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人間考察日記

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日常の「ん?」と思った場面をなぐり書き。
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ストリートピアノにモヤモヤする

ストリートピアノにモヤモヤする

誰でも弾けて、その場を音楽で満たすことを目的として、近ごろいろんなところに設置されている「ストリートピアノ」。

地元のショッピングモールにもおかれている。

だけど、特定の人が長々と「占領」してリサイタルをはじめる。
ピアノの知識がまったくないわたしには、それがうまいかどうかすらわからない。

最初は、「お、なんか弾いてる!」と興味深々の買い物客たちも、あまりに長く弾かれてるもんだから、次第に見

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男が「吉澤嘉代子が好き」と主張しにくい問題

男が「吉澤嘉代子が好き」と主張しにくい問題

吉澤嘉代子さんの音楽は素敵だ。

あらゆる曲のあらゆるところから、「いまを強く生きる乙女心」が溢れている。

曲のジャンルと歌声も幅広く、ひとりのはずなのにいろんな女性シンガーと出会えたような、お得感も味わえる。

この幅の広さは、わたしが何より愛してやまないサザンオールスターズをも彷彿とさせる。

サザンの「永遠の乙女」ともいうべきメンバーである原由子さんらしさや、ユーミン、中島みゆき、井上陽水

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勤労感謝の日少なすぎ問題

勤労感謝の日少なすぎ問題

1年365日(+α)のうち、勤労が感謝される日がたった1日しかないっておかしい。絶対おかしい。

ちなみに「勤労感謝の日」が11月23日固定なのは、明確な理由があるらしい。

もともとこの日は、神道の重要な祭日である「新嘗祭」であり、明治政府によって休日に定められた。

しかし、戦後日本において「祭日」は政教分離の原則に抵触するため、法律上は存在しないこととされた。
そのため、「祭日」としての新嘗

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「おじさんの背伸び」と役割期待

「おじさんの背伸び」と役割期待

カラオケで上司が無理して米津を歌おうとしてくる……。

父親があいみょん知ってるアピールをしてきてめんどくさい……。

このごろ、こうしたいわば「おじさんの背伸び」に関するエピソードをよく耳にする。

こうした背伸びを嫌悪する人たちからしたら、「おじさんにはおじさんの役割があるんだから、それを全うしてくれ!」「イタくて聴くに堪えん!」といった心持ちなのかもしれない。

このところ展開される「おじさ

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「あなたの人生は不要不急です」に反論できるか

「あなたの人生は不要不急です」に反論できるか

あなたの人生は不要不急です

もしこういわれたら、わたしは正直、なにも反論できない。

「こんなに人の役に立ってるわ!」という反論をしてみたいけど、自力じゃ説得力をなんらもたない。

「人は鏡」ってよくいわれる。
けれど、そもそも鏡となるような他者と接しなければ自分はみえてこない。

さっきからないないばかりいってるけれど、実際いちど「ない」状態に陥ると、ずっと負のループにハマることになりそうな気

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自粛するほどバカをみる問題について

自粛するほどバカをみる問題について

現在、国や地方公共団体から外出自粛要請や休業要請は明確なかたちで発出されている状況ではない。

そのため、人びとの行動は各々の裁量とリスクマネジメントに委ねられている状態なのは多くのひとが感じるところであろう。

ここでどうしても気になってしまうのが、大人数での会食を控えたり、「三密」を避けたりといった感染防止を心がけているひとほど、どこか「バカ」をみることになっているのではないか、ということだ。

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「コロナ収まったら○○しようね!」という挨拶について

「コロナ収まったら○○しようね!」という挨拶について

このことば、そこら中でよく聞くようになった。

この○○には「また会おうね!」「飲もうね!」「旅行しようね!」とか、たくさんバリエーションがある。

でもこれって、収まる気配もなんにもないのに、軽率に仮定の世界を持ちだしているわけだ。

なんだろう、この違和感…。

そう、そうだ。

「行けたら行くわ」と同じ匂いだ。

誰もが知ってるように、「行けたら行くわ」はだいたい行かない。

小学生でも使い

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「わたしのほうが変人です!」という会話

「わたしのほうが変人です!」という会話

をされたことがある。

たしかにわたし自身、自他ともに認める変人であり、「まともなふりをするのがうまい、タチの悪いタイプの変人」と評されたこともある。

でもそれは、ある程度限定された場だからこそ明らかにできるのであって、社会的にみて「変人」であることは「よい」こととはみなされない場合がほとんどだ。

だからふだん、「変人だから…」と半ば自嘲的に使うことが多い。

ところが、だ。
学部生のころ、と

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自分と同じ苦しみを味わえ!という理屈について

自分と同じ苦しみを味わえ!という理屈について

「いまどきは楽だよな。ケータイとパソコンでなんでも調べられるんだから、私たちのときなんて(以下略)」

「バブル世代は楽だよな。努力せずに就職できてさ」

こんなようなことばを何度耳にしたことだろう。
単純にぼやきであれば全然気にならないのだが、だいたいの場合ぼやきではない。

また、ネット空間を眺めていると、悩みを語るひとに対して、

「お前そのくらいの残業時間で文句言うなよ、俺なんて○○時間だ

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「出ようが出まいがとりあえず杭は打たれる」という残酷さ

「出ようが出まいがとりあえず杭は打たれる」という残酷さ

先日、知人がツイキャスでギターの弾き語りを配信していることを知った。

どうやら、音楽をやりたいという夢を抱き続けているらしい。

ためしに配信後のツイキャスをのぞいてみたのだが、コメント欄がそのなんというか…。

謎のマウント投稿やセクハラ投稿だらけなのだ。

ウェブ上の世界なのだから「イヤなら見るな」が貫けるにもかかわらず、「声が小さい」だの「顔見せろ」だのなんのわけのわからない投稿があふれか

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「夜中にふとさみしくなるんです」とかいう不毛な会話

「夜中にふとさみしくなるんです」とかいう不毛な会話

A「わたしー、夜中にふとさみしくなることがあって〜」
B「わかるよ、おれも〜」

こんな会話をたまーに目にすることがある。この会話の感想をひとことでいうと、

なにをみせられてるんだわたしは。

以上。

と、ここで終わってはたんなるつぶやきなので、このことばのもつ含意を考えてみたい。

まずよく使われる「夜中に」という時間設定について考えてみる。
昼間にさみしくなるだったらなんかヤバいかんじがす

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すぐ「嫌い!」とお気持ち表明するひとに関するいくつかの考察

すぐ「嫌い!」とお気持ち表明するひとに関するいくつかの考察

○○が嫌い!ってネチネチいうひとってよくいる。

発言、表情、相手が持っているものすべてを拡大解釈しすぎて、なんかもう嫌いであることに生きがいを感じてしまっているようにもみえる。

もちろん、誰にだって嫌いなひとやものはある。
でも、その嫌いを棚にしまえるひとと、いつまでも背負い込んでるひとの差はあまりにも大きい。

棚にしまえるひとは、じぶんが嫌われる(もしくは嫌われている)という状況をも棚にし

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自分に厳しいひとと自信のないひとに関するいくつかの考察

自分に厳しいひとと自信のないひとに関するいくつかの考察

自分に厳しいひとと自分に自信のないひとってよくいる。

案外これってイコールなのかもしれない。自分に自信がないから厳しくできて、自分に厳しいからこそ自信が持てない…。
けっこうありそうな話だと思う。

いや待てよ、自分に厳しいことに自信のあるひとの場合はどういう扱いになるのだろう?

その場合、厳しいからこそ自信が持てて、自信があるからこそ厳しくできるという、最初のパターンと正反対の作用が働いてる

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苦労を燻らせているひとに関するいくつかの考察

まわりから見えない苦労を燻らせているひとってよくいる。

なんかほんとうにみているとつらくなる。別に「なんで認められないんだ」とかいう承認欲求みたいな類とかは関係なしに、ただただ燻らせている。

そういうひとに対して私は、あのひとはもっと評価されるべきだ!とか、幸せになってほしい!と心から強く願うのだが、なんだろう。
それじゃあまりにも他力本願な気もするし、なんとなく心許ない。

ならば、ねぎらう

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