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"暑い夏の夜に思うこと"

夏本番がやってきたようだ。
毎年、毎年この時期はやってくるのだけれど、今年はちょっと違うぞと意気揚々としながらも、充実感は上がっているように感じる。

大学を卒業し、大学院に進学して、もうすぐ半年が過ぎようとしている。長いというか短くもないし、もうすぐ将来についてきちんと考えなければいけないなと、自分と向き合う時間が増えてきました。

たとえ博士課程に進学して、博士号がとれたとしても、その後の人生が安泰ではないのが、日本独特なもののように感じます。海外だと、ふつうに大学院生という職業が成立していて、すべてではないかもしれないけど、研究をしながらお金をもらって、生活できるのが魅力でもあります。日本の場合は、研究をするためにはお金が必要だという考え方が浸透してるので、優秀な人は外に出ていくだろうし、博士号とれても定職につけず、無職やフリーターになってしまい、「今まで俺はなにしていたんだっけ?」と首を傾げる人も普通にいるんやろうなと思う。そんで、年もとるから若さを失い、後戻りさえできないから、将来は絶望的でしょうか。それでも目指しますか?というのが教授の本音かしら。

「研究者になりたいか?」と聞かれるとクエスチョンマークが付きますが、感覚的にどの職業もフィットしなくて、唯一、肌に合うものが「研究職」だけだったから、自然とそっちの方向性を目指すようになっていたのかもしれません。他の職業はなんだかんだいって、違和感があったし、正直これでいいのかもよくわからん。小学生の頃のじぶんと答え合わせをするかのように生きてますが、もしかしたら、なりたいものとか、やりたいことが自分はある方なのかもなと、最近気づいてきました。じぶんは感覚的に決める癖があります。「そっちじゃない」って思うのなら、そっちじゃないんでしょうね。でも、もうそろそろ現実をみろと、そして、腹を括る覚悟を持てと、誰かに言われたような気持ちになりました。

「もうお前、行き着くところまでいってしまえや。」どうみても自分に実力があるとは思えないし、現実的ではないのは誰よりもよく知っています。それでも、自分にだけは期待していたいんですね。ポンコツかもしれないけど、じぶんがどこまでいけるのか、一個人のファンとして、最後まで見届けたい気持ちはあるのです。それがきっとぼくが生きる意味であり、価値なんだろうなと思ってます。

ほんとうは数学者になりたかったから、その夢をどうしても捨てきれずにいるのかもしれません。この世の中、いろんな仕事がある。ゲーム好きなら一度は聞いたことがあるであろう大企業を目指してみるのもいいですよね。現実的に考えることって大切だけど、その人の可能性をぶっ潰しているようにも見えるんですね。

でも、どう転んでも「(じぶんは)絶対に大丈夫だ」という謎の自信だけはあるんです。あまり将来に対して強い不安を感じることは少なくなったし、もし、ドロップアウトしてしまったら、「こうすればいい」という逃げ道があるので、もっと肩の力抜いて、リラックスして生きてこうぜというスタンスで、いまは生きてます。

頑張れなくてもいいんだと思ってます。どうせ「やれること」なんて決まってるし、限界を超えてしまいそうになるときもあるけれど、もっとゆるく優しく生きていいんだと思います。ここから自分の持ってる能力がどこまで開花するのか楽しみでしかたありません。いけるところまで行ってみます。

それではまたどこかで。お休みなさい

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