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ランドマーク(26)

 それから三時間後。わたしは屋上にいた。太陽はすっかり沈んで、夜風が頬に心地いい。暑くも寒くもない、半袖の似合う季節。気を抜くと、このままコンクリートの上で眠ってしまいそうだった。絵を描くには暗すぎるから、キャンバスは美術部の部室に置いたまま。塀の上に両手を組んで、その上に顎を載せた。この屋上には、フェンスの代わりに塀がある。わたしのからだがちょうど、肩まで隠れるくらいの高さだ。わたしは校庭へ目をやった。人影はない。野球部員でさえ、すでに下校し終えている。あとは誰がここにいるんだろう。誰もいなければいいのにな。こんなハコは空っぽがお似合い。

「やあやあ」

  まだいた。知ってたけど。なぜならわたしを呼んだのが先生だから。

「ハンド部、こんな時間までやるんですね」
「練習自体は一時間前に終わったんだけど、そのあとがね」

 どうして先生の提案に乗ったのか、自分でもよくわからない。わからないことばかりだ。わたしの知らないわたしがたくさんいる。体液、飲み水、夜の気配。いろんなものに、わたしはちょっとずつ溶け込んでいる。溶解度よりもはるかに少なくて、だからほとんど誰も気付かない。でももし、わたしよりも先に、誰かが溶け込んだわたしへ気付いたとしたら。自分自身が、自分の手の届かないところへと行ってしまうのが許せなかった。逃げられないように、首輪を付けておく必要がある。

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