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【ショート集】コタンの雌ぎつね

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ショート小説集第二篇
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#小説

【ショート小説】裏・見ます

日中にひとしきり降り落ちた雨は、その水分を空気中に漂わせて存在している。すっかりと暗くなった帰りの一本道を歩いていると、自分の足元に白い花弁が一面に落ちている事に気がついた。それを踏まない様にやや爪先立ちになると、まるでダンスを踊っているようになった。花弁はコンクリートと雨に打ち砕かれ、その白い色に所々灰色とも茶色ともつかない濁った色を浮かび上がらせていた。今日は本当におかしな一日であった。特別に

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【ショート小説】Thank you, my twilight

【ショート小説】Thank you, my twilight

バチんと水分を僅かに含んだ炸裂音が響いた。レースのカーテンを揺らす風が真夏の湿度を外から止めどなく室内へ運んでいる。僕はコップの底に染み込んだ黄色い液体をわざわざ持ってきたストローで吸い出しながら母を見た。浅黒く日焼けした肌は、やけに赤みを孕んで腫れ上がって見える。母は整った顔を醜く歪ませながら、一心不乱に自らの腕をバチバチと叩いていた。どうしたのとゆっくりと聞くと、蚊がね、いるのよ。と渇いた返事

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【ショート小説】パスコードみたい

【ショート小説】パスコードみたい

「明日の東京は雪になるわ。」
静かな微笑みを床に落として、娘はベージュの鞄を引き寄せた。細く白い腕には幼い頃の危うい脆さが今でも見る事ができて、思わずふっと息を零した。
「そうか。」
病室の窓から外を見ると燦々と降り注ぐ太陽の光が、僅かばかり夏の香りを残して遥か彼方まで真っ赤に染め上げているのが見える。私は窓辺に置かれた水を一口含んで、娘を見返す。娘は目を挙げる事無く、そのまま無言で病室を後にした

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【ショート小説】止まんない愛を1・2・3

【ショート小説】止まんない愛を1・2・3

人知れず八重咲きの竜胆が季節に似つかわしくない、水色の花弁をたわわに開いていた。鏡を覗き込んで襟を正すと、神父は無言のまま明るく照らされた廊下を歩いている。胸には真鍮で出来た神の像を忍ばせ、奥にある一室の扉を開けた。必要以上に日の光の入る部屋には、アクリルの境越しに一人の男が座っていた。男は神父に目を合わせる事もせずに、部屋の隅から只鉄柵に遮られた窓から差し込む暖かな日差しを眺めている。
「おはよ

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【ショート小説】ジリジリと夜になる

【ショート小説】ジリジリと夜になる

勾留者の朝は早い。充分な睡眠からぱちりと目を覚ますと、夜と同じく減灯された電球の黄色い灯りだけが世界を照らしていた。自分はばっと掛布を剥ぐと、染み入るような冬の寒さに体を放り出した。そそくさと布団を畳むと、その気配で同室の何人かが目を覚ましたようである。
時刻は午前七時。この部屋にいる五人は並べられた人形のように一列に正座をしている。数分もしないうちに、目の前の廊下に病的な灯りが灯る。聞き慣れた金

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【ショート小説】偽りの花

【ショート小説】偽りの花

整然と管理されているカフェのテラスは、優しい午後の日差しが差し込んで秋に差し掛かる時間を彩っている。インタビュアーは、目の前に座る演劇評論家に質問を投げかけていた。
「それじゃぁ、逆に今まででこれは一番ダメだって言う芝居ってありますか?」
評論家は口元に運びかけたコーヒーカップの動きを止めて、それをテーブルへ置き直すと、真っ直ぐインタビュアーを見つめ
「本物だ。本物はいかん。最低だ。」
と言うと、

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【ショート小説】宿命さえ運命さえも、どうぞ輝かせて

【ショート小説】宿命さえ運命さえも、どうぞ輝かせて

僅かに冷え込んできた空気を喉に入れ、微かな張りを感じると、意識は鮮明に色を付けていく。顔を上げて、いつもの景色を見ると顔面に張り付いた風が優しく髪をかきあげて、冷気を残したまま何処かへ消えていった。5年は乗っているアレックスモールトンの小振りなペダルに力を入れて、出来る限りの最速を保ったまま、僕は幼い頃から通い慣れた道を走っていた。田んぼの間を縫って広がる道路から、細い砂利道に入っていくと、再び突

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【ショート小説】好きだったのよ、あなた

【ショート小説】好きだったのよ、あなた

木材の断面から湧き出る粉っぽい香りと、鉄材の張り詰めたような香りが混じり合って鼻頭を刺激した。自分は誰かに気付かれないように、それを肺の奥まで吸い込んで、すぅと吐き出す。開店したての平日のホームセンターは、数人の業者がまばらに各々の必要な道具を探し当てる姿以外は、まだ眠りから覚めていないように暗く静まり返っていた。自分は並んでいる木材に頬を擦り付けると、光悦の表情を隠し切れず思わず、おぉと声を漏ら

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【ショート小説】わたし少女A

【ショート小説】わたし少女A

目には見えないほどの巨大な団扇を振り下ろすように、身体を吹き飛ばそうとする風が背中から足早に通り過ぎて行った。僕は不意にそれを掴みに全速力で走り出した。9月も半ばに差し掛かった午後の2時頃である。車も見ずに道路を横断すると、立ち塞がるフェンスを鷲掴みにしてグイグイと上へ登り、いとも容易くそれを乗り越えて、日常の向こう側へ降り立つ。誰もいない場所には希望に満ちたような鋼が遥か遠くまで伸びている。その

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【ショート小説】夢中で致して

【ショート小説】夢中で致して

ペンを握る右手に力がこもった。切先は紙を突き破ると、腕が誘導するまま目の前の原稿用紙を斜めに引き裂いて鈍い音を立てていた。はぁと聞こえるように大きな溜息をつくと、無惨にも破れ去った紙を重ねてゴミ箱に放り込む。ここ数週間の天気は曇りのち雨が続き、窓辺から臨む景色は自分の気持ちとリンクしている様に思えた。
コンコンと扉をノックする音が聞こえたが、どうにも応える気力も無く、そのまま机に突っ伏して目を閉じ

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【ショート小説】政治家とギャングの違い

【ショート小説】政治家とギャングの違い

まだ夏の残り香の漂う空気に混じった朝日が、校舎を浮き上がらせていた。職員室を出て、薄く埃の舞う廊下を曲がる。ふと、大窓から差し込む朝日が目の前の埃をキラキラと輝かせているのが見えて、自分は塞ぎ込んでいた気持ちに更に大きな蓋がされた様な気がした。9月1日、火曜。今日は長かった夏休みも終わり、真っ黒に日焼けした生徒達が一斉に登校しだす二学期の始まり。
夢の残像の残る脳を振りながら歩いていると自分の教室

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