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他人の人生を、卒業しよう。大学生キックボクサーの信念

この記事の所要時間 13分29秒

住んでいる地域や学校、会社などの”小さい社会”の中で肩身の狭い思いをしながら生活を送る人は多い。
そんな中でキックボクシングと勉強漬けの毎日から世界に飛び出す1人の若者がいる。
トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム12期生で、大学生キックボクサーの首藤賢吾(しゅどうけんご)さんに話を伺った。

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首藤賢吾(Kengo Shudo)
慶應義塾大学3年生。男子校の暁星学園に12年間通う。大学生時代に、ミャンマー、タイ、アメリカ、メキシコ、カナダ、香港、イタリア、フランス、スペイン、オーストラリアを旅する。ONEChampionship 日本支社と一般社団法人bb projectでインターンを経験し、スポーツビジネスを通しイベント運営・企画、マーケティング・集客などを学ぶ。トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム12期生。2020年6月にプロキックボクサーとしてプロデビュー戦を予定。(格闘技団体『KROSS×OVER9 in TOKYO』2020年6月28日〔日〕新宿パークタワー大会の予定。*新型コロナウイルスの影響で開催可否は未定)

記者と取材対象者は以前から親交があったため、インタビューは口語体で行いました。

散らかった欲望を整理する

記者:iLEAPの時から変わらないと思うのは、賢吾は、自分の興味には、ネジがちょっと外れる。普通は、常識やルールから踏み出すのは、勇気がいると思う。
そこには好きなものに対するピュアがあると思うけど、自分の中ではどう感じる?他の人とは違うと思う?

iLEAPとは
アメリカ・シアトル で若者にリーダーシッププログラムを教育する教育団体。詳しくはこちらから

賢吾:みんなと大きく違うのは、好きなものへの数が少ない。逆に言えば、嫌いなものの数が多い。取捨選択がはっきりしている。白と黒で言うと、黒の比率が多い。他の人は、ハッキリとNOという姿勢があまりないと思う。なんとなく嫌でも、なんとなく受け入れられる

俺はもう、「ここ(ワイシャツの第一ボタン)を閉めるだけで嫌」みたいに、些細なことでも意見や持論がある。YESに対する反動じゃないけど、NOがいっぱいあるからYESに対する反発力が人一倍働く気がする。

誰も不幸にせずNOと言える

記者:白黒はっきりさせるのは、大学に入る前はそんなに意識しなかった?

賢吾:大学に入る前は、自己理解の解像度が粗かったから多分わがままに近かった気がする。黒に対するマネジメントができなかったから、衝突は多かったと思う。そこに対するマネジメントは、大学入学以降自分で身につけてきたから、誰も不幸にせずNOと言えるようになった

記者:NOを言うことのマネジメントは、私は結構苦手だと思う。自分の中ではどう動いてる?

賢吾:2パターンいると思う。1つは、愛想がよく、やんわり言うとなんか嫌な気がしない社交的な人。やんわり断るのが上手い人。俺はそれが結構苦手で、愛想も、、あんまり得意じゃない。どうやればいいのかわかんない。

もう1つは、他の人が隠しがちな信念や主義を完全に表に出す。イメージで言うと、自分を表現する「旗」を立てる。自分の旗を立てると、その旗を見て周りの人が接してくる。おれは、直接1対1の時に限らず日頃から発信とか、他の人がちょっと隠すようなところの感情や信念に蓋をしないから、「確かにお前はそうだからな」と周りが理解しやすい。

なんでそうなったかと言うと、組織に属し組織に生かされるのではなく、一人の人間として色んなベクトルに動きたいと思った時に、逆に「旗」がないと目に止まらないくらい自分がちっぽけだと気づいた。

旗を立てれば、共感する人・興味を持つ人が寄ってきてくれる。旗を嫌う人や旗にAgreeできない人は近づかない。わざわざ土足で踏み込んで来てこのヤローと喧嘩を売る人はほぼいない。旗を立てることは適切な距離感で適切な人と付き合うのに重要だと思う。無駄な摩耗が減るから、人間関係のストレスが一切ない。

社会という単位じゃない、個人の思い

記者:人から受ける批判は感じない?

賢吾:あんまり感じないかな。社会は意見がめっちゃ溢れてると思うから。逆に、何を言うのも俺は良いと思う。そういうのがたくさんあるのがとても健全で、右向け右が一番不気味で気持ち悪い。自分と相まみえない意見や思想に直面しても、直接”俺”が名指しで批判されると結びつかない。そこの俺の領域、パーソナルテリトリーには入らない。「そういう意見もあるんだね」っていう感覚。

根底の前提は、「みんな違う」。出る意見が同じであれば、違いもある。社会という一つの巨大な単位は、あるようで存在しない。社会に従っても、振り返った時に社会は99%責任を取ってくれない。社会という単位は漠然としすぎて、あくまで個人の集合体と捉える方が判断しやすい。

共感や同意に拘らない

記者:旗を立てるのが、私は怖い。自分と周りの軋轢を生むのは居心地が悪く逃げるけど、旗を立てることについてどんなマインドを持ってるの?

賢吾:意見の食い違いや人に共感されないことに対しての抵抗感がない。意見の違いや共感されないこと=「否定」ではなく「差」だから。これは、ディベート型の教育が少ない日本では誤解されている。それに「友達が少ない」リスクやダメージはあるようでほぼ無いと思う。量より、質

盲点だけど、組織・プラットフォームが共通項でつながる友達は、ガチャガチャみたいな偶然の産物。「その人」が好きなのかは混同している。「記号」でつながると、疎遠になったり脆かったりもする。一方で、「場」を超えた友達は「なるべくしてなった友達」が多い

人は水のように変化する。昔の友達と分かり合えないのも普通。着地点を「分かり合う」「仲良くなる」のは妥協点の難易度が上がるから、心身共に摩耗する。自分は意見や人にオープンで否定や非難はしない。だけど、自分の世界・内心に他人は入らない

誘われても、全体の集会は95%行かない。自分から距離を縮めに行かないから。ほとんどの人に好かれなくても、助け合えるファミリーみたいな存在と密接になる。

「何が何でも助ける」・「分かり合える」・「ずっと」の友達は、安売りされるもんじゃない。だから感覚や奇跡は、メチャクチャ貴重で希少。そっちの方が財産だし、幸せかな。

日常がすごい好き

記者:自分に不安を感じない?

賢吾:「自分」があり、どこに行っても最低限「自分が必要なもの」を達成できればいい。人や場所の外的要因に左右されなくなるから、どこに行ってもあまり不安にならない。

例えば、30万円のブランドバックを買うよりも、700円のラーメン屋さんでトッピングを足して1000円で食べる方が好き。ワークライフバランスを崩したら、お金は得られても幸せが達成されないと逆算できる。日常がすごい好きだから、バランスを守りたい。

日常は自分の24時間のサイクルで割と決まる。これとこれとこれをするとハッピーに過ごせると分かる。練習をするとか、体を動かすとか、あとは本を読むとか。そこのゾーンは誰にも奪わせない。日常が崩れると俺はすごい不安になる。

普段から「日常」を意識するから健康だし、いまさらコロナだからって練習は最大限配慮しながらでもやる。普段から不摂生な批評家気取りの人が「健康リスク」に目くじら立てて来る姿には、「そうですか」としか思わない。

自分のモノサシで幸せを再定義する

記者:自分の力量に合わせ仕事の量を調整し、ストレスをコントロールできる人もいるけど、そうじゃない人もいる。そうじゃない人は漠然と不安に感じると思う。

賢吾:例えばコロナがなんで起きるんだよと悩んでも一生答えは出ない。でも自分の周りや自分を変えられる部分はあるかもしれない。もちろん社会問題のなかで、結果的に自分の周りでも変えられないものもあるかもしれない。割とそこは丁寧に分解する必要がある。そこの分解は甘い学生が多いと思う。

逆に自分がやれる、できないがはっきりすると、リソースをそこに費やすだけ。分解して考えると楽かな。漠然とした悩みが具体的な悩みになる

もちろん、社会・市民として生きる限り、小さな力しか持ってなくともコミュニティの一員であるマインドは大事。けれども、手放すもの・手放したくないものが社会的規範で流されてるか、それとも自分のモノサシで決まるのかで、人生のQOLは変えられると思う。

まとめ

同じiLEAP グローバルリーダーシッププログラム 2019に参加し1年の付き合いだが、彼の行動力と思考の柔軟さにいつも驚かされる。

人目を気にせず進んでいけるのは、彼が社会と向き合い、対話し、自分のできる・できないを丁寧に分析した上で行動し、絶えず内省するからだと取材を通し感じた。これからもひたむきに真っ直ぐ進んでいく彼を応援する。


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