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余白のある20代女子1人旅:瀬戸内海の豊島を歩いてみた

11月の休日。
旦那さんと私は1泊2日で別々のプランを立てていた。
彼は岡山県へソロキャンプ。
私は香川県の豊島へ。

出発は各々目的地へと向かい、帰りは合流して一緒に帰ることに。
同じ時間を使って全くことなる過ごし方。
絶対に面白くしよう、とわくわくの旅が始まった。

サイクリングじゃなくて歩いてみる

豊島は港が2つあり、岡山県と香川県の中間に浮かんでいる。
レンタサイクルを使って海の見える道を漕ぐのが気持ち良いのだが、今回はあえて歩くことにした。

高松港から豊島の家浦港までフェリーで移動し、到着したのがお昼前。
今回のメインである豊島美術館の予約まで歩いてちょうどいい時間あったのでのんびり散歩しながら行くことに。

港を出発しようとした時、いきなりラッキーなことに出会った。
豊島唯一の診療所で働く、通称「うたさん」。

動画では島唯一の診療所でお年寄りに寄り添ううたさんと死が当たり前のものとして日々を生きる島民の様子が描かれている。
私が彼女を知ったのはほんの1か月前、たまたま動画のおすすめに出てきた。


今回の豊島でうたさんと会う予定など全くなかったので突然の幸せだった。
少しお話をして豊島美術館へ向けて海沿いを歩いていく。

少し立つと今度は山の道へ。



何台もの自転車が颯爽と走っていくのを送りながら、紅葉が進む木々やカラフルな実を観察しながら歩いていく。
葉や実を立ち止まって観察して、写真を撮って、自然の香りを嗅げるのは徒歩ならではの贅沢だ。


豊島美術館

13時すぎに美術館へ到着。
数年前に一度訪れたことがあり、「永遠と過ごせる心地良い場所」として記憶していた。
そこには「母型」と名付けられたアートが在る。

豊島美術館の「母型」は、一日を通して、いたるところから水が湧き出す「泉」です。ふたつの開口部からの光や風、鳥の声、時には雨や雪や虫たちとも連なり、響き合い、たえず無限の表情を鑑賞者に伝えます。静かに空間に身を置き、自然との融和を感じたとき、私たちは地上の生の喜びを感じることでしょう。

豊島美術館 https://benesse-artsite.jp/art/teshima-artmuseum.html

胡坐をかいて座っている人
寝転んでいる人
立ちすくんでいる人
目を閉じている人
じっと一点を見つめている人

一人一人が思い思いの姿で母型を味わっていた。

コンクリートの建物は無機質で自然や命との一体とは正反対な物に感じる。

しかし2つの開口部は自然を受け入れ内部にゆったりと取り込んでいる。
そんな受け入れが中にいる私達をも包み込み絶えず変化する自然の一部と感じさせるのだろうか。
地面から湧き出す水は地面をころころと滑り泉へと合流し、また別の泉へと滑っていく。
水は意志を持って行くべき道を知っているかのように進んでいくが、たどり着いた泉で留まるものもあれば別の泉へと進むものもいて、その一連は流れに身を任せているようだった。

母型を創るものすべて ― 

鳥のさえずり

人 

絶えず変化しながら一瞬一瞬のアートを生み出していた。

最後にゆっくりと見渡し、のんびりしすぎるなんてことが一生来ないかのように感じる母型を五感に取り入れ私は美術館を後にした。

ベンチで読書

美術館を後にして少し上った見晴らしの良い道沿いに木製のベンチが並んでいた。
4つほど並んでいたが、誰もいないので一番端っこに座った。

黄色い棚田、空と海が一つになった青、足元のコスモス


フェリーに乗る前に買っておいたおやつのどらやきと本をリュックから取り出す。

気温は25度、太陽はぎらついていないがじんわりと身体を温めてくれる。
時々自転車を漕ぐ人や景色を見渡しつつ、読書をしているとあっという間に1時間が経っていた。

余白のある旅


岡山県の宇野港へ渡るため、唐櫃港を目指して歩き始める。
おやつ時になると太陽は夕方の準備を始め、空気にもひんやりした風が混じり始めていた。
 
今回の豊島では散歩と美術館だけ事前に決めていた。
詰め込みすぎない、せかせかしない、余白のある一人旅を思いっきり満喫した最高の時間だった。
 


 
ソロキャンプ中の旦那さんはそろそろ焚火で晩ごはんかな
美味しいものは調達できたかな
 
 
なんて考えながら私はフェリーに乗り込み、朝5時起きの疲れを抱いてしばし眠りについた。
 


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