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すぐ「嫌い!」とお気持ち表明するひとに関するいくつかの考察

○○が嫌い!ってネチネチいうひとってよくいる。

発言、表情、相手が持っているものすべてを拡大解釈しすぎて、なんかもう嫌いであることに生きがいを感じてしまっているようにもみえる。

もちろん、誰にだって嫌いなひとやものはある。
でも、その嫌いを棚にしまえるひとと、いつまでも背負い込んでるひとの差はあまりにも大きい。

棚にしまえるひとは、じぶんが嫌われる(もしくは嫌われている)という状況をも棚にしまうことができるのだろう。
それって心が広くみえるけど、もしやなんにも考えていなかったりして…。

一方、背負い込んじゃってるひとはたぶん、妬みや劣等感の処理の仕方がいつまでもわからないままでいるのかもしれない。

つまり、棚にしまえるひとに比べて、面と向かって認めてもらえたり、生き方を許してもらった経験が非常に少ないんじゃなかろうか。
その分、嫌いなはずの相手に許してもらったら、ころっと手のひらを返しちゃいそうな気がする。

結局のところ、認めてもらう経験がなければ、ひとを認めようという気持ちなど生まれようがないのかもしれない。
もちろん、認められすぎてるひとも考えものだけれど。

その一方、世の中にはじぶん自身が認められていることにほとんど気がついていないひともけっこういる。

そんなひとたちにどうやってじぶんが認められていることを認めさせるか。かなりむずかしいよね、これ。

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