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生きていたいんだよな

今回はあいみょんさんの曲からタイトルをお借りしてみました。
皆さんは、生きている実感をどのような時に得られますでしょうか。

私は、誰かと話したり繋がっている時、
子どもと自然に触れ合っている時、
無我夢中に仕事をしている時、
温泉に入ってリラックスをしている時、
創造性ある行動から自身の琴線に触れた時、
ジムで汗を流している時、
他者への貢献を感じた時、
世の中の発展に寄与する製品に出会えた時、
映画や芸術作品を見て感動した時、
その他、日常の小さな喜び、など
様々な状況で生きている実感を得る事ができます。

特に、私の場合は何か自ら主体的に動いている時などに、
生きている実感を得られる事が多いようです。

ここで、あいみょんさんの音楽を引用すると、

この歌詞の一節に、

『「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな。』

あいみょん - 生きていたいんだよな

というフレーズが有ります。

この曲自体は、自ら亡くなった方への哀しみ、
それを取り巻く社会の冷淡さを描いていると解釈しており、

上記の言葉には、
「精一杯、生きる。」なんて美辞麗句を並べ立てても、
「生きる」ことはそれ自体が難解なことだと捉えています。
そして皆、不安を抱きながら悩みながら生きているのかなと。

多くの人は、「生きなさい」と言われているから生きているのでなく、
自発的な選択の下、生きています。

生まれた瞬間、その時から選択は始まり、
特に自我が存在するその時から、その一瞬一瞬は
選択し、切り取られ、掴みかかる過程の連続です。

人は人である限り、生と死から逃れられません。
悩みながら、もがきながら、内外どちらでも叫びながら、
人は人である限り、生きている実感を持ちながら、
自分が無意識、意識的含めて、最善の選択を取ります。

時には、この歌のように、飛ぶという
メタファーを行動に移してしまう人もいるかもしれません。
ただ、私個人は踏み止まってほしいと感じる所もあります。

「精一杯生きる」とは何でしょう?

それは単に、前向きに頑張って生きる
ということだけでない、と私は思います。

自分の苦悩と向き合い、
社会の中で自分の位置を見出し、
変化に適応し、希望を持ち続け、
他者の痛みにも敏感であり続けることを意味する

つまり、複雑な事を自分の考えを持って選択する必要があります。

折角なら自分が求める事を得て生きていたいものです。
折角なら自分が納得する選択肢を選択したいものです。

この文脈の中で、私が考えたことは、
「生きている」ということはそれ自体が過去も含めた選択で、
「生きる」ということは未来に向けた意思も含んでいると考えます。

最後に、「自分の軸」なんて簡単な言葉で表せない苦悩こそ
勿論あるのは分かるのですが、一貫性のある生き方を行い、
自分の意思に沿った生き方をするのとしないのでは、
全く生きている実感は変わってくるのかなと感じました。

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