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抱きしめるつもりで、しがみつく母

自分には価値が無い、という思い込みを、心の内側にべったりと貼り付けている人は、

その無価値感から目を逸らしたい、という欲求はとても強いのです。

無価値である、という思い込みがとても強い、ということは、
別の言い方をするならば、自己評価は、極めて低い、ということです。

無価値な思い込みから目を逸らす為には、その極めて低い自己評価をなんとか持ち上げなければならない訳です。

だから、価値が無い、と思い込んでいる人の、生きる目的、は自分には価値が有る、ということを証明すること、になってしまいます。

人生を豊かにしたい、とか、充実感を求めるとか、
そういったことには、目が向くことは無く、
ひたすら他者から褒められたい、羨まれたい、よく思われたい、ということばかりを追い求める事になってしまいます。

評価軸は自分の中には無く、他者の評価が全てです。

自分は無価値なので、無価値な自分の評価などあてにならない、と思っています。
周囲が「スゴイ」と言ってくれて初めて、自分の価値を感じます。

他者の評価が自分の価値を決めるのですから、
自分は無価値だ、と思い込んでいる人は、押し並べて、おだてに乗り易く、騙され易い人、とも言えると思います。

カラカラに乾いているのです。
だから、毒入りの水でも、見た目がキレイであれば、喉を鳴らして飲んでしまいます。

ズルい人は、騙され易い人を見つけ出す事に長けています。

ズルい人はさもキレイな水を差し出します。
無価値だと思い込んでいる人は、乾いているから、一気に飲み干します。
毒が入っていても、カラカラだから気がつきません。

そんなカラカラに乾いた人が、親になると、

我が子の尊さにも気がつきません。

価値は他者が与えてくれるものだから、
自分の中にも、我が子の中にも、価値は無い訳です。

そもそも、乾きから、我が子の尊さに気がつかない時点で、

親は我が子を価値ある存在とは感じていません。

独立した人格であることも認識しません。

つまり人格を認めないので、
その子は、自分が産んであげて、育ててあげている存在、自分のもの、という感覚です。

自分の従属物であり、所有している感覚です。

幼児は徹底的に無力です。

親から守ってもらわなくては生きる事が出来ないのは動かし難い事実です。

その無力な幼い子供が生き抜く為に備わった能力が、たった一つだけあります。

それは、何があっても親を慕う力です。

幼児は親を慕って、慕って、慕い抜きます。

子は親を慕い、親は子に愛を注ぐ仕組みになっています。

ところが、カラカラに乾いた無価値感に苛まれる人には、

何があっても、自分を慕って止まない我が子の姿が、絶対服従の姿勢に見えてしまうのです。

既にカラカラに乾いた親は、自分の価値を感じさせてくれる水を手に入れる事でいっぱいいっぱいです。

人生の目的は、他者からの承認を得る事であり、他者の賞賛です。
自分の地に落ちた自己評価を持ち上げなくてはならないのです。

自分が産んであげて、
自分が育ててあげている、絶対服従のその子は、親の自己評価を持ち上げる為の道具にされてしまいます。

外を歩けば、しっかりした子、優れた子でなくてはなりません。

親は、しっかりした子のちゃんとしたお母さん、と褒められたいから、です。

ところが、家に帰れば、その子は親より劣った存在であることを求められます。

子供が優れていると、親の無価値感がズキズキと疼くからです。

その子は優れることと、劣ることの両方を求められ、

心は裂けてしまい、自分が優れているのか、劣った子なのか、自分はいったい何なのか、さっぱり分からなくなってしまいます。

その子の、自己、を奪ったのは、自分の乾きを潤すことが、人生の目的になってしまっている、親、なのですが、

親は、その自覚がありません。

自分が、その子を優れた子にしようと、尻を叩くのは、その子のことを思えばこそ、

自分がその子を劣っていると責めるのは、その子を愛すればこそ、

だと信じ込んでいます。

自分は愛情深い親だ、と悦に入ってさえいます。

子供の方は、生まれた時から、そういう親子関係の中で育ち、
その親子関係しか知らないのですから、

親が、この親子関係は温かい、と言えば、そう信じてしまいます。

親子は冷たい湖に浮かびながら、この湖は温かい、と言うのです。

湖面に浮かびながら、親は子を抱きしめているつもりで、
その実、子供にしがみつき、絡みつき、
子供は溺れかけているのに、気がつきません。

無価値感に苛まれる親は、
抱きしめているつもりで、しがみつき、
励ますつもりで、絡みつき、
惜しみなく与えるつもりで、限りなく奪うのです。


無価値感に苛まれる親も、子も、

真実を見据えて、それをしっかりと意識の上に並べる必要があります。

氷の様に冷たい湖は、冷たいと認識することが必要なのです。

無価値感から目を逸らす為の親子関係は、

親が創ったファンタジーの世界です。

子供はその世界に巻き込まれて、生きるしかありませんでした。

心理的虐待を受けた子は、自分は人並はずれて愛された、と言います。

生まれた時から、冷たい湖を温かいと思わなければ、生きられなかったから、です。

最初から、親が創り出した、まやかしの世界に生きたからです。

幼い日、何があったのか、

正面から見据えることが、

そこを離れる第一歩です。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム







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