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サッカーなんて将来役に立たないから、塾に行きなさい

たとえば、小学二年生の息子が、サッカーをやりたい、と言った時、

親は、
「サッカーなんて将来何の役にも立たないんだから、塾に行きなさい」
と、言いました。

このやり取りを、どう思うでしょうか。
子供の将来を思っている、と思いますか?

私はこの子の将来が心配になります。

親がこう言うには、意図があり、理由があるのだと思います。

意図があり、理由があるのが問題、とも言えます。

つまり、親は自分の思いを通しています。
親は自分の気持ちを子供に押し付けています。

この子は、初めてかも知れない自発的な意思決定を頭から否定されています。

サッカーがしたい、という純粋な興味、関心、好奇心です。

興味、関心、好奇心は人生の推進力です。

幼い子供にとって親は絶対です。
子供は無力で、その力関係は圧倒的なのです。

その圧倒的な存在から、頭ごなしに否定されると子供は、自分の興味、関心、好奇心は親から許されない悪いこと、という思い込みを作ってしまいます。

その思い込みは、その子から人生を切り開いて進む、推進力を奪います。

親から見て、その子はスポーツの適性に恵まれていないのかも知れません。

だったら、勉強を頑張って、中高一貫の有名中学に受験して入った方が、その子の為だ、という親の判断なのかも知れません。

しかし、その子は自分の意思で選び取って良い、という感覚を潰されます。

その子は適性の有る無しでは無く、純粋な興味、関心、好奇心に導かれているのです。

仮に、本当にその子に適性は無く、ずっと控え選手だったとしても、

その子は、自分で選んだ満足感と、選択する権利は自分に有る、という自信を得られます。

そして、自分で選んだサッカーから、その子が得るものは、

ドリブルの技術よりも、強靭な身体よりも、一生懸命打ち込むこと、です。

懸命に打ち込む喜びを得るし、その意味を学びます。

親の希望通りに学習塾に行って、たとえ適性が有って、クラスで一番になったとしても、

その子は、一生懸命、の喜びは知ることが出来ず、学びを得ることもありません。

純粋な興味、関心、好奇心に沿った選択だからこそ、一生懸命になることが出来ます。

一生懸命だからこそ、人との関わりや、友情や、様々な心のこと、を学びます。

一生懸命やってみたけれども、親が思った通りに、天賦の才には恵まれておらず、万年ベンチウォーマーに終わったとしても、

その子は、自分の可能性を信じたことが経験になります。

加えて、自分の健康的な限界点も知る事になります。

自分で限界を決めるな!突き破れ!といった教えも耳にしますが、

可能性を信じることを知るのと同じぐらい、自分の健康的な限界を知ることもまた、生きる上では必要だと考えます。

自分の健康的な限界を知らない人は、フルスロットルで生き急ぎます。

世に言う、限界突破せよ!の教えは、生涯で何度か訪れるかも知れない、ここ一番の踏ん張りどころでの話しです。

限界が分からないと常に120%を求め、アクセルを思いっきり踏みっぱなしで生きて、いつか燃え尽きますし、

結果偏重の追われる様な姿勢になってしまいます。


有名大学を卒業して一流企業に就職しても、コミュニケーションがままならず、仕事が出来ない、などということもよく耳にします。

霞が関で高級官僚になって燃え尽きる話しも聞きます。

どちらも、興味、関心、好奇心を潰され、生きる推進力を無くしているのに、結果偏重の前のめりな生き方をしてしまった結果の様な気がします。


本当に子供のことを思うなら、将来役に立ちそうなこと、では無く、
子供の今の興味、関心、好奇心を優先して欲しいと思うのです。

その子は、サッカーの技術では無く、生きる術を学びます。

たとえ万年ベンチウォーマーでも、活発に動く感情と豊かな心を手にします。


子供が生きづらさを抱えた時、親は心の問題であることには、気がつくことが少なくありません。

親は、子供の心の問題、だと捉えますが、実は問題は親の心にあります。

例に挙げたサッカーを取り上げた親は、尊重する、ということが解っていません。

サッカー好きな大人に、サッカーは役に立たない、と言うでしょうか。

子供だから、言っても良い、は子供をひとりの人として尊重していない証しです。

我が子だから、は子供を所有している、と言うことなのです。


尊重が解らない親は、殆どの場合、親自身が幼い頃に尊重されること無く育っています。

遡れば、親も興味、関心、好奇心を叩き潰された側ですが、

今は子を持つ親なのです。

子供の生きづらさに気がついたなら、根っこは親の心に伸びています。

親自身が自分の心と向き合って、尊重する、ということを、

探し出して欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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