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ランドマーク(31)

 目覚めると、木目の天井があった。無菌室じゃない。音、エンジンの音? 揺れもある。船はまだ、海の上にいるらしい。目に入る新鮮な景色。色のついたテーブル、いす、本棚。部屋に窓はないけれど、この空間は外と繋がっている。雑音も、木漏れ日の香りのする掛け布団も、すべてが美しかった。水面に反射して揺らめく光みたいに、わたしのこころを浮つかせる。

 この試験は、わたしがヒトから逸脱しつつあることを確かめるためのもの。水中、それも自然環境下において、どれだけ呼吸を必要とせずにいられるか。二百メートルよりも深い場所での水圧に耐えられるか。そして、極限状態におかれたわたしの感情がどのように変化するか。極端に興奮してはいけないし、反対に落ち込んでしまってもいけない。ミッションに影響がおよぶからだ。わたしの感情はつねにモニタリングされている。正確に言えば、感情として発露する前の電気信号を。

「外、出たいな」そう口から漏れた。

 ベッドから這い出し、部屋の扉を開けた。誰もいない。この船を動かしたのはわたしのためだってのに、適当すぎやしないか。狭い廊下を抜け、デッキに出る。

 夏だった。

 入道雲が遠くに見える。まぶしすぎるくらいの太陽が心地よかった。このまま日焼けして、母を驚かせてやりたいくらいだ。

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