マガジンのカバー画像

兼藤伊太郎

1,010
「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
運営しているクリエイター

2020年6月の記事一覧

その眼差しが

その眼差しが

 わたしの生家は写真館だった。地方の小さな町の小さな写真館だ。
 出征前までは父はそこで漁師をしていた。戦争が終わり、復員してみると、なにもかもが変わってしまっていたという。何よりも大きかったのが、父の唯一の財産であったとさえ言える漁船が軍に徴収され、しかも敗戦のゴタゴタで返還されることも、補償がされることもなかった。父は途方に暮れたそうだ。そんな父を助けたのは、生来の手先の器用さだった。漁師だっ

もっとみる
幸福な結末

幸福な結末

 彼女の母親はこう考えていた。この世の中は悲しいことばかりだ。人々は虐げられ、無意味な競争に駆り立てられ、疲れ切り、傷付き、あるいは殺される。そうした無慈悲で非情な世界で、自分の娘には強く逞しく生き抜いていってほしいと願ったから、彼女の母親が娘にしてやるお話はどれもこれも悲しい結末を迎えるものばかりだった。こうしておけば、無闇に期待を持って失望を味わうこともないだろうということだ。受け身の準備をし

もっとみる
月を拾う

月を拾う

 夜道をひとりで歩いていると、月を拾った。月の出ていない、暗い夜だった。それもそのはずだ。本来大地を照らしていてしかるべき月は、わたしに拾われ、その手のなかにあるのだ。それは夜空に浮かぶときと変わらず、さやさやと静かに輝いている。月の手触りはざらついて、仄かに温かった。
 わたしは辺りを見渡した。わたしが月を拾ったのを目撃していた人がいないかどうか確認したのだ。誰もいない。人っ子ひとりいない。野良

もっとみる
不老不死

不老不死

 わたしが時間旅行を繰り返し続けたのには理由があった。なにも好奇心を満たすためだけに様々な時代を訪れたわけではない。わたしは探し求めていた。不老不死の技術を。
 時間旅行の技術が確立された時代においても、不老不死はまだ夢のまた夢だった。人々は死すべき定めに従う以外になかったのだ。
 わたしはそれを恐れていた。死。それを恐れるのは全人類に共通なのではあるまいか。数千年前から、権力者たちはその栄華を永

もっとみる
完全犯罪

完全犯罪

 人を殺した。理由は月並みで、恨みがあったからだ。世間的には逆恨みと捉えられるかもしれない。ぼくは奴に金を借りた。そして、その返済を強く迫られた。ぼくが金を借りなければならない状況に追い込まれたのはひとえに奴のせいだったにも関わらず。奴はぼくを責めた。金を返さない恩知らずだと罵られた。誰かに相談することもできなかった。悪いのはぼくにされてしまっていたのだから。追い込まれたぼくにできるのは、奴をこの

もっとみる
彼はいい子

彼はいい子

 放課後、ぼくが家の前を掃除していると担任の先生が通りがかった。
「お、掃除をしているのか。偉いじゃないか」
 ぼくは先生がなぜぼくのことを誉めたのかわからなかった。掃除をしていたのは、掃除がしたかったからだ。ぼくにとってそれは、ほかの子たちが外でおいかけっこをするのや、ボールを蹴っ飛ばすのや、ビデオゲームをするのと変わらない。彼らがそれらをやりたかったからやるように、ぼくは掃除がしたかったから掃

もっとみる
虎と兎

虎と兎

 草原のど真ん中に無防備にたたずむ兎を見つけた虎は足音を忍ばせ近づいた。兎は虎が徐々に間合いを詰めていることにまるで気づかない様子で、耳を澄まして辺りを見渡すようなこともしない。兎との距離が充分に縮まると、虎は大きな口を開けて兎に飛び掛かった。そして、その牙がまさに兎に突き立てられようとした瞬間、兎が何か言ったので、虎は驚いて噛み付くのをやめてしまった。
「なんと言った?」と虎は兎に尋ねた。
「虚

もっとみる
Bon Voyage!

Bon Voyage!

 桟橋が濡れて黒々としていたけれど、潮は引いていたし、波も穏やかだったので、それは波で濡れたわけではなくて、小雨が降っていたからだ。傘を差すかどうか迷うぐらいの雨。差さないでいると、服は次第に濡れて重くなるけれど、差すのも少し面倒に思うくらいの雨。なんで桟橋のことから話し始めるかと言うと、それは別にわたしが桟橋が好きだからではなくて、彼の顔を見ていられなかったから下を向いていたので自然と桟橋が目に

もっとみる
熊のぬいぐるみ

熊のぬいぐるみ

「なあ」と彼は言った。なんだかその声がとても大人びて聞こえたのを覚えている。「熊なのに、人形なんておかしいと思わない?」
「は?」とぼくはその時答えた。彼が何を言っているのか上手く理解できなかったのだ。
「だって、人形は人の形なんだぜ。熊なのに人形はおかしいじゃん」
「じゃあ、『熊形』?」
 ぼくも彼もクスリとも笑わなかった。全然そんな気分じゃなかったからだ。それはぼくと彼にとって初めての

もっとみる
最初の秘密

最初の秘密

 昔々、世界には死が無かった。誰も死を知らなかったからだ。それまではひとりの人間も死んだことがなく、当然誰かが死んだところを見たことのある者もなく、どうやったら死ぬのかを知っている者もいなかった。誰も死に方を知らなかったから、誰も死ななかった。だから、人々は生き続けた。死に方を知らないのだから、生きるしかない。病も、不慮の事故も人々を殺せなかった。時間すら人々を殺すことはできなかった。
 ある日

もっとみる
祖母の手

祖母の手

 祖母の枯れ枝のようにざらつく手がイヤだったけど、はぐれるのはもっと嫌だったから、わたしはそれをぎゅっと握っていた。わたしの手は汗ばんでいたけど、祖母の手は乾いていた。 夏の日差しがまぶしかった。
 祖母は、自分は苦労の多い人生を送ってきた、とわたしによく語った。幸せなことなど皆無に等しいとすら言った。祖母はよく自分の都合のいいように話をする人だったけど、苦労が多かったというのに嘘はなかったように

もっとみる
ファストフードラブ

ファストフードラブ

 少年は早朝の町を足音を忍ばせてゆく。少年の生まれ育った町はさびれた漁師町だ。両脇に軒を並べる商店はことごとくシャッターを下ろし、眠りについている。
 町の朝は早い。漁港へ向かう人々とすれ違うたび、少年は何か咎め立てされるのではないかと一瞬身を強ばらせた。誰もがたいていは顔見知りで、すれ違う中には少年が知っている顔がいくつもあったし、級友の父や母と朝の挨拶を交わすこともあった。少年はできるだけ不

もっとみる
それはどこまでもどこまでもつづくでしょう

それはどこまでもどこまでもつづくでしょう

「いくつまで数えたことがありますか?」と、ぼくに尋ねたのは仕事の関係で知り合った女性だった。すらっと背が高くて、鼻筋の通った理知的な人だ。いつも颯爽とあらわれ、颯爽と去って行く、そんな印象の人。見るからに仕事が出来そうで、実際非常に優秀な人だった。
  それは、何度目かの打ち合わせとき、普段なら一切無駄のない、それこそ芸術作品のように完璧な打ち合わせをする彼女だったのだけれど、その瞬間、ぽっかりと

もっとみる
鞭打たれるものたち

鞭打たれるものたち

 彼の以前の所有者は一風変わった人間だったので、彼に読み書きを教えていたのだが、それは幸福なことであったのだろうか、不幸なことであっただろうか。その読み書きの能力は、彼の即席の仲間たちは持たなかったものであるのだが、なまじ文字が読めるものだから、その手配書を見た時に彼は真っ青になった。
「なんて書いてあるんだ?」と彼のうしろで彼の仲間は言った。黒い額には大粒の汗が玉になって浮かんでいる。
「俺

もっとみる