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完全犯罪

 人を殺した。理由は月並みで、恨みがあったからだ。世間的には逆恨みと捉えられるかもしれない。ぼくは奴に金を借りた。そして、その返済を強く迫られた。ぼくが金を借りなければならない状況に追い込まれたのはひとえに奴のせいだったにも関わらず。奴はぼくを責めた。金を返さない恩知らずだと罵られた。誰かに相談することもできなかった。悪いのはぼくにされてしまっていたのだから。追い込まれたぼくにできるのは、奴をこの世から消し去ることのみだった。
 念入りな計画が功を奏し、奴の命は断たれた。これは宿命である。最期の瞬間まで苦しめてやった。ぼくの心は晴々した。奴の断末魔の声はぼくの耳にいつまでも残るだろう。心地よい響きとして。しかも、ぼくの完璧な計画通りことが進んだので、これは誰にも露見のするおそれの無い、完全犯罪となったのだ。犯人は不明のまま、迷宮入りすることになるだろう。
 実際、報道を見る限り、捜査は暗礁に乗り上げていた。犯行に使われた凶器は見付からないし、なにしろ奴の転がっていた部屋は密室だ。それは不可能な犯罪なのだ。そして、捜査を行き詰まらせる大きな要因の一つは、奴に恨みを持つ人間があまりにも多いことだという事実を、ぼくはその報道を通じて知ったのだった。怨恨であれば、その関係者を調べれば事足りるはずが、奴は恨みを買いすぎていたために、それを絞ることができないのだ。次から次へと候補者が現れた。しかし、どの容疑者にもちゃんとしたアリバイがあるのだ。
 そうして、この事件に関する報道は過熱し始めた。誰が犯人なのかに注目が集まるのは言うまでもなく、奴の素行、そこまでも恨みを買う奴の素行にも人々は関心を持つようになった。そして、熱心な記者たちは奴の悪行を暴き始めたのだ。出てくる出てくる。悪行三昧とはまさにこのことだ。次第に世間は奴は殺されて当然だったのだという意見に傾き始めた。奴に恨みを持つ人間たちは当然のことながら、道徳的な人々も徐々にそれに同調しだした。奴を殺した犯人は確かに犯罪者かもしれないが、悪を倒した英雄なのだという見解すら現れだした。
 ぼくは悪い気がしなかった。自分の行いが正しいと認められたのだから当たり前だ。あれは正義だったのだ。ぼくは胸を張っていいのだ。ぼくは思った。しかしながら、そうして、ぼくはひとりで悦に入っていただけなのだ。あれはぼくがやったのだ、とは口が裂けても言えないと思っていた。世間が認めようと、殺人は殺人であり、それは裁かれるべきものであるのだと、ぼくはちゃんと理解していたからだ。ぼくは裁かれたくなかった。だから黙っていたのだ。それでも十分ぼくは満足だった。
 ところが、だ。なんと奴を殺したのは自分だと自首をする人間が現れたのだ。しかも、それはひとりではなく、二人三人と続けて現れた。その誰もが、これは単独犯であり、自分ひとりですべてをやったのだと主張した。そしてまた、誰もがこう言った。
「奴を殺すのは正義かもしれないが、裁かれるべきであることもまた確かだ。わたしは社会のために奴を抹殺した。社会がわたしを裁く法を持つのならば、わたしは甘んじてその裁きを受けよう」
 なんとも格好いい台詞である。こそこそして、ひとりで悦に入っているような小人物には言えない台詞だ。だが、どんなに大層な台詞を吐こうが、それは真っ赤な嘘なのだ。ぼくはそれを知っている。なぜなら、ぼくこそが真犯人なのだから。奴を殺したのはぼくなのだ。自首をした連中は、ぼくの手柄を横取りしようとしているのだ。ぼくは頭に来た。そして、意を決したのだ。
 ぼくは交番に行くと、自分こそが真犯人であると名乗り出た。警官はため息をついた。
「そういう人が最近多くて困ってるんだよ。冗談ならやめてくれよ」
 ぼくは必死で自分が奴を殺したということを説明した。警官は面倒そうに本部に連絡し、ぼくをそちらへ送った。
 そこでも対応に大きな変化は無かった。気の無い取り調べを受けた。ぼくは自分がどう犯行を行ったのかを事細かに、熱心に語った。計画のすべてを明らかにしたのだ。すると、取り調べ官はニヤリと笑った。
「なるほど、そういう犯行だったのか」
「これでぼくがあの事件の真犯人だとわかってもらえましたか」
「ああ」と取り調べ官は頷いた。「君を逮捕する」
「ええ」
「君は我々の罠にまんまとかかってくれた。はっきりいって、我々はお手上げだったんだ。あのまま行けば、事件は迷宮入りだっただろう。そこで一計を案じた。すべては我々の計画だったのだ。世間が事件の真犯人を英雄視していたのも、真犯人と名乗る人間が次々と現れるのも。一か八かだったが、まさかまんまと引っ掛かるとはね」そして取り調べ官は笑った。「いいかね、人殺しが英雄になるだなんてことは断じて許されないのだ」



No.215


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