してしまう。

「辛さ」が、「幸せ」にかき消されてゆく。

しかし結局、一人になった瞬間にまた辛くて辛くて仕方がなくなる、という無限ループ。

せめてどちらかにして欲しい。
どうしたら良いのかわからなくなる。






⑤想いを伝えるかどうか
ー 好きな人に、「想いを伝えたい」「想いを伝えずにいたい」の葛藤 ー

100%自分の片想い状態で、告白したら断られる、とわかりきっている相手に「自分の想いを伝えるかどうか」という問題。

「こんなに好きだという想いを好きな人に知って欲しいし、ちゃんと振られてからでないと、自分の中での諦めもつかない」
という思いと
「告白して振られて、気まずくなってしまうのは嫌。今のままの関係でいいから、好きな人と普通に話せる距離感でいたい」
という思いの間で揺れる、葛藤。


「想いを伝えたい」側の主張は、主に四つある。

まず一つ目は、「自分の辛さを軽減するため」
想いが溢れすぎると、行き場がなくなって、
辛くなって、限界になって「今すぐにでもこの想いを伝えたい」と思ってしまう。
相手にこの想いを知ってもらわないと、報われない。

二つ目は、「後悔したくないから」
物事は基本的に、やってみないことには何も始まらないし、どうせ砕けるにしても、当たってみないと確実に後悔する。
普段「迷ったらとりあえず行動」の精神で生きている私が、ここで行動力を使わずにいつ使うの?という感じ。

三つ目に、「好きな人の自己肯定感を上げたいから」
私みたいな人間からだとしても、「一人の人間にここまで好かれている」という事実が分かれば、好きな人の自己肯定感を少しでも上げることができるのではないか、と思う。
好きな人が比較的、自己肯定感が低めの人だと、余計にそう思ってしまう。

そして四つ目に、「もうどうにでもなれ」という開き直り
どうせ叶わないのなら、もういっそのこと開き直って「叶わない」前提で全部伝えてしまいたい。
全部壊れて自分が傷つくところまで傷ついて、諦められて終わりにできるならそれが一番良いんじゃないか、と思ってしまう。

ここまでが、「想いを伝えたい」側の主張。


対して、「想いを伝えずにいたい」側の主張は、主に二つある。

まず一つ目に、「好きな人と距離ができてしまうから」
もし告白して断られて、気まずく感じるようになったら、好きな人と距離ができてしまう。
そんなリスクを犯すくらいなら、このまま何もせずに、普通に好きな人と仲良くし続けられる方が良いに決まっている。
好きな人と、ただ普通に会えて普通に話せて普通に仲良くできて普通にそばに居られたら、それが一番幸せなのだと思う。
この「幸せ」を失ってしまうのは、どう考えてももったいなさすぎる。

二つ目に、「相手を裏切ってしまうことになるから」
好きな人と、普通に「友達」という関係性であった場合、「想いを伝える」というのは、自分のことを「友達」として信用してくれている相手を裏切る、という形になってしまう。

ここまでが、「想いを伝えずにいたい」側の主張。

これらとは別で、「伝えたいけれど伝えられない」というものもある。

「好き」という感情は、伝えたくても、そんな簡単に伝えられるわけがなくて、毎日一人で考えながら、心の奥が痛くて痛くて、泣いてしまう。
嫌われるのが怖くて、でも伝えずにいるのも耐えられなくて、本当に苦しくて、泣くことしかできなくなる。

「伝えられない」理由の一つとして、「言葉にすると軽々しく聞こえてしまう」というのもある。

相手に対して「好き」と思えば思うほど、簡単に伝えたら軽々しくなってしまうような気がして、安易に褒めることすらできなくなってしまう。
気持ちの大きさに、語彙が追いつかない。
自分の中で「好き」を噛み砕くのが精一杯。

本来ならば、自分よりも相手の気持ちを優先で考えたいところだが、盲目的な恋をしているとどうしても視野が狭くなって、「自分優先」の行動をとってしまう。
誰よりも好きなはずの人のことよりも、自分の気持ちを優先させたくなってしまう。

私はそうやって、これまでに何度も失敗を繰り返し、黒歴史を積み重ねてきた。
何歳になっても学ばない。同じことを繰り返してしまう。

恋とは、そういうものなのだと思う。

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