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【ショートショート】石を積む少年 (2,381文字)

 夕方、犬の散歩で河原を通りかかると、小学生らしき男の子が一人で石積み遊びをしていた。いつもは子どもたちが野球をしたり、サッカーをしたり、駆けっこをしたり、賑やかな場所だったので、孤独にせっせっと頑張る姿はやけに目立った。

 翌日も翌々日も、同じ時間、少年は石を積んでいた。友だちがいないのだろうか。震える手で必死に石をつかむ姿は切なくて、遠目に憐憫の念を覚えた。

 だから、あの日のそれはちょっとした事故だった。河原沿い、向こうからやってきた大型犬にうちの柴犬タロウがビビり、突然、わーっと逃げ出したので、わたしはうっかり手綱を放してしまったのだ。

「あー、待ってー」

 情けなく叫んでも、止まってくれるはずはなかった。さらに、タロウはよりにもよって、例の少年の方へと猪突猛進。気づけば、積まれた石に体当たりをかましていた。

 少年は怒鳴った。

「バカッ」

 その声にタロウは固まった。

「ごめんなさい」

 わたしは慌てて手綱を拾い上げ、少年に頭を下げた。

「最悪だよ。お姉さんのせいで台無しじゃないか」

「ごめんね。せっかく高く積んでいたのにね」

「そうだよ。今日こそ上手くいきそうだったのに」

「本当にごめん」

「あーあ。これで、また、みんなのところへ行かれないよ」

 すると、少年はうずくまり、おろおろ涙を流し始めた。

 困ってしまった。なんとかしなきゃとわたしはバッグの中をあれこれ探り、隅っこの方に入っていたアメを取り出した。

「ねえ、これ、あげよっか」

「いらない」

 チョコレートも提示してみた。

「だから、いらないってば」

 なす術がなかった。顔の穴という穴から液体を分泌し、グジュグジュになった少年はあまりにも痛々しく、罪悪感で胸がいっぱいになった。

「ごめんね。あの石、そんなに大切なものだったんだね」

「当たり前だろ。積み終わらなきゃ、いつまで経ってもひとりぼっちなんだから。でも、僕は下手くそで、いくら練習しても全然うまくいかなくて。もう、どうしたらいいかわからないよ。こんなこと、早く、やめてしまいたい」

 その言葉にわたしは驚いた。

「ねえ、もしかして、君は石積みがしたいわけじゃないの」

「そりゃ、そうだよ」

「だったら、どうして、毎日ここで石を積んでいるの」

 少年は真っ赤な瞳でこちらをキッと睨みつけてきた。

「見てたんだね」

「ごめんね。この子の散歩で、いつも、そこを通っているの」

「どうせ、ぼくのことを笑っていたんだろ。お姉さんだって、石をちゃんと積めなかったくせに」

 それから、少年はそっぽを向いて、再び、一から石を積み始めた。

 できれば、なにか声をかけてあげたかったが、そのなにかをわたしは知らなかった。結果、おずおず、タロウを連れて退散せざるを得なかった。

 帰り道、心がモヤモヤ落ち着かなかった。なぜ、少年はわたしが石を積むのが苦手なことを知っているのか、気になって仕方なかった。

 幼い頃、わたしもよくあの河原で遊んだ。みんなでボールを追いかけたり、鬼ごっこをしたり、草や花で王冠を作ったり。ただ、なにがきっかけだったのか、石積み遊びが流行ってしまった。

 いびつな形の石を見事に組み合わせ、友だちは次から次へと堆く積んでいった。誰が言い出したのか、目標は自分の身長を越えること。男の子も、女の子も、一様に熱狂していた。

 そんな中、わたしは石を積むのが致命的に下手だった。三つか四つ、重ねただけで崩れてしまった。身長を越えるだなんて、遥か遠く、途方もないゴールに思えた。

 やがて、石を積むのが嫌になり、わたしは河原に行かなくなった。

 時間ができたので勉強をするようになった。学校の成績は見るみるうちによくなった。先生から受験を進められ、見事、難関私立中学に合格した。そこでも、やっぱり、みんなと同じことがわたしだけ上手にできなくて、逃げるように勉強をした。国立大学に合格した。そこでも、やっぱり、みんなと同じことが上手にできなくて、逃げるように勉強をした。上場企業に就職した。そこでも、やっぱり、みんなと同じことが上手にできなくて、逃げるように勉強をしたけれど、今回ばかりはなんの役にも立たなかった。

 気づけば、心も身体も壊れてしまった。仕事を辞め、実家に戻り、いまは子ども部屋で暮らしている。そして、小学生のときみたいに、夕方、犬の散歩を楽しんでいるのだ。

 あのとき、石を積めていた子たちはどこでなにをしているのだろう。学校を楽しめていた子たちはどこでなにをしているのだろう。仕事を楽しめていた人たちは……。

 ワンッ。ワンッ。

 タロウが吠えた。わたしが立ち尽くしていたせいで、進みたいのに手綱が突っ張り、首が痛いのかもしれない。可哀想とは思いつつ、でも、このまま帰るわけにはいかなくて、無理やり踵を返し、河原までタロウを引きずった。もう一度、あの少年としっかり話がしたかった。

 しかし、戻ってみれば、そこに少年の姿はなかった。真っ赤に燃える夕日をバックに、うずたかく積み上げられた石のタワーだけが悠然とそびえ立っていた。たぶん、少年の身長は超えていた。

 全身の力が抜け、タロウはここぞとばかり逃げ出した。追いかける気にはなれなかった。一人、残されたわたしは自然としゃがみ込んでいた。そして、その辺の石をいくつか適当に拾い集めた。

 やっぱり、三つか四つで崩れてしまった。おまけにわたしもすっかり大人。目標である身長だって、あの頃とは比べ物にならないほど高くなってしまった。積み終わるのはいつになるやら。

 こんなことなら、子どもの頃、逃げずにちゃんとやっておけばよかった。ただ、あいにく、いまは時間がある。みんなよりはだいぶ遅いけれど、そのうちなんとかなるだろう。なーに、人間、最後に辿り着くのは同じ場所。自分のペースで頑張ろう。

 ふと、視線を上げると、川の向こうに大量の人影が見えた。

(了)




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