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【映画感想文】ほんと映画って最高に残酷で、最高に素晴らしい! - 『フェイブルマンズ』監督: スティーヴン・スピルバーグ

 最近、仕事を辞めて時間ができたので、Amazonプライムで映画を見まくっている。

 もともと、わたしは映画を作りたくて、そのために生きていく道を選んだはずが、知らぬ間に食っていくための労働で忙しくなっていた。

 本当は仕事なんてしたくなかった。でも、映画を撮るにはお金が必要。その最低限度の予算を確保するため、仕方なく働いていたのは遠いむかし。気づけば、安定した収入を維持することが目的となり、カメラを回せないどころか、映画館に行く暇もなくなっていた。

 本末転倒の日々が苦しかった。それで、やりたくない仕事は綺麗さっぱり辞めてしまった。結果、収入は激減したけど、久々に自由を取り戻した。

 で、Netflixに入るのも財布に痛いので、Amazonプライムを学生料金で見ている。(放送大学に入ったのだ! これもネット上でいろいろな授業を楽しめ、サブスクとして優れている)

 ラインナップを眺めつつ、「あー、この映画ってもう上映終わってたんだ。劇場行きたかったのに、もう配信されているなんて、最近はサイクルが速いなぁ。って、もう三年前の映画なの!」みたいに驚くことが多数。浦島太郎になった気分を味わっている。

 スティーブン・スピルバーグ監督の『ファイブルマンズ』もそういう映画のひとつだ。

 デイヴィッド・リンチを崇拝しているわたしは、スピルバーグの自伝的映画に、リンチがジョン・フォード監督役で出演すると聞いたとき、絶対見なきゃと興奮していた。なのに、その後、情報を追わなかったというか、追えなかったというか、くだらないことに人生を無駄遣いし、現在に至っていた。

 だからこそ、見るか見ないか、ちょっと迷った。これがもし傑作だったら、自分が過去に選択してきたことの間違いが確定してしまいそうだったから。

 もちろん、これまでのことが正しかったとこれっぽっちも思ってはいない。現に、仕事を辞めたわけだし。でも、確定させるのは怖かった。

 ただ、いまのわたしは自由である! 守るべきものはなにもない。故に無敵。ビビらず行こうぜ!

 たかが、映画を見るだけなのに、自分を鼓舞して、どうにかこうにか再生ボタンを押してみた。

 見終わった後、案の定、落ち込んだ。こんな傑作を見ていなかったなんて……。同時に、嬉しくもあった。やっぱり、映画って最高だよなぁ、と。

 ストーリーはスピールバーグを思わせるファイブルマン少年が大人になり、映像制作会社に就職するところまでを描く。

 最初はただ楽しくて映画を撮っていただけの子ども時代。親に連れて行ってもらったアクション映画の列車激突シーンを再現する喜びから、ボーイスカウトのメンバーを集め、大作パロディの自主制作に目覚めていく。

 だが、成長するにつれ、映像を撮るということには楽しさだけでなく、残酷な一面があると知っていく。日常では見逃してしまう人間の裏側を映像をありのままに記録してしまうのだ。また、編集によって、本来よりも美しくも醜くも見せることもできてしまうわけで、撮られた対象は現実世界で苦しむことになる。

 あくまで、普通な出来事が普通に描かれるだけの物語だけど、映画の持つ残酷さと素晴らしさを高解像度で浮き彫りにしていた。

 ああ。そうだよね。スピールバーグ。映画って本当にそうだよね。わたしは何度も何度も頷いた。

 自分が関わった映画はそんなに多くないけれど、いつも、多幸感と罪悪感のアンビバレントな思いに心をすり減らしてきた。面白いものが撮れて、面白い編集ができたとき、見てくれた人たちの歓声を聞き、わたしは恍惚になる。ただ、その後、撮影対象者からは「面白おかしく作りやがって」と苦言を呈されたら最後、申し訳なさで頭がおかしくなってしまう。

 特にドキュメンタリーはそうなりやすい。作品を褒めてもらえたとき、自分はドキュメンタリーに向いているかもと勘違いしたけれど、その後のトラブルに耐えられず、全然向いていなかったと悟らざるを得なかった。

 しかし、その感覚をスピルバーグも持っていたなんて。驚きだった。それも、頭のおかしいおじさんを通して、芸術を極めるためには家族も友だちも恋人も不幸にする覚悟が必要と明言すらしていた。

 あらゆるジャンルの映画で世界中の人々を楽しませてきたスピルバーグでも、作品を発表することが身近な人間を傷つけるカルマを背負い続けていたとは。

 ちなみに最後の最後でジョン・フォード役のリンチが出てきた。映画にとって最も重要なことを端的なセリフで若きスピルバーグに伝えていた。これまた、映画の残酷さと素晴らしさを表す完璧なシーンとなっていた。

 いやぁ。この映画は劇場で見たかったなぁ。でも、いま、そう感じることができている幸せなのかも。仕事を辞めていなかったら、きっと、あと何年も、いや、一生見なかった可能性もあるわけだから。

 わたしにとって、『フェイブルズマン』見ることは失われた時を取り戻すような行為であり、半ば、精神的治療だった気がする。



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