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この人キライ、と思いながら笑顔をつくる人

この人キライだなぁ、と思いながら、笑顔で調子を合わせたりすることが多くないですか?

逆に内心、好意を持っている人に、馴れ馴れしいヤツ、と思われないかと心配になって、よそよそしい態度を取ること、無いでしょうか?

心と、言動の方向が相反するとき、人は苦しくなります。

心の内と、オモテに出る態度が、反対方向に引っ張り合って、苦しくならない訳が無いですよね。

アクセルとブレーキを同時に掛ける不自然な状態です。

しかもアクセルもブレーキも、ペダルを踏む加減は結構強めです。

がっくん、がっくんする訳です。

クルマを運転している最中に、がっくん、がっくんするクルマと遭遇したら、

余程の物好きでも無い限り、出来るだけ近づかない様に距離を取る、と思うんです。

人間関係も同じで、心と言動が不一致な人には、健康的な人は距離を取ります。

心と態度が不一致な人は、自分は葛藤に苦しみ、
周りの健康的な心を持つ人からは、距離を置かれ、

あまり良いことは無い様な気がします。


健康的な心を持つ人であっても、本心とオモテに出す態度とが、違っていることは、少なからずあります。

世の中を生きる上で、本心を全てさらけ出すことは、おそらく出来ません。

だから、健康的な心を持っていても、自分の会社の社長と長い時間一緒にいると、肩が凝りますし、

得意先の接待では、気疲れします。

ただ、健康的な心を持つ、ということは、
自分に対する安心感がありますし、
自分には価値が有る、という感覚があります。

だから、自分が自分を大切に扱う範疇で、相手に対して最大限のおもてなしをする、ということになります。

自分の価値を踏みにじる様なへりくだり方にはならないのです。

お偉いさんの放った笑えないジョークに、笑って応える事も有ると思いますが、

それは、自分の価値を貶めない範疇でのつくり笑顔です。

何が何でも相手に合わせない、何が何でも場の空気を読まないことが、自分を大切にすることでは無い訳です。

大切な自分を守る、ということは、
自分の価値を貶めないで、精神的に守る、
円滑な人間関係を構築し、社会的に守る、
危険を予知回避して、物理的に守る、
と言った多方面に渡るセンサーを使って初めて、自分を守ることが出来るのです。

健康的な心には、その尺度が備わっていて、その落とし所が適切である様にと、探りながら人生を歩きます。

健康的な心を持つ人にとって、自分が大切ですし、自分の人生も大切です。

大切な自分と、自分の人生を守る為なら、探って落とし所を見出す手間にさえも、自分を守る喜びが有ります。

一番大切なのは、自分であり、自分の人生だという大前提が揺らがないので、人格として安定感があり、

その安定感は、他者にも安心感を与えます。

がっくん、がっくん、していないから、周りのクルマも安心して通行出来る訳です。


一方、心に葛藤のある人は、冒頭で触れた様に、嫌いな人に笑顔で、好きな人にそっけなく、

自分の感情に素直になれないことが、苦しみの原因ですが、

つまりこの人は、自分の感情に疑いを持っています。

自分の感情に懐疑的でなければ、好きな人には好意を持って、嫌いな人にはそれなりの態度を持って、接する筈です。

自分の、好き、にも、嫌い、にも自信が無いのです。

もう一段深堀りすると、心に葛藤を抱える人には、本来の、好き、嫌い、の感情がボヤけていることが多い、と思っています。

心に葛藤を抱える人の、好きな人、は、
自分に優しい言葉をかける人、だったりします。

嫌いな人、は、その逆ということです。


人の人間関係のひな型は、親子関係によって概ね決まります。

幼い子供にとっては、親が世界であり、親が全て、です。

親の人間関係のひな型が健康的なものであれば、子供はそのひな型を引き継いで、健康的な人間関係を構築します。

親の人間関係のひな型が葛藤に満ちたものであれば、子供は葛藤する人になります。

その親が子供に渡すひな型は、子供がいくら泣きたい気持ちでも、親が笑うことを求めれば、

自分の気持ちなど放り投げて、親の求める通りに笑いなさい、というものです。

生まれてからずっと、その環境で育ったら、親の顔色を見ることには、長けていても、自分の感情がさっぱりわからなくなってしまいます。

そして親は、子供に泣くことを禁じて、親の要求を通したことを、言葉で正当化します。

躾けとか、道徳とか、礼儀といったものの姿を借りて、親の要求を正当化します。

「お前の為を思って」と言います。

つまり、自分の感情がわからない上に、意図と言葉が乖離した環境の中で育ち、その環境から出来上がった人間関係のひな型を持って、その人は人生を歩みます。

その人は自分の感情がわかりません。
その人は葛藤します。
その人は自分が嫌いです。

その人の持って生まれたものが間違っている訳ではありません。

持たされた人間関係のひな型が間違っているのです。

知ることで全てが解決する訳ではありませんが、

知ることが、全ての始まりであることは確かです。

対人関係に、何かおかしい、という引っ掛かりがあるならば、

立ち止まって考えてみる時期なのかも知れません。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム







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