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「“ADHD”について」/ 遅刻癖①

私は高校生の頃、病院で“ADHD”だと診断された。
そこから約6年以上、毎日“アトモキセチン”という薬を服用し続けている。

今回は、この“ADHD”の特性や、悩んでいること日常生活で感じた生きづらさ薬を飲むことによる変化などについて、詳しくまとめていきたい。


●ADHDとは

ADHDは発達障害の一種で、不注意多動性衝動性などの特性がみられる。
注意欠如・多動性障害とも呼ばれる。

ADHDは、どの特性が強く現れるかにより、「不注意優勢型」「多動・衝動性優勢型」「混合型」の3つに分けられる。

私自身は、多動性や衝動性もあるが、どちらかというと不注意の特性が多く見られる「不注意優勢型」であるように感じる。



●私自身の特性

私自身の特性としては、

〜不注意〜
遅刻が多い
忘れ物が多い
部屋を片付けられない
先延ばし癖がある
視野が狭い
単調な作業が苦痛

〜多動性〜
長時間座ったまま話を聞けない

〜衝動性〜
計画せずに行動してしまう
感情的になる
喋り始めると止まらない

こんな感じだ。



①遅刻が多い

遅刻が多い。
予定の時間に間に合わないことの方が多い。

これは昔からずっと悩んでいることでもあり、
私自身が持っているADHDの特性の中で、最も日常生活に弊害をきたしている内容でもある。

これについて、状況ごとに説明していきたい。


・中学

中学の頃は奇跡的に、始業に遅れたことは1度もなく、3年間皆勤賞(無遅刻・無欠席・無早退)を貫いた。

これだけ聞くと全く問題がないように思えるが、決してそんなことはなかった。

私の中学では、始業前に15分ほど、朝読書(or朝学習)の時間が設けられた。
始業が8時半だとすると、朝読書の開始時間が8時15分、といった感じだ。
この場合、8時半ではなく、8時15分に学校に着いていないといけなかった。

周りは全員8時15分に間に合っていたにも関わらず、私はほぼ毎日間に合わず、2〜3分ほど遅れて到着していた

ある時、隣のクラスの厳しめの先生が「8時15分に間に合わなかった人は、始業まで廊下に立っているように」というルールを決め、私のクラスの担任もそれを真似したことにより、私は毎日、1人で10分強、廊下に立っているのが日常となった


・高校
私の遅刻癖は、高校時代が1番酷かった。
正確に言うと、「遅刻」で1番悩み、苦しんでいたのが高校時代だ。

私は家から高校まで、自転車片道40分かけて通学していた。
(「自転車で40分」と言うとよく驚かれるが、それ自体は辛いと思ったことは一度もなく、むしろ電車にもバスにも乗らずに通学できるなんてお得すぎる‼︎としか思っていなかった。)

自転車なので、毎日同じ道を通っていると「◯分までにこの道を通れば間に合う!」「次の信号で引っかかったらもう間に合わない…」とかが大体わかるようになってくる。

学校に向かう途中の時点で、完全に遅刻だとわかっている日は、自転車を漕ぎながら泣きそうだった。
何がなんでも遅刻したくなくて、赤信号も、車がいなければ全て無視していたし、とにかく死に物狂いで、泣きそうになりながら毎日学校に向かっていた。
これほどまでに「どこでもドアがあったらな……」と思った瞬間は、人生で一度もなかった。


結論としては、私はほぼ毎日、始業の時間に3〜5分ほど遅れてしまっていた
(遅刻しない日は3日に1回くらい、5分以上遅れてしまう日は2週間に1回くらい、の割合だったと思う。)

遅刻してしまった日は、教室に入るたびにみんなの視線が痛くて、苦しくて、泣きたくなったし、死にたくなった。
メンタルがズタボロになり、自殺しようか本気で迷ったことも何度もあるくらい、苦しくて苦しくて仕方がなかった。

学校の自転車置き場から、階段を上がって教室に向かうまでの時間が1番しんどくて、教室のドアを開けるのが嫌で嫌で仕方がなくて、
今日はもうこのまま授業に出るのは辞めてしまおうか、このまま引き返そうか、と思ったことも何度もあった。
しかし、授業を欠席する「逃げている」だけの自分は絶対に許せなくて、授業を欠席したことは一度もなかった

また、さらに私を苦しめたのは、クラス内での自分自身の“キャラ”だった。

例えば、クラスの中でもおちゃらけているキャラの子とか、コミュ力が高くてみんなから人気者!みたいな子が遅刻しても、先生も周りの人も、ふざけていじったり、笑いに変えたりして終わる。逆に、少し強く注意することもできる。
しかし私は、クラスに友達も少なく、目立つキャラでもなく、いわゆる“陰キャ”と言われる部類だった。
そのため、先生からしても、遅刻した時にいじるのも気まずいし、強く怒るのも気まずいし、と思われていたに違いない。かなり最悪だった。

私自身も、教室に入る前の時点でもう泣きそうになっているので、明るくふざけて「すみません〜笑」と言えるわけでもなければ、割り切って元気に「すみませんでした!!!!」と言えるわけでもない。
ただ、なるべく音を立てないように、なるべく目立たないように、情けなく教室の後ろから入ることしかできなかった。
それが、ものすごく辛くて仕方なかった。


遅刻をしたら「自己責任」となる大学と比べ、高校では、遅れる度に毎回しっかり怒られていた
高校では、数ヶ月に1度「遅刻指導」があり、遅刻が一定の回数を超えた生徒だけが呼び出される。
そこで先生方から注意を受け、反省文を提出する、といった流れだ。
その「遅刻指導」に呼び出されるメンバーは、毎回少しずつ変わっていったが、私だけが毎回いる“固定メンバー”となってしまった。
年間を通しての遅刻回数も、圧倒的に、私が学年で1番多かった


・大学
大学は、家から片道1時間20分(電車・徒歩含め)かけて通っていた。

電車を乗り継いで通っていたため、電車を1本逃すだけで、乗り換えがうまくいかずに20分遅刻、ということもよくあった。

大学でも、1限から授業がある日は高校と同じくらいの頻度で遅刻してしまっていたし、
高校では3〜5分の遅刻で済んでいたものも、電車の関係で15〜20分の遅刻となってしまっていた。

しかし、高校との大きな違いは「周りの人の遅刻状況」だった。

高校では、遅刻する人は周りにほぼいなかったが、
大学では、私と同じくらい遅刻してくる人はざらにいたし、私以上に遅刻が多い人もいた。

大学では、進級や卒業など全部自己責任になるため、出欠確認等も緩くなり、遅刻する人が増えたというのもあると思う。
また、個人的に、「美大生=時間にルーズ」というイメージがある。
私の行っていた普通科の高校よりも、美大の方が、元々遅刻癖のある人の割合が増えた、というのもあると思う。

これによって私は、言い方はあまり良くないが、「みんな遅れて来ているから紛れた」という感じになった。
その結果、高校時代と比べ、「遅刻」で病むことが一切なくなった。びっくりするくらい生きやすくなった。

しかし、高校時代はあんなに、どうしたら遅刻しないかを考えて、毎日毎日病んで苦しんで、死にそうになりながら努力していたのに、
もう遅刻を直そうとすら思わなくなってしまった自分は、自分に対する甘えというか諦めというか、本当にこれで良いのか???という思いもあった。

大学では、一応最低限の単位は取れ、ストレートで卒業することはできた
だからまあ良いか、とは思っている。

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