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小説シリーズ

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2021年5月の記事一覧

ランドマーク(18)

ランドマーク(18)

 〈塔〉を含む一連の計画、プロジェクト・スクレイパーには、宇宙エレベータの実現に加えて、もうひとつの目的があった。それが火星の植民地化。人間の住める星にするということ。それはあまりにも、あまりにも途方のないゴールのように見えた。少なくとも、わたしの生きているあいだには絶対に実現なんてしない、そう思っていた。でも状況は変わった。エレベータの建設という大きなブレイクスルーが起こったのだ。特別な人間でな

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ランドマーク(19)

ランドマーク(19)

 だが残念なことに、外側にも壁は存在した。宇宙開発は軍事力の見本市となり、万国博覧会となる。冷戦時代に二つの超大国がこぞってロケットを建造しはじめたのと、ちょうどおなじ具合に。ただ一つ異なるのは、宇宙へ行く手段がみな同じであるということ。だからこそ、見本市の目玉は「宇宙へどうやって行くか」ではなく、「宇宙で何をするか」だった。
 そこでわたしに課せられてしまった使命、つまり国力を誇示するためにこの

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ランドマーク(20)

ランドマーク(20)

「具合はよさそうね」

 MRIから取り出されたわたしを待ち構えるようにして母が立っていた。わたしはどうやら眠っていたらしい。夢の記憶、記憶の夢。じゃあ今のも半分くらいフィクションかな。

「あと三十パーセントだよね」
「そう」
「手術は何回?」
「もう勝手が分かってきたところだし、二回かな」
「じゃあ、まだまだだね」
「そうかな」
「だってまた外に出られなくなるんでしょ」
「ちゃんと順応できてる

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ランドマーク(21)

ランドマーク(21)

 年齢と特殊な体質であることが考慮され、名前などの詳しい属性は明らかにしないよう、計画の実行委員会によって決定がなされた。そのトップにいたのがわたしの父だ。わたしを思いやってのことか、保身のためか、純粋な倫理観によるものか、真意は測りかねる。現にプロジェクト・スクレイパーが立ち上がってから父はほとんど家に帰ることはなく、母はわたしと父の伝言役を果たしていた。

 しかし人の口に戸は立てられぬと言う

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ランドマーク(22)

ランドマーク(22)

「お母さん」
「桃、切ってこようか」
「忙しいんでしょ」
「あなたのお母さんだから」
「いいの」
「もらい物なの」
「じゃあ」
「ひとつでいい?」
「ん」

 何度目かの試験が終わり、わたしはまた、無菌室のベッドへ横たわっていた。音も色もないこの部屋は、わたしの精神状態と似ている。〈塔〉という計画を、物語を書き綴るのがお父さんだとしたら、わたしはその主人公だ。主人公は作者の意図に沿って行動する。お

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ランドマーク(23)

ランドマーク(23)

 わたしは絵を描いている。幸いなことに今日も晴れだった。梅雨は年々短くなって、今年は半月もないらしい。わたしが生まれたころは一月も続いたなんて、信じられない。天気に背中を押されなくたって、わたしはうだつの上がらない日々を送っている。起きて、目玉焼きと米粉パンを焼いて、牛乳を二杯飲んで、自転車に乗る。学校に着いたら、屋上に向かって、絵を描く。先生が来そうになったらトイレに逃げて、頃合いを見計らってま

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ランドマーク(24)

ランドマーク(24)

 同期完了を示す緑色のライトが点いた。教科書の該当ページが自動で表示される。

 星めぐりの歌。県にゆかりのある作家について学ぶ教育事業の一環らしい。童謡に類する、星座を覚えるための歌だ。いまさら童謡なんて、稚拙じゃないか? 先生だってあくびしてるし。やっぱり。

「みんなで音読してみましょう」

「隣の席の人と二人組で、一行交代です」

 生徒たちは拒否する理由もないからか、座ったまま互いに向き

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ランドマーク(25)

ランドマーク(25)

「海良」

 放課後、いつものように屋上へ向かおうとすると、教室に小野里先生がやってきた。

「授業サボるなよ」

 自分の担当教科じゃないのに、なんでさっきはわたしを捕まえにきたんだ。

「すいません」
「ぼくがいやなわけじゃなくてさ、大丈夫なのか?」
「まあ」大丈夫じゃないことくらい分かっている。

「座って」小野里先生はそういうと、舘林の席に腰掛けた。二者面談でも始めるつもりか。

「何です

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ランドマーク(26)

ランドマーク(26)

 それから三時間後。わたしは屋上にいた。太陽はすっかり沈んで、夜風が頬に心地いい。暑くも寒くもない、半袖の似合う季節。気を抜くと、このままコンクリートの上で眠ってしまいそうだった。絵を描くには暗すぎるから、キャンバスは美術部の部室に置いたまま。塀の上に両手を組んで、その上に顎を載せた。この屋上には、フェンスの代わりに塀がある。わたしのからだがちょうど、肩まで隠れるくらいの高さだ。わたしは校庭へ目を

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ランドマーク(27)

ランドマーク(27)

「海良は星座、分かるか」
「概念のはなしですか」
「違う、どの星とどの星で、こういう星座ができますってやつだよ」
「形は見たことありますけど、写真で」
「そうだよな、わかんないよね」
「わからないわけではないです」

 そう言ってわたしは空を見上げる。雲はない。にもかかわらず、そこに星はなかった。うっすらと月明かりがわたしと先生を照らすばかり。

 〈塔〉が倒壊したとき、その頂点はすでに宇宙空間へ

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ランドマーク(28)

ランドマーク(28)

 先生は笑っている。月明かりだけでは、はっきりと表情を読み取れない。笑っている、と感じたのは、口調と、口元からのぞく歯を見つけたからだ。わたしも笑った。先生にはたぶん、分からない。二人が笑う理由は違う。わたしが笑うのは、ばかげているからだ。
 神様なんかいなくたって、バベルの塔が造られなくたって、この世界はとっくのとうにばらばらなんだから。

「夜、まだけっこう涼しいんですね」
「風があるしね」

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ランドマーク(29)

ランドマーク(29)

「なあ海良」
「はい」
「これからどうするんだ」
「卒業できるかってことですか」
「ううん、その先だよ。〈塔〉が好きで理系やってるって」
「まあ・・・・・・そうです」
「でももうさ、〈塔〉はない」
「はい」
「その気持ちって、どこかにぶつけられるのかな」
「・・・・・・絵とか」
「え?」
「え? じゃなくて、絵です。描くやつ」
「わかってるよ」
「わたしもわかってます」
「なんで絵なんだ」

 深

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ランドマーク(30)

ランドマーク(30)

 光を目指して泳いでいる。どこか深いところにいる。押しつぶされそうに感じる。こころのせいかと思ったけど、そうでもないらしい。骨がきしきしと痛む。なにか大きなものが、鉄格子を歪めている。そんな姿が浮かんだ。大きなものは、わたしの内側にある大切なものをうばっていく。光のもとへ向かっているのか、なにかから逃げているのか、よくわからなかった。それでも身体は動きをやめない。そうだ。わたしは、止まってはいけな

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ランドマーク(31)

ランドマーク(31)

 目覚めると、木目の天井があった。無菌室じゃない。音、エンジンの音? 揺れもある。船はまだ、海の上にいるらしい。目に入る新鮮な景色。色のついたテーブル、いす、本棚。部屋に窓はないけれど、この空間は外と繋がっている。雑音も、木漏れ日の香りのする掛け布団も、すべてが美しかった。水面に反射して揺らめく光みたいに、わたしのこころを浮つかせる。

 この試験は、わたしがヒトから逸脱しつつあることを確かめるた

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