「“演じる”ことができない」

今回は、私が日常生活で悩んでいることについて書こうと思う。

ちょうど今から1年くらい前に、自分の悩みを文章化する機会があった。
今回はその時に書いた文章を元に、少し推敲しながら載せていこうと思う。


①小さい子と話せない
②サラダを取り分けられない
③ボディタッチができない
④面接で話せない
⑤バイトで返事ができない


私は、これまで悩んだことのある上の5つの事柄について、すべてに共通して原因となっているのが「“演じる”ことができない」だということに気がついた。

私は、人前で自分を偽ることができない。

「自分ではない自分」を演じることで、「それなりにうまくやる」ことができない。

人に「自分をよく見せよう」と努力することができない。

今まであまり人に共感してもらえたことのない悩みなので、分かってもらえなくてもいい。
ただ、1人でも共感してくれる人がいたら、私の心が救われるんだろうな、と思う。



まず、3年ほど前に、

①小さい子と話せない
②ボディタッチができない
③サラダを取り分けられない

この3つについて悩むことがあり、考えていた時期がある。


まず①「小さい子と話せない」は、当時バイトしてたコンビニで、レジ打ちの際に、小さい子がお客さんとして来た時に感じた悩みだった。
幼稚園児や小学校低学年くらいの子がレジに来た時、子どもと話すのに慣れている人は「袋は大丈夫?☺️」「(出したお金に対して)あと10円だね〜☺️」「ありがとう〜ばいばい〜〜👋😊」と終始子ども目線で話しかけているし、それだけではなく、「(持っているおもちゃに対して)それかっこいいね〜!どこで買ったの?☺️」とかまで言っていたりする。

私はどうしてもそれができない。
小さい子が来ても、普通に大人に対応するのと同じような対応(袋にお入れしますか?とか、敬語で提携文を言うだけ)しかできない。
たまに小さい子の方から話しかけられることもあるが、それに対しても、どうしても微妙な反応しかできない。(精一杯の苦笑いと言葉にならない声)
どんなに頑張っても、帰り際に手を振られたのに対して振り返すのがせいぜい精一杯。
だから、小さい子への対応に慣れている先輩とかとシフトが被ると、地獄だった。その人を見ながら羨ましくて仕方なかったし、泣きたくなるし、とにかく自己嫌悪。

私は別に子どもが嫌いとかではなく、むしろ大好きだし、本当に可愛すぎて見ているだけでニコニコになってしまうし、
私の将来の夢の1つとして、「絵本作家」があるのだが、どう考えても子どもに関わる仕事だし、
就職活動中には子ども関連の会社も見ていたし、
中学の職業体験でも高校で取っていた保育の授業でも、保育園に行ってしまうくらい子どもが好きなわけで
でも、高校の授業で保育園に行ったときでさえ、同じ授業を取っていた同級生と比べて全然うまく話せなくて、死にたかった記憶がある。

なんで無理なのかを考えてみた結果として、
・自分が、子どもと同じ目線で、明らかな猫撫で声で話しいるのを想像しただけで、キモすぎて吐き気が止まらなくなるから。
それを他の大人とか、同じくらいの歳の人に見られていると思うともっと無理。
お前のことなんて誰も大して気にしてないよって突っ込まれるだろうけど、それも勿論わかった上で無理。

また、つい最近、他の大人があまり見ていない状況で子どもから話しかけられる機会があったのだが、
他の人に見られている状況の時と比較するとまだ少しは話せたような気はするが、それでも、その子が言ってきたことに対して「すごいねー(棒読み)」くらいでしか返せなかった。
本当なら、「すごいね!!!😳それどうやってやってるの!?!?」くらいのオーバーリアクションをしたいところなのに。

これらを、「演じるのが苦手」と結びつけて考えると、やっぱり「子ども目線の猫撫で声で話す」ということや「オーバーリアクションで返す」ということが、普段の自分とは違う別の人格を「演じる」ことになっているから無理なんだろうな、と思う。

あとは、自分の中で「子どもと話すのが上手い人」=「家庭的で大人の余裕がある落ち着いた人」のイメージがあって、私はそれとは全くかけ離れているから、「偽りの自分を演じる」ことに繋がって、もっと無理になっているんだろうな、とも思う。



②「サラダを取り分けられない」は、男女両方が参加する飲み会の場とか、例えば合コンに参加することになった場合とか、の話。(親しい女友達しかいない場とかなら全然大丈夫。)

「サラダを取り分けられない」はあくまで一例であって、そういう類の「気が利く人間」を演じる行為全般が無理なんだと思う。

例えば、私が飲み会とかに、たまたま最初の方に着いてしまったとして、他の人が来る前にあらかじめ取り分けておく、とかだったら喜んでやるんだけれど
全員席について食べ始めよう!ってなって、サラダが運ばれてきた時に、真っ先に自分から取り分ける、みたいなのはどうしてもできない。

どう見ても自分しか届かない場所にサラダがあって、これは自分がやるしかなさそう、ってなったら一応頑張ってやると思うが、普段そういうことをしていなさすぎて、超不自然になると思う。

サラダを真っ先に取り分けるような人は、気が効くし男女問わずモテそうだし、普通にそれが他人だとしたら好感度は高いけれど、自分がその立場になるっていうのを想像した途端、これもやっぱりちょっと吐き気に襲われる。

「サラダ自分から取り分ける人」に対しての私の中でのイメージは、「周りのことをよく見ていて気が利く人」という感じで、あとこれはただの偏見だが、女の人の場合、男の人全般から好かれるような計画的であざとい女!というイメージが勝手にある。(ディスってるわけではない。)

だから、自分は全く周りに気配りできるような大層な人間じゃないし、計画的な人間でもないから、自分の本性とは全く別のタイプの人間を「演じる」ことはできないし、偽りの姿では好感度を稼いでいる自分を想像するだけでどうしても気持ち悪くて仕方がない。
他人に「この人は気が利く人なんだ」と勘違いされるのが苦痛で仕方ない。

あとは、単純に量とか配分を均等にする自信がないから、取り分けるなら得意な人がやってくれた方が良いし、なんなら苦手な食べ物とかある人もいるだろうから、食べたい人が食べたいだけ自由に取る方式が1番いいんじゃないか、といつも思う。






③「ボディタッチができない」は、彼氏とか付き合っている相手に対しては別。
付き合っていない、ある程度の距離感を保っている相手の場合の話。

好きな人とか気になっている人とかが相手だった場合は尚更だけれど、別に、普通に仲の良い同性の友達相手とかだとしてもあんまりできない。
「自分から人に触る」ということへの嫌悪感。

まず、相手が自分のことを(恋愛的に)好きという確証がない限り、1ミリでも触れたらその瞬間嫌われるに決まっている、というのがある。
だって例えば、自分が街中を歩いていて、初対面の知らないおじさんとかに急に触られたら嫌悪感しかないじゃん、それと同じ。

・ボディタッチをしている自分がまずキモくて吐き気が止まらない
・相手のことを神聖化(?)していればしているほど、自分が1ミリでも触れたら汚してしまう感じがして無理
・自分が他の人だったとしたら、こんなくそキモい奴に触られたら生理的に無理になるだろうな、という気持ち
(付き合っている相手とかの場合、それをしても許してくれるでしょ!と言う謎の安心感があるからベタベタ触れる)

もちろん周りで自然にボディタッチ出来る人は、なんかすごいな〜って思うし、尊敬の気持ちすらある。そういう人を否定したいわけではない。

ボディタッチをできる人の私の中での勝手なイメージは、「自分に自信がある人」「恋愛経験がわりと豊富な人」「計画的であざとい人(これもディスっているわけではない)」。
これも、自分がボディタッチをすることで、偽りの自分になってしまうのが嫌。

あとは、もし自分に一方的に好きな人がいたとして、策略とか駆け引きを使って落とす、みたいなのが絶対に嫌。生理的に受け付けない。
なんで嫌なのかはわからないけど、やっぱり吐き気が止まらなくなる。自分のことを嫌いになるのが1番しんどい、それだけ。


とりあえず、3年前くらいになんとなく考えていたのは、上の①②③だった。

この時点ではまだ、①に関しては、小さい子と話さない職業に就けば良いだけだし、②③に関しては、一生誰からも好かれなくても誰とも付き合えなくても死ぬことはないし、まあそんなに悩むことではないのかな〜と漠然と思っていた。

でも、バイトで接客業をするようになったり、就職活動を始めてから、「世の中そんなにうまくいかないよ」っていうことを改めて突きつけられた気がする。


④「面接で話せない」は、就職活動の面接の時に感じたこと。

まず、就活を始めたての頃に「面接では、自分を偽ったりせずに“素”で行くのが合格の秘訣!」と色んな人から聞いていた。
私はこれまでも述べた通り、自分を偽るのが苦手だし、何を言われても嘘ついたりしない自信があるし、誰に対しても“素”でしか話せないから、もしかして面接余裕なのでは!?!?楽勝なのでは!?と思っていたら、全然真逆だった。

むしろ、作り笑顔でも、作った声でもいいから、普段より明るく笑顔で、ワントーン上げた声で、喋り方とか間の取り方とかにも1つ1つに気を遣わないといけないらしい。
演じるのが苦手で、人と話す時に話し方に気を遣ったことが一度もない私にとっては、めちゃくちゃに致命傷だった。しにたい。

まず、私が誰に対しても“素”でしか話せないというのは嘘ではないんだけれど、
・仲の良い友達と話す時の私:無駄にハイテンションでずっと喋っている。とにかくうるさい。
・彼氏と話す時の私:何も気を遣わないから馬鹿みたいなことしか話さない。
・そこまで仲良いわけではない知り合いと話す時の私:微妙に気遣う。差し障りのない話題ばっかり。
・推しとか憧れの先輩と話す時の私:若干テンション高め。相手のこと知りたいから質問とかしがち。
みたいな感じで、相手によってだいぶ話し方が変わったりする。
これは、「こういう風に話そう!」と意識しているわけではなくて、無意識に、特に何も考えずに話すとこうなってしまう、みたいな感じ。
だから全部、私の“素”ではある。

これに沿って考えると、
・面接の時の私:とにかく緊張している感じ。見てる人にも「緊張してるんだろうな」っていうのが伝わる喋り方。喋り方がガチガチでカタコトになっている。何話してるのかは自分でもわかってない。
台本に書いてきたことを話そうとすると「台本丸読み感」が出るけど、台本考えずに行くと頭の中真っ白になって言葉がなにも出てこない。
こんなかんじ。

だから、面接の時の自分≠友達と話す時の自分 なのは、面接の時は素を出さないようにしてるとかではなく、そもそもその2つの“素”が別、というだけ。
特に意識せずに素で行こうとすると、「緊張してガチガチ」になる。それが自分の“素”になる。

私は元々人前とか、人に対して一方的に喋り続ける系のものが苦手すぎて、授業の発表やプレゼンとかもできない。
元々言おうと思っていたことがあっても、その場で言葉にならないというか、言葉が出てこない。
緊張で脳みそが全く動かなくなってる感じ。

また、文章なら何時間もかけて考えられるので良い言い回しにすることもできるが、その場で即興で聞かれたことに対して対応するのが苦手なんだと思う。
たとえば、映画とかを見に行っても、その場では「すごかった」「よかった」とか語彙力小学生以下の感想しか出てこないけど、家に帰ってから感想文を書けば何千文字でも書けてしまう、みたいな。

とりあえず面接が苦手すぎて人からの助言が欲しかったので、オンライン面接の時にこっそり録音していた自分の喋り方を友達に聞いてもらったところ、
・「私らしさ」が感じられない。私の良さが出ていない
・堅苦しく話そうとして、日本語とか話し方のアクセントがおかしくなっている
・堅苦しすぎて熱意が感じられない
・自信がなさそうに聞こえる
みたいなアドバイスをもらった。

私は私なりに“素”の自分で行っているのに、それじゃダメらしい。
堅苦しく話そうなんて一度も思ったことない。

敬語とか言葉遣いに気をつけなきゃ!と意識し始めると、緊張で堅苦しくはなる。
固くならないように普段通り話そう!とすると言葉遣いめちゃくちゃになる。
どっちにしろごみ。

あとは、多分どの面接でも喋り方がおどおどしていたり、自分のやってきた活動を話す時に自信がなさそうなのが問題なんだろうな、というのは自分でもわかる。
でも、自信なさそうに話そうと思ったことは一度もないし、むしろ自分のやってきた活動すべてに誇りと自信を持っているし、自分のことも大好きだし、自分の信念とか生き方とかも大好きだから、自信はめちゃくちゃにあるはず。

多分「自信なさそうに見せる」ことで保険をかけているんだろうなと思う。無意識に。
自信満々にいって「あんなに自信満々だったのに所詮こんなもんか」と思われるのが嫌で、逆に自信がなさそうにしておけば、自分の出来が悪かったとしても許されると心のどこかで思っているんだと思う。
情けない奴だなとは思うが、自分から意識してそうしているわけではなくて滞在意識なので、もうどうしようもない。

友達からは、私が「自分を偽るのが無理」と言っていることに対して、「声を作ったり笑顔を増やすことは偽りではないと思う、相手に良い印象を与えようと努力してるだけ」って言われて、じゃあ私は相手に良い印象を与えようという努力すらできないゴミ人間なんだ、って自覚して病んだ。

就活エージェントの人に面接の相談をした時は、「自分が女優になったつもりでやるしかない」って言われて
それができたら苦労してないんだけどな〜具体的なやり方を教えてくれ〜〜 と思いながらも、「たしかにそうですね!」「そうします!ありがとうございます!」って分かったフリしながらうんうん頷いてるの、もうさすがに疲れた。
(でもここでも馬鹿正直に「それができないんです」とか言ったらもう見放されて終わるのも分かっているから、そうするしかない。)

アルバイト先の店長からも、面接とは関係ないところ(接客)についてだが、「もうスイッチを切り替えてやっていくしかない」と言われ、その度に毎回毎回病む。
無理です!と言っても、やるしかないんだよ!って言われる。誰も方法は教えてくれない。
そりゃそうだよね、元からできる人に聞いても方法なんてわかるわけがない。「元々できなかったけれどどできるようになった」という人を探さなきゃ。しんどい。

何が無理かって、作った声や表情を出している時の自分が本当に気持ち悪くて吐きそうになる。
まあ面接とか接客とかは吐きそうになるくらいの覚悟を持ってやらないといけないんだろうけれど、そんなことはわかっているんだけど、それでもできないんだから、もう生きていくのに向いてないんだと思う。

私の友達には何人かガールズバーとかでバイトをしていた子がいるが、私がこんなんだから、そういうところで働ける人は心底すごいなあと思って尊敬する。
私だったら1日でクビになる自信がある。本当にすごい。

こんなんだから、もう極力人と関わらない仕事の方が向いてるのかもしれない。
それなのに、人と関われる仕事ばっかり選んで「人との関わりが私のモチベーションです!」とか面接で言っちゃうから落とされる。嘘ではないのに。

あと面接って、毎回「人柄重視」と言われるから、落とされるたびに人柄を否定されている気分になって病む。
まだ学歴フィルターとかで落としてくれた方がメンタル的には救われるんだけど。



⑤「バイトで返事できない」は、アルバイト先の居酒屋での話。

私は基本ホールスタッフ。店長が作った料理をお客さんに運ぶのも私の仕事だが、
料理が出来上がると店長に「お願いしま〜す!」って呼ばれて、それに対して「はいよ〜」って返事してお客さんの所まで持っていく。
ただこれだけのことが、できない。

バイト中に大きい声で返事する、それだけのことができないから毎回死にたくなる。

「はい!」とかなら言えるが、「はいよ〜」「は〜い」みたいな少し砕けた言葉って、どうしてもバイト中に大声で言えない。
なぜなのかは自分でもわからない。
「はいよ〜」よりは「は〜い」の方がまだ言えそうだと思って頑張ってみているし、なるべく出せるだけ大きな声で言おうという意識もあるが、厨房にいる店長に聞こえないくらいの大きさしか出すことができなくて、毎回「返事ね」と注意される。その度に死にたい。

単純に「大きな声を出すことが苦手」とかそういうわけではない。
特に友達と話している時とか、テンションが上がっている時とか、普通に話しているつもりでも「声大きいよ」「静かに」とか毎回注意される。(それもそれで毎回死にたくなっているが、また別の話なので割愛)
そのくらい、元の声は大きいはずなのに、バイト中だけ出せないのは本当に意味がわからない。ひたすら死にたい。

どうしたら良いのかわからないのに、店長に聞いても「スイッチ切り替えてやっていくしかない」と言われてしまう。
「そのスイッチの切り替え方がわからないです」と言うと、「“演じる”んだよ」と言われてしまった。
やっぱりその言葉。それ言われたら私はもう何も太刀打ちできなくなるのに。
なんか、とことん「お前には向いてない」を突きつけられている気がしてもうトラウマレベル。毎回毎回泣きそうになる。

他にも、バイト中に「“声”を利用して」と店長に何回か言われてきた。
例えば、ドリンクを作っている途中でお客さんに呼ばれたら「少々お待ちください〜!」とお客さんに聞こえる声で言って先にドリンクを作ってしまうとか、注文頼まれたら、伝票を置くだけではなくて「〇〇一丁〜!」とか、注文取っている途中にその日品切れのものを店長に聞く時も、わざわざ近くまで聞きに行くんじゃなくて、遠くから「今日〇〇ありますか〜!」って聞く、みたいな。
多分どこの居酒屋のバイトでも普通にやってるようなこの辺のことが、私には何ひとつできない。

「恥ずかしがってるだけじゃん」と思われるかもしれないが、特に何も恥ずかしいとは思わないし、むしろそれができない今の私の方が恥ずかしいに決まっている。

店長・社長も含むバイト先のメンバーでカラオケに行ったこともあって、その時に店長には私の歌声を聞かれているから、「カラオケで歌う時はそのアーティストになりきって歌うでしょ?接客で“演じる”のもそれと同じようにすればいいんだよ」と言われて、たしかにそう言われてみればそうかもしれない、なんでカラオケではアーティストになりきって歌えるのに、普段の私は無理なんだろう、という疑問が生まれてずっと考えていた。

私は、歌が上手い人がとにかく好きだ。好きになるのは大体歌が上手い人。かっこよくて憧れるし、多分なんか無意識に性癖に刺さってくる。
私は「自分を好きになること」が人生の最終目標だから、どうしても自分自身をその「歌が上手い人」という“理想”に近づけたくて、一時期めちゃくちゃ歌を練習していたことがある。
YouTubeで歌い方の解説動画を見たり、歌の上手い友達に歌指導をしてもらったり、ボイトレの無料体験に行ったり、ヒトカラに行って録音して聞き返して分析したり、お風呂場で毎日歌の練習をしたり、とにかくできることはなんでもやった。

カラオケ以外にも、「自分の“好きな女”」に少しでも近づくために、メイクも研究したり(とにかく目の周りを赤くするとか)、髪型も変えたり(ウルフカットにするとか)、服装も自分の“理想”が変わると共に変わっていったり(前はパステルカラーとかレースとかふわふわ系が好きだったが、今は全身黒とか変わった形の服とか、モード系・地雷系らへんが好き)、少しでも自分の“理想”に近づくために意識はしている。

でもこれは、「演じる」とか「偽りの自分になる」とかとは何が違うんだろう??というかそもそも、「私」って何????

本題に繋げると、「カラオケ」「メイク・服装・髪型」とかと、「接客」「面接」の時で、「他の人になり切ることができるかどうか」が変わってくるのはなぜか、ということだ。

1つ目の答えとしては、「それができる人に対して、特に憧れの感情を抱いていないから」「それができていない自分のことを別に嫌いじゃないから」だと思う。
歌が上手い人には憧れるし、見た目がかっこいい(というか私の好みの)女性にも憧れる。
でも、居酒屋で明るくてきぱきと接客してる人とか、面接でハキハキと自分の意見を話せるような人には、そこまでの憧れの感情を抱いていないのかもしれない。

ということは、それができる人に憧れたり、それができる人を好きになれば、私もそれに近づくために努力できるようになるのだろうか。
接客が上手い人、面接で喋れる人に対して、「この人憧れる〜かっこいい〜〜性癖に刺さる〜自分もこうなりたい〜〜〜」とまでなれば。

所詮私は自己中な人間なので、「自分のことを自分自信が好きでいられればそれでいい」「自分が幸せならなんでもいい」と思っている。
だからきっと、自分を好きになるための努力しかできないんだと思う。

私は今の、接客とか面接が苦手な自分のことも「それはそれで私らしいし、頑張っていてえらいから嫌いじゃないよ」とか思っているから多分ダメなんだと思う。
接客とか面接が得意になった状態の自分のことを思い浮かべて「こんな自分の方がかっこいい!!好き!」と思うしかないのかもしれない。

2つ目に、カラオケでの歌い方とかは、それが私の「本来の姿」だとは思われないから、というのもあると思う。
前述のとおり、私は「偽りの自分」になることで、「この人はこういう人間なんだ」と勘違いされるのが苦痛なんだと思う。
接客とか面接は、実際に喋っているんだから、その時の自分=普段の私 と結びつけて考えられてしまうわけで、「この人はこういう人なのかな」と勘違いされてしまう。
でもカラオケでは、例えば、作った歌い方をしていても、それはあくまで「歌っている時だけ」だし、それ=普段の私、とはならない。ましてやカラオケなんてある程度仲良い人としか行かないんだから、普段の私をもう知ってくれている友達に対して、作った歌い方をしたところで、それ=私、とは勘違いされなくて済む。

その分、接客とか面接とかは初対面の人相手だから、その時の印象=普段の私、と思われてしまうかもしれない。それが怖いというのがあると思う。

それでもやっぱり、カラオケではアーティストになり切ることができるのに、接客と面接では無理、というのは少し疑問が残る。



ここまで色々書いてきたが、私はやっぱり「それなりにうまくやる」が苦手なせいで色々損しているんだと思う。
でもそんな自分のことも嫌いになれないから、変えられないんだと思う。

例えば、どんなこともそれなりにうまくこなして、その人自体がすごい人なわけではなくても、自分を良く見せるのが得意だからみんなに好かれている、みたいな人は全然憧れないし、むしろ嫌いだなと思う。
それに比べて、損得で考えずに、人に対して一切嘘がつけないような自分のことは結構好きだなと思ってしまう。

素のままいっても自分の良さをわかってくれる人はわかってくれるし、こんな私にだって仲良くしてくれる友達くらい普通にいる。

それに、自分を偽った上で好きになってくれる人なんて、素を出した瞬間に離れていくに決まっている。そんな人と人間関係を築く時間がもう無駄だと思ってしまう。
この考え方がまずダメなんだと思うけれど。

ありのままの自分で気に入られようなんて傲慢かもしれないし、努力している人達から見たら、何も頑張れないクズだろうし、今後困る場面も沢山出てくると思う。

それでも、私は私の生き方でしか生きられない。
こんな私でも受け入れてくれるような人とだけ付き合っていければそれで良い。私はこんな私のこともちゃんと好きでいられているし、自分が自分のことを好きなら、それが1番の幸せだと思う。

こんな考え方しかできない人間。

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