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ランドマーク(28)

 先生は笑っている。月明かりだけでは、はっきりと表情を読み取れない。笑っている、と感じたのは、口調と、口元からのぞく歯を見つけたからだ。わたしも笑った。先生にはたぶん、分からない。二人が笑う理由は違う。わたしが笑うのは、ばかげているからだ。
 神様なんかいなくたって、バベルの塔が造られなくたって、この世界はとっくのとうにばらばらなんだから。

「夜、まだけっこう涼しいんですね」
「風があるしね」
「風で変わりますよね、体感温度」

 そう言いながら、わたしはARグラスをかける。アプリケーションは星座。二年くらい前にリリースされたものだ。あっという間に、レンズの一面が星々で埋め尽くされた。これはにせものの星。レプリカの星空。わたしが視点を動かすと、それに合わせて星も変化する。明るく光った星に目を合わせて、三度、まばたきをした。名称が表示される。〈アンタレス〉となりの星へと白線が伸びる。すべての線を引き終えると、夜空にシルエットが浮かび上がった。さそりだ。あかいめだまの、さそり。あんなに、明るかった。少しも覚えてない。夜を恐れていた小さなわたしを、恨めしいと思った。

 グラスを外すと星たちはかき消えていた。デブリの向こうには変わらずに、星の瞬きがまだあるだろうか。すべては嘘で、星々はみんな、あの日を境に姿を消してしまったのではないか。

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