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彼はいい子

 放課後、ぼくが家の前を掃除していると担任の先生が通りがかった。
「お、掃除をしているのか。偉いじゃないか」
 ぼくは先生がなぜぼくのことを誉めたのかわからなかった。掃除をしていたのは、掃除がしたかったからだ。ぼくにとってそれは、ほかの子たちが外でおいかけっこをするのや、ボールを蹴っ飛ばすのや、ビデオゲームをするのと変わらない。彼らがそれらをやりたかったからやるように、ぼくは掃除がしたかったから掃除をしていたのだ。ぼくは先生に誉められてはじめてそれが大人たちが望むことであることに気付いた。ぼくはぼくでまだ反抗的な子供だから、本当は大人たちの望むことなんか糞くらえなのだ。だから、誉められたぼくはとても恥ずかしくなってしまった。しかし、その場でのことなどほんの序の口に過ぎなかったのだ。
 翌日のホームルーム、なんと先生はぼくが掃除をしていたことをみんなの前で話したのだ。
「みんなも見習うんだぞ」
 ぼくは顔が熱くなっていくのを感じながら俯いていた。これまでの短いながら充実した人生の中で最も赤面していたことだろう。なんだかマスターベーションをしていたのを目撃されて、それをみんなにばらされたみたいな気分だった。実際それはマスターベーションに近いのだ。ぼくは掃除を自己満足のためにやっていたのであり、誰かを、とりわけ先生を喜ばすためにやっていたわけではない。
 あの時の教室の空気は終生忘れることはないだろう。白けきった感じ。ぼくが大人に対して尻尾を振っていると思われていることがありありと見て取れた。たぶん、ぼくを理解してくれと言っても無理な相談なのだろう。彼らは子供で、もちろんぼくだって子供だけれど、それよりも子供で、自分の気に入らないものを理解するような寛大さを持っていないのだ。
 こんな事態にならないようにするのは簡単だ。もう掃除なんてしなければいい。そうすれば誉められることだってない。とはいえ、掃除はぼくの快楽中枢を刺激する行為なのだ。ある意味では、ぼくは掃除中毒といっても過言ではないかもしれない。掃除を絶つにはカウンセリングを受けて、同じ悩みを持つ匿名の仲間たちとその辛さを共有して頑張るしかないのかもしれない。とてもではないがぼくにそんなことはできないのだ。掃除をしないようにするなんて。
 そこでぼくは人目を忍んで掃除をするようになった。人の気配がしたら箒を背中に隠し、何をするわけでもなくぶらぶらしているふりをした。そうしていることで、ぼくにとって掃除がさらに魅力的な行為になった気がした。人目を忍ぶことの甘美さ。なんだかとても悪いことをしているみたいな気分だった。
 ところが、また担任の先生に見付かってしまったのだ。
「お、また掃除をしているのか。偉いじゃないか」
 ぼくは俯いてそそくさとその場を後にした。
 翌日、先生はまたホームルームでぼくのことを話した。
「人の見ていないところでもいいことをすることは中々できることじゃない。みんなも見習いなさい」
 穴があったら入りたいとはまさにそのことだ。
 ぼくが望むのは、誰にも何も言われずに、気の済むまで掃除をすることだ。世界中から誰もいなくなって、そこで掃除ができたなら、どんなに気持ちのいいことだろう。



No.213


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