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井上洋治 『余白の旅 思索のあと』 : 誠実に神を求めつづけた人

書評:井上洋治『余白の旅 思索のあと』(「井上洋治著作選集2」版)( 日本キリスト教団出版局)

本書は、著者の「求道的思索」の半生を描いて、日本人キリスト教徒が、いま読むべき名著である。

私は本書を、1980年初刊単行本で読んだ。奥付を見ると、初版発行が「1980年9月1日」で、私のは「1992年2月5日」発行の第8版(刷)。つまり、ロングセラー作品なのだが、ネット検索してみると、いま新刊書店で購入できるのは、著者の死後に刊行の始まった「井上洋治著作選集(第2巻)」だけのようだ。

著者である井上洋治はカトリックの神父だが、日本人カトリック神父としては、稀有にリベラルな人であったようだ。

それは、本書でも語られているとおり、カトリックの正統神学の中心的神学者であるトマス・アクィナスの神学が「好きになれない」と語ったり、ローマでの神学教育が詰込み丸暗記式の「洗脳」型教育であると評したり、日本のカトリック教会には、宣教に対する危機意識が感じられないと言ったり、カトリックからは目の敵にされがちで、プロテスタント内部でも批判者の少なくなかった、プロテスタント神学者ブルトマンの「非神話化」という近代的な方法論を公然と支持したり、新約聖書に書かれている奇跡は「目に見える、写真に写るような」現実ではなく、キリストの指針を「象徴」したものだと断言してみせたりした。

こうした物言いは、プロテスタントではごく当たり前になされるものだが、元来、上意下達の保守的権威主義傾向が強いカトリックでは、気易く口にできる言葉ではない。それこそ、世が世なら「異端として焚刑」に処されていたところだろう。

井上神父がこのように「自由」であり得たのは、彼が神父になったのが、ちょうど「第2バチカン公会議」と重なる時期だったからである。
しかし、彼が海外で神学を学んだ頃には、まだまだカトリックは保守的であったし、彼はそれに得心のいかないものを感じていたのだけれども、彼が帰国して助祭をつとめていた頃から、カトリックは第2バチカン公会議を経て、開かれた教会へと転進していったのだ。

したがって、彼が司祭として活躍した時期は、バチカンの方針と彼の自由さは、決して相反するものではなかったはずだし、だからこそ彼は、かなり個性的な神学を構築していた人でありながら、若い神学生の世話をする仕事を任されたりしたのであろう。
また、そうした彼の下から巣立っていった神学者が多かった時代には、考え方の違いはあっても、彼がそれなりに敬意を払われる存在であったろうことは、想像に難くない。
また、彼がカトリック小説家の遠藤周作などとも付き合いがあり、かつ本人にも文才があって、一般世間からの高い評価もあったので、保守的なカトリックも、表立って彼を批判することは多くなかったのであろう。

しかし、井上神父の日本での活動の前半が「カトリック教会のリベラル期」であるとすれば、後半は、第2バチカン公会議への反動としての「保守派の巻き返しが進んだ時期」でもあった。そんな時期を象徴するのが、保守派法王(ローマ教皇)である先先代のヨハネ・パウロ2世と先代のベネディクト16世である。
しかしまた、この時期にいろいろな問題(神父による児童への性的虐待事件の多発とその隠蔽、バチカン銀行のマネーロンダリング問題など)が醸成され噴出したため、その反動としてリベラルなフランシスコが法王となったのは、井上神父の死の前年であった。

そんなわけで、全体としては、今の日本のカトリック界では、井上神父は、生前ほどの人気はないはずだ。
事実、いま一般向けに本を出して注目されている日本のカトリック関係者は、トマス神学研究者を中心とした「保守派」が中心だからで、日本のカトリック界は、いつだって「危機意識」が薄いのである。

しかし、井上神父の場合は、決して時流に乗って「リベラル」だったのではないだろう。たまたま時流と合致したので、注目されたということであって、彼自身は注目されようがされまいが、自身の心に正直に、神を求め続けた人だったというのは、「日本人にとってのキリスト教」というテーマへの、過剰なまでのこだわりにハッキリと看てとれる。
その目が、「神」の方ではなく、バチカン(ローマ教会)の方にしか向いていないような、優等生の権威主義者であれば、わざわざ「日本人にとってのキリスト教」などという面倒な理想の探求などせずに、ローマからの直輸入を垂れ流して「正統派」を装ったであろうからである(ちなみに、方便として、日本の宗教や霊性を、キリスト教信仰と絡めて語る人なら意外に多いが、それは井上神父の「猿まね(形式的模倣)」でしかない場合が多い。つまり、そこには井上神父のような徹底性がない)。

そうした意味で、井上神父は稀有に「誠実な信仰者であり求道者」であったと、私は高く評価する。
彼が、日本では「霊性」と訳されがちな「スピリテュアリティー」を「求道性」と訳したのが、それをよく象徴してもいよう。
「霊性」と言えば、なにやらそれを所持していたりいなかったりする「個人的属性」のように聞こえるが、「求道性」と言えば「態度」や「姿勢」の問題になって、口だけの「自己申告」では済まされないものとなる。
つまり、「霊性の人」と言えば「特別な人」という存在論的な特権性ばかりが表に立つが、「求道の人」と言えば「神を求める態度」という、公平な主体性だけが問題になるのである。

そして、今のカトリック界には、あまりにも「格好をつけたがる人(口だけの人)」が多いように思う。
無論、井上神父も、自身の中にそういうものの存在を認めているが、それを自ら正直に語り、自己批判して、きわめて謙虚だ。

『 この(※ 若い頃に書いた自らの)詩をみたとき、今の自分の生活を振りかえってみて、私はまことに慚愧にたえなかった。しかしこの拙い感傷的な詩に表現されている魂の憧れだけは、今も私の心に脈打っていると思う。自己顕示欲の強い私だからこそ、路傍の一輪の名もない花の心(※ 無名の誠実な人生)に限りなく惹かれるのであろうが、この魂の憧れを失ったときこそ、私のキリスト者としての生命の終わりだというような気がするのである。』(P51)

『 神を求めて一筋に走ってきたと信じていた当時の私は、いわば(※ 神学者ルージュモンが、その著書『愛について』で書いた)「遠きものへの憧れ」(※ だけ)にとらえられ、隣人の悲しみや重みをかえりみる余裕を失っていた。(※ 司祭として)その人のためにと自分では思いながら、実際にはその人を受け入れることなく、その人に自分の信念をたたきつけていることが多かった。いわば夢中で走っていて、ぶつかった相手が田圃に落っこっても気づかなかったときさえあった。私は自分なりに真剣に生きてきたと思う。しかし私には、隣の人の哀しみを心にうつすだけの、ふわっとした柔かな心が全く欠けていたのである。
 柔かな心は、己れに頼る姿勢からは生まれてこない。「後ろを振り返ってみろ」。そう友人たちから言われて後ろを降りかえってみたとき、なんと多くの人の哀しみや弱さを自分は無意識にふみつけてきたのかに気づかされたのである。強い自己嫌悪と罪意識にさいなまれ、自分はおよそ司祭にはむかない性格なのではないかと思ったとき、私はどうしてよいかわからず、道のない荒野に独りほうりだされたような思いであった。』(P157)

井上神父は、嘘いつわりなく、一心に「強く」神を求めてきた。だからこそ、他人にも厳しかったし、他人の信仰における『弱さ』が許せなかった。だからこそ、気付かぬうちに多くの人を傷つけてきたのかもしれない。
しかし、そういう人だからこそまた、どうして彼らの「どうしようもない、哀しみや弱さ」を許すことができなかったのか、どうして包み込むことができなかったのかと、強く悔いられもしたのである。

こうした「葛藤」にこそ、彼の思いの真正性が如実に表れている。こういう、自分個人を突き詰めるような思考は、権威にべったりとすがっている人間には、とうてい不可能なのだ。

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しかしまた、このような、非クリスチャンをも納得させるような誠実な信仰への高い評価が、なにゆえに過去のものとなっているのか。

それは、信仰というものは、結局のところ、人間の思考を超えた「神」にこそ価値を見いだすものであり、たとえ誠実なものであろうと、人間がその頭で考えることは、しばしば誤りで、結局は傲慢でしかない、と考えられがちだからである。

例えば、日本でもファンの多いプロテスタント神学者であるカール・バルトは、自分が信頼した「(人間の理性と進歩を信じ、それが信仰と矛盾しないとうったえた)近代主義的神学者」たちが、第一次世界大戦への途上において、あっけなく国家意志に巻き込まれ、戦争肯定へとむかっていくのを目の当たりにして、人間の理性や意志の限界を痛感せざるを得なかった。やはり、そんなもので「神」を云々できるという考え方は傲慢である、と考えざるを得なかったからこそ、彼は「神の直接性」を強調して、「近代神学」批判を行わざるを得なかったのである。

つまり「人間としての誠実な信仰」には、このような「人間的な限界」が避けられないので、やはり「神」にすべてを委ねる信仰こそが正しい、という反近代的「反動」も、このように理路で正当化されるわけなのだが、しかし、非クリスチャンにならすぐに気づける誤りが、この議論にはある。
それは「神が存在する(力を持つ)」という、実際にはまったく「保証のない(願望的)前提」の存在である。

何もしなくても、人間のすべてを正しく導いてくれる神が存在するのならば、人間は余計なことなどしない方がいい。自分の頭を一切使わず、教義に従い、教会の指導に「羊」にように従っていればいい、ということになる。
しかし、「神」の実在を客観的に示すことは「誰にもできない」というのも、キリスト教会自体が認めている事実で、それができるのなら、彼らにだって苦労はないのである。

ならば、そんな「存在するのかしないのかわからない神」を「妄信」するのは、きわめて危険な選択(賭け)でしかないだろう。
したがって、人間は、自分に与えられた、理性をはじめとするすべてのものを最大限に生かし、自分なりに「善き生き方」をするしかないだろう。現に、教会的権威を「妄信」し、それに「盲従」したがためにひき起された悲劇や惨劇は、歴史上、枚挙に暇がないのだから。

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したがって、井上神父の信仰にも、おのずと限界はある。それは「神」を、この世的な実在ではないとしながらも、「神の実在」それ自体は否定しないし、それが「信仰」だとしている点に、彼自身の信仰についての、自己正当化的な「無理」があるからである。

『 (※ 聖書の)テキストは確かに今も昔も変わっていないが、それを見る視点は(※ 時代の変化に応じて)つねに変化している。(※ という事実は否定しようがない。だから)……必要なのは、(※ 福音の、昔の時代相応の解釈=翻訳を、そのまま鵜呑みにするのではなく)福音を現代的言語に翻訳する(※ 適切に解釈し直す)ことである。このために特に有効な方法は、テキストの象徴的な次元(※ 反・字面的な次元)を明確にすることである。……教理の学習や神学的考察によって、われわれは信仰の奥義そのものを(※ 字面的に)客観化した対象として扱う習慣がついてしまっている。しかし、実際には、奥義と出会うことによってこそ、奥義を認識するすべを学ぶのではないだろうか。』(P241)

信仰の「奥義」は、学べるものではなく、むしろ信仰を生き抜く中で「奥義」と出会うことによって、奥義を認識するすべを学ぶのではないかという、これは「お勉強主義」ではなく、「求道主義」的な考え方であると言えよう。
確かにこれはこれで説得力はある。「信仰は、お勉強ではない」というのは正しいだろう。
しかし、そもそも「神」が存在しなければ「奥義」も存在せず、それに出会うことなど原理的に不可能なのだ。

だからこそ、人はしばしば、出会うはずのない「神」や「奥義」と出会ったと「個人的に勘違い」してしまうのであり、またそれを怖れるからこそ『教理の学習や神学的考察によって、(略)信仰の奥義そのものを客観化』できるものとして扱おうとする人たち(保守派)もいるのである。
そうしなければ、「神」や「奥義」は、無数の「個人的解釈」によって、無数に存在するものとされてしまい、結果としては、その「不存在」を明らかにしてしまわざるを得ないからなのだ。
そして、事実そのような現状にあるというのが、「キリスト教の歴史的事実」なのである。

このように、キリスト教「信仰」を持ち、「神の実在」を信じるかぎりにおいて、信仰というものは必ず、自己正当化的な「無理」を孕まざるをえないし、それからは逃れられない。そしてそれが、井上神父の限界ともならざるを得ないというのも、理の当然なのだ。

だから、私は最初に『本書は、著者の「求道的思索」の半生を描いて、日本人キリスト教徒が、いま読むべき名著である。』と書いた。
これが意味するのは、「信仰を持つのであれば」という条件付きで「それならば、これくらいの真剣な求道心を持つべきである」という意味なのである。

そしてこれを言い変えるならば、信仰を持たない者が本書を読む場合に、読み落としてはならないのは、井上神父のような誠実な人であっても、そもそも「信仰」というものを持つという前提において、その思考的な誠実さは「必然的に制限されている」という、冷厳な事実なのである。

初出:2019年7月27日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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