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「小さな赤い瓶タバスコ初遭遇」昭和喫茶

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ183枚目

<「タバスコ」 © 2023 画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載>


今ではファミレスにでも入れば普通に出てくるタバスコだが、日本での歴史は食文化という点から見ると実はまだ浅い。戦後のことなのだ。

僕が初めてタバスコに出会ったのは、旅先の東京/池袋。

喫茶店に入り、ナポリタンを頼んだら一緒にテーブルに置かれたのがタバスコだった。

『さて これは何なのだろう・・・???』
と17歳の僕は首を捻った。

僕はその小さな赤い瓶を見たことが無かった。 
僕の生まれた岐阜市の喫茶店では当時ナポリタンやミートソースにその赤い瓶が添えられることはなかった。田舎ではまだタバスコはポピュラーな調味料ではなかったのだ。中心部の繁華街である柳ヶ瀬の街でもまだピザの店はない時代だ。

結果は、おっ察しの通り。
『まぁ、兎に角ソースの類いなんだろう』
と思い、その悪魔のように辛い液体を(まず普通はかけない程に)振りかけ、撃沈した。

 (o^^o)💦

あれから幾星霜が流れた。

人生にはもっと大切なことが沢山あると思うのだが、このことを思い出す度に人間というものは実に詰まらないことを事を覚えているものだ、と我ながら感心する。(笑)


*ちなみにタバスコがメキシコから日本に入ってきたのは戦後の事。
その後、日本で唯一のタバスコの販売権を獲得し、広く日本に定着させたのは故アントニオ猪木(貿易会社アントン・トレーディング代表)。

<©2023もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2023 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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