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【今日のnote】巨大な台風、魔術的な雨音、毎日文章を書き続けることの意味。


 こんばんは、狭井悠です。

 毎日更新のコラム77日目。

 ゾロ目です。なんか縁起がいい数字ですね。


 しかしながら、今夜は関西地方に巨大な台風が近づいています。

 この文章を書いている間も、ずっと、轟々とした風雨の音が響いていて、低気圧で身体がふわふわとして具合が悪く、なんとも落ち着かない夜です。


 久しぶりに、何を書こうかと考えても、何も浮かびません。

 激しい雨の音と、風の音が、たえず意識の中に入り込んできて、心の中まで水浸しになったような感じがします。インスピレーションが荒ぶる風と水にすべてシャットアウトされてしまう。

 いやあ、今日はダメですね。だから、こうやって、意識の波間を溺れないように泳ぎながら、かろうじて息継ぎをするようにタイピングを続け、ぐずぐずに濡れた身体から、文章を絞り出しています。


 そして、今夜の台風の音はなんだか怖い。

 悪意を持っているかのようにさえ思える轟音。

 なんだか、魔術的で暴力的な、恐怖を覚えるような雨音なんですよねえ。

 あまり、過去に聞いたことのないような音です。


 想うんですけれど、最近の地球って、僕らが生まれ落ちた頃の地球とは、もう別人みたいじゃないですか? 夏からも優しさが遠のいて、どこか荒々しくなってしまったような気がします。

 いやだな、この台風。早く、遠くに消えて欲しい。


 ちなみに、僕はけっこう、「自然の流れ」と「書くこと」の相関関係みたいなものを信じていて、同じようなことを書こうと思っていた日でも、その日が、激しい豪雨の日なのか、穏やかな曇りの日なのか、カラッと晴れた晴天の日なのかで、書く内容も全然変わってしまうと思っています。

 今日までに、いくつか書きたいテーマを事前に溜めていたのですが、どのテーマも「今日じゃないな」という感じで、どうにも筆が乗らないんです。


 こんなふうに言うとちょっと大げさかもしれませんが、僕の中で、書くことのリズムに乗ることは、自然の中に流れるリズムに乗ることに似ているんですね。

 それは、まだ音のついてない音楽のようなものです。それらのリズムを拾い上げて、感じ取り、身体になじませ、そのまま文章を書くモチベーションにしていくようなイメージ。

 だから、天気とか自然環境の影響を、割ともろに受けてしまうところがあります。テーマが決まっていたとしても、リズムに乗らなければ、絶対に書けません。

 ある文章を書くためには、それにふさわしい譜割りのリズムが流れる一日がやってくるはずなんです。

 僕はそれを待つタイプなんですね。


 ——とかなんとか、それっぽく言っていますが。

 結局は気持ちが乗り切らないことを、なんとか即席で、理由付けしようとしているだけなのかもしれませんねえ。

 なんか、理屈っぽくてきもいですね。(笑)

 よく言えば繊細な感じにも思えますが、要するに僕は、けっこう気難しくて、神経症的な性格の物書きなんです。

 こういうところは、徹底的にタフになりきれません。

 まあ、性分だから仕方がないよね。(直す気がない)


 今日はもはや、風雨が暴力的になってきた夕暮れあたりから、仕事の文章さえも全く手につかなくなってしまったので、執筆スケジュールを調整して、週末の稼働を増やして、帳尻を合わせる予定です。

 今夜はもう無理だ。文章を書くべき日じゃない。

 でも、それでも、「この毎日更新のnoteだけは、なんとしても書き切ってから寝なければ」と思っているのですから、不思議なものですね。


 毎度、ここに書いているとおり、noteの毎日更新は、自分自身との約束であり、気力と体力を超えたところでの勝負なんです。

 筋トレ。そう、これは僕が自分に課しているトレーニングなんですね。

 筋トレって、「もう限界」「これ以上は持ち上がらない」ってところまでレップ数を重ねたときの、「でも、あと1回」がすごく大切だったりするじゃないですか?

 この毎日更新のnoteには、その「でも、あと1回」をやり切るような要素が、どこかにある気がするんですよね。きつくても、どんな日でも、必ず毎日書くというのは、そういう効能がある気がします。


 そして、これは、ある意味では儀式的な行為なんです。

 毎日、自分の心の中の深淵みたいなところを、きちんと覗き込んでから一日を終える、という習慣的な儀式です。

 来る日も来る日も仕事を続けて、忙しく過ごしていると、自分の心の中を覗き込む方法というのを忘れてしまうときがあります。

 そうなると、僕の場合、どんどん感性が衰えて、「なにか新しいことをやろう」とか「あれに挑戦してみよう」とか、「これがほしい」とか、そういうことを想う気力のようなものが、一気になくなっていってしまうんですね。

 まるでマシーンのように、ただただ働き続ける、機械製の透明人間みたいになってしまう。


 僕はもう、正直に言って、そういう生き方は二度と御免なんですよ。

 これまで、僕はいくつかのベンチャー企業で働いてきましたが、ほとんどの職場で、これ以上はできない、もう立てないというくらい、過度な労働を続けてきました。

 そして、その度に、心の中にある大事な何かを失くしながら、三十四歳になるまで、なんとか生き延びてきました。

 僕はもう、既にずいぶんと多くのものを失くしてきたと思っています。

 だから、これ以上、心を失いたくはないんです。

 僕は僕であり、僕はここにいる。

 その実感を得るためにも、心の奥の深淵をしっかりと覗き込む時間を、どれだけ忙しくても、とらなければいけないんですね。

 これは、自分のための義務だと思っています。


 なんだか、すごくとりとめのない雑記になってしまったんですが、それなりに今日も、心の中の深淵を覗き込むことができたような気がします。

 僕の禅問答のような独り言に、今日も最後まで付き合っていただいて、ありがとうございました。


 ちなみに、これは超余談なんですが。

 先ほど、どうしようもなく書くことが思い浮かばなかったときに、youtubeを観ていて、久しぶりに、大好きだった稲葉浩志さんのソロの楽曲を何曲か聴いたんですが、やっぱり良いですねえ。

 小学生〜中学生くらいの頃から聴いていたので、まだ世間の汚れを知らず、純粋だった頃の少年の記憶に触れられたような気がして、今日の文章を最後まで書くリズムみたいなものを、きちんと与えてもらえました。


 稲葉浩志さんのソロって、B'zの元気良さとは正反対で、めちゃくちゃ暗い曲が多いんですが、僕はそれこそ、子供の頃からずっと好きです。

 すごく悲しげで、寂しげで、儚い運命を背負っているように思える歌詞の中の主人公。でも一方で、彼の言葉からは、誰かを愛し、迷いながらも、孤独に生き抜く意志のようなものを感じ取ることができます。

 稲葉浩志さんには、文章を書く上での言葉選びの大切さを、けっこう教わっているかもしれません。圧倒的な歌唱力ばかりに評価が集中しがちですが、日本語の言葉選びも、実はすごく素敵な方なんですよね。

言ってしまおう あなたが欲しい
いつだって何もできないまんまで
どうしようもなく見送ってきた きっと大切なもの
だから言ってしまおう あなたが欲しい
どんな鳥よりも愛おしくはばたく
この場所から今飛び立って 僕だけがあげましょう
泣けるようなTouch
すがりたい人も待つ人も全部なくしてしまいたい
本当にひとりきりになってさまよってみたい
そんな勇気のない 自分を笑ってまた嫌になるよ
寄せてはかえす波のように いつでもゆらゆら揺れている
安らぎも不安も消えることはない
他人を見つめてみんな生きているから
僕がおぼれているのは よけいなものの海なんだろうか
まばたきほどの時に沈む 人を幸せにできる鍵があるという
歩こう肩をよせて どんより滲む空の下 二人
呼んでくれ 好きな呼び名で
たわいのないこと それでいい しゃべろう
遠くまで 僕らはゆける
強い雨も 凍る風も受けながら
目を覚ませば すべてがまぶしい
花の色も 街の声も 涙の理由さえも
悲しむことでも 喜ぶことでも
強くなってゆけるよ ひとつずつ 少しずつ


 今日もなんとか、無事に文章を書くことができて良かったです。

 このまま何事もなく、台風が通り過ぎてくれますように。

 あしたもまた、この場所でお会いしましょう!

 それでは。ぽんぽんぽん。おやすみなさい(早く寝てしまおう)。


サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。