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「“私”による翻訳」あとがき

冊子についての解説はこちら▼

私は大学の卒業制作で、“恋愛感情”をテーマに、4冊の冊子を制作した。

これまでは、その4冊の中でも、自分なりの「恋愛観」「恋愛感情」について述べた『“私”による翻訳』という冊子の内容について紹介してきた。

今回は、その冊子についての、全体的な分析や考察について述べていきたい。
(「あとがき」より引用)


この冊子を制作していく中で気がついたことについて、考察していこうと思う。

まずは、全体の分類についての考察だ。

全体的な分類としては、「恋愛観」「感情」に大きく分かれる。

「恋愛観」は、項目がそれぞれバラバラなので、傾向などは掴みづらい。

「感情」は、全体的に「恋心」「失恋後の感情」に大きく分かれる。
そこから、「幸せ」「辛さ」「葛藤」「願望」など、さらに細かく分類されていく。

分類をしていく上で気がついたことは、主に7つある。

まず1つ目に、全体的に、「恋愛観」よりも「感情」の方が項目数が多いということだ。

「感情」は、一度経験するだけでも、自分の中に「記憶」として永遠と残り続けるが、「恋愛観」は、何度も恋愛経験を重ねる中で構築されていくものである。
私自身、まだ「恋愛観」を構築するには、経験不足なのかもしれない。


2つ目に、「感情」の章では、他に制作した冊子『“現代の作詞家”による翻訳』(楽曲の歌詞についての冊子)や『“古の歌人”による翻訳』(昔の和歌についての冊子)と、ほぼ同じような項目・並び順になったということだ。

全体的に見ても共通する項目が多く、「恋心」から「失恋」まで一連の流れができ、グラデーションになっている、という点も同じである。
また、「失恋後の感情」よりも「恋心」の項目の方が若干多いというのも、歌詞や和歌との共通点である。

この理由としては、歌詞や和歌の冊子も、私自身が無意識に「共感したもの」「心を動かされたもの」ばかりを選出しているため、「自分の感情」と同じような項目ばかりになってしまったのではないか。

3つ目に、この冊子全体では「恋をすることの幸せ」の項目が圧倒的に一番多いということだ。

この理由としては、この冊子ではまとめて「恋による幸せ」に分類してしまったものを、歌詞の方では「恋による感覚」「好きという意識」「恋による影響」「頭の中を埋め尽くされる」に分類していたり、和歌の方では「恋心」に分類している、というのもある。

しかし、私の中では、それらも含めて「幸せ」であることには間違いがない。
「恋をする幸せ」について表した歌詞や和歌は、私の中での感情と比較すると、少ないのではないか。

私はこれまでに、恋による「幸せ」を 人一倍味わってきたのかもしれない。もしかしたら、私にしか表現できない、恋による「幸せ」があるのかもしれない。
そう考えると、自分自身の新たな可能性を見つけ出せたような気がして、ワクワクしてくる。


4つ目に、「願望」の項目は、『“現代の作詞家”による翻訳』や『“古の歌人”による翻訳』の冊子と比べると少ない方だということだ。

恋をする上で芽生えた願望や欲望は、「行き場のなくなった想い」として、歌詞や和歌などに表現することで、昇華していくケースが多いのではないか。
そうなると、必然的に、歌詞や和歌の冊子の「願望」の項目は多くなってくる。

それとも、この『“私”による翻訳』の冊子の中では、「願望」を他の項目の中に含めてしまったものもあり、少なく見えているだけかもしれない。


5つ目に、「恋心」や「失恋」の章には、全体的に「葛藤」「感情の矛盾」が多いということだ。
これは、他の3冊の冊子にはあまり見られなかった、特徴的なものだと感じた。

この理由について、いくつか考えてみた。

まずは、私自身の特性によるものだ。
私は、1つの物事について考え始めると、止まらなくなってしまうということが多々ある。中でも「恋愛」となると、特にそうだ。
その結果、1つの対象に対して、相反した感情に気付き、悩まされることが多いのかもしれない。

次に、歌詞や和歌への表現のしづらさによるものだ。
和歌は、5・7・5・7・7 の文字数の中で表現しないといけない、という縛りがある。
歌詞は、約5分間の歌の中で表現しないといけなかったり、メロディーに合わせないといけないという縛りもある。
「感情の矛盾」「葛藤」といった複雑なものを表すのは、なかなか難しいのではないか。

また、「感情」に比べ、「恋愛観」や「葛藤」にはかなり個人差がある
歌詞や和歌には、同じような「葛藤」を表現しているものは少なく、 全部バラバラだったりして、分類できるほどの数がないのかもしれない。

あとは、私自身の分類方法によるものだ。
『歌詞』の冊子では、「葛藤」を表した歌詞を「葛藤」としてではなく、感情を2つ以上に分け、別々
のものとして分類してしまったのかもしれない。


6つ目は、この冊子には、相手に「振り回される」「傷つけられる」「裏切られる」や、相手のことを「恨む」などの項目がないということだ。

この理由としては紛れもなく、自分がこれまでの人生で、そのような「自分のことを傷つけてくるような人」を一度も好きにはなってこなかったからだと思う。
本当に幸せなことだと思う。

しかし私は、自分が一度もそんな経験をしたことがないにもかかわらず、そういった、「最低な相手に傷つけられた」歌詞などに魅力を感じてしまう。何故だろうか。

それはきっと、「共感」はできなくても、「感情移入」「擬似体験」はできるからだと思う。
歌詞などの表現がリアルだと、実体験したことのない内容であっても、その場にいるかのような臨場感を味わい、「擬似体験」をすることができる。
その「辛さ」を自分ごとのように感じ取ることができるから、好きだと思えるのかもしれない。

それから私は、「傷つけられたり裏切られたりしても、健気に相手を想い続けるような、綺麗な心を持っている人」が好きなので、その歌詞の「主人公」を好きになるから、楽曲自体も好きになるのかもしれない。


7つ目は、この冊子には、失恋後にも「願望」の項目があったり、「失恋から回復するために」という独自の項目があったりするということだ。
楽曲の歌詞などにも、「相手のことを忘れよう」と努力する様子を歌ったものはあるが、私自身のように「相手に関する情報を断つ」「自己 暗示をする」「無理矢理前向きに考える」などの具体的な内容は、そこまで見受けられなかった。

自分は、失恋の辛さから立ち直るために、試行錯誤を重ねているのだと思う。失恋後の「願望」も、失恋から立ち直るためのものでしかない。

これらは、「失恋から早く立ち直ろう」「早く忘れよう」「自分のメンタルを回復させよう」と、自分が自分のために、努力してきた証なのではないか。



ここからは、全体的な、私自身の「恋愛」における特徴について、考察していきたい。

まず、私は周りの人と比べ、恋を「人生の中心」としているということに気がついた。『“現代の若者”による翻訳』の冊子に掲載しているアンケートでは、恋愛至上主義での生きづらさを主張した回答や、「恋をする楽しさがわからない」といった意見もかなり多く見受けられた。
それらと比較すると、私はかなり、恋愛を「人生の中心」とした生き方をしているように感じる。

また、私は全体的に、生き方の軸として「幸せになること」「自分で自分を好きになること」というものがある。
恋愛においても、悩んだ時などに、この考え方を軸に生きている、というのが感じ取れるような気がした。

それから私は、「人として好き」ではないと恋愛的に好きにはなれないという特徴も大きい。
これは、割と一般的なことなのかもしれないが、自分は特にこの思想が強いように感じる。

これらが、私自身の「恋愛」における考え方の特徴であると感じた。



また、私はこれまでに、自分から強い「恋愛感情」を持った相手に対して、恋が叶った経験がない。「叶わない恋」しかしたことがない。
また、「一度付き合った恋人と別れる」といった失恋経験もしたことがなく、この冊子には基本的に「片想い」の相手に対する感情しか載せていない。
そのため、かなり偏った内容にはなってしまったかもしれない。

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