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金の神輿は、わたしの中に。

玉の輿に乗りたい。

というなんとも他力本願な夢を漠然と持っていたのが昔の(と言ってもそんなに前ではない)私なのですが。

玉の輿って言葉、今でも使うのかな…??

非常に残念なことにその夢を抱いていた頃の私って、口ではそう言いながらも、目に見える幸福を受け入れる準備というものが全く出来ていなかったのですよね。


若さと気合いで運良く “素敵な条件の相手” と出会いお付き合いするところまではトントン拍子で進んでいくのですが、

怖いことに、私と付き合う男性たちは次々に

・モラハラ彼氏に変貌したり
・生気を喪失して無気力になったり
・不慮の出来事で収入が激落ちしたり
・いかにもグレーっぽい怪しげな投資話や仕事の案件に手を出し始めたり

という悲劇に見舞われていきました。

ホラーですね。。本当にゴメンナサイとしか言いようがありません。


こういうことがどうして起きていたのか、当時の私にはわかりませんでした。

自分なりに相手を幸せにしようと頑張っていたし、二人の幸せのために力を尽くしていたつもり。

でも、精一杯の努力にも関わらず、状況は泥沼化するいっぽう。


以前はなぜそうなるのかが全然わからなかったけれど、今ならその答えがすごくクリアに見えるんです。

なのでここからは、あのときの私に宛てて、この場を借りて “種明かし” をしていきたいと思います。


***


この一連の不運な出来事って一見バラバラの事象に見えるけれど、ある共通の一言でその原因が解明できるのです。

それは「パートナーの自信(自己信頼感)の欠乏」ということ。


パートナーの自己信頼感が枯渇していく裏側にあったものは、付き合う女性(つまり私)の自己信頼感の欠如。

私自身の自己信頼感が欠乏していたために、頭では「尽くされたい」とか「大切にされたい」といくら思っていたとしても、

「尽くされる」とか「大切にされる」を受け入れるキャパが小さく、また罪悪感や劣等感の占めるスペースが大きかったために、向けられた愛情や思いやりにたいして受取拒否が発動してしまっていたのです。


これってつまり、「パートナーがヒーローになれる機会をことごとく奪ってしまっていた」ということなんですよね。

劣等感のために受け取り下手であった私は、パートナーが〝 愛する女性のヒーロー 〟になることを必死で阻止してしまっていたのです。


昔聞いた話で今もすごく印象に残っていることがあるのでご紹介します。

「男性の社会的成功は、日頃どれだけパートナーを悦ばせることができているのかという自信によって作られる」ということなのですが、

これ昔は何言ってるのかよくわからなかったのですが、今になってめちゃくちゃ納得だなあって感じます。これ言った人ほんとスゴい。

もしかしたら、「幼少期にどれだけお母さんを喜ばせる体験を積むことができたのか」とも言えるのかもしれませんね。


また、以前書いた恋愛noteの中で

男は女を見つめ、女はいつでも自分のど真ん中を見つめ続けなきゃいけない。

ということを書いたのですが、これってテキトーに当てずっぽうとかで書いたわけではなく、一応ちゃんとした理由がありまして。


というのも、ちょっとスピリチュアルな話になるのですが、男性という性には「愛する他人を通して、内なる神性と繋がる」という性質がある(らしい)んですよね。

それではその “愛する他人” が、その人自身を放棄してしまったらどうなってしまうのか。

それは即ち、パートナーである男性が “内なる神性” (秘められた可能性、才能、潜在能力など)と繋がるための回路を断ってしまうということを意味するのだと思うのです。


自分がよかれと思ってやっていたこと(謙虚で物わかりのいい女でいること、相手の顔色を気にしすぎることなど)で、男性にとって大切なものを私はどんどん奪ってしまっていたんだなあと思うと愕然とします。

神との回路が断たれるんだから、そりゃあ悲劇にも見舞われるよな。ほんと、ゴメンナサイ(二度目)。


その頃のことに思いを馳せながら、今はこう思うのです。

相手に「好き」って言われたら、私はもっと私を好きになろう。

大切にされてるなって感じたら、私はもっともっと私を大切にしよう。

愛しいその目に見つめられたら、私はもっと私のこと熱いまなざしで見つめよう。



玉の輿を夢見てもがいて、そして夢に破れたわたし。

その破れた夢から見つけ出したものが、〝 わたしという金の御神輿 〟だったということは、言うまでもありませんね。(使わないうちに厚ーく埃積もっちゃってたけど)


だから、ほんとの意味で玉の輿に「乗る側」になるのって、女性ではなく男性のほうなんじゃないかなって、今では思ってます。

ついでに言うと、女性が自分の中の〝 金の御神輿 〟に気づいて、自分でちゃんと育ててあげることって、すんごい社会貢献になるんじゃないかなって、そう思ってる。


***


夢が叶わなかったのは、〝 内なるわたし 〟こそが金の御神輿であるのだということに気がつくため。

叶わない夢を見ていたのは、本当の自分と出逢うため。

金の神輿は、わたしの中にある。


私はきっと、何よりも「私自身を信頼する心」が欲しかったのだ。


そのことを教えるために叶わないでいてくれた夢に、そして願ったわたしに、ありがとう。

本日もご清聴誠にありがとうございました。




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