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祖母の手

 祖母の枯れ枝のようにざらつく手がイヤだったけど、はぐれるのはもっと嫌だったから、わたしはそれをぎゅっと握っていた。わたしの手は汗ばんでいたけど、祖母の手は乾いていた。 夏の日差しがまぶしかった。
 祖母は、自分は苦労の多い人生を送ってきた、とわたしによく語った。幸せなことなど皆無に等しいとすら言った。祖母はよく自分の都合のいいように話をする人だったけど、苦労が多かったというのに嘘はなかったように思う。それを何よりも雄弁に語っていたのは、祖母の言葉ではなく、その手だ。それは苦労をした人間の手だった。節くれだっていて、皮はざらざらと厚い。そして、その手にわたしは育てられた。だから、その手に触れるのがイヤだなんて感じるわたしは、かなりの恩知らずなのだろう。
 祖母の手がイヤだったのは、記憶のどこかに母の手が残っていたからだと思う。わたしは母の柔らかい手が好きだった。好きだったのだと思う。母の印象は、その柔らかい手しか残っていない。母はまだわたしの小さい頃に家を出て行った。そうして、わたしは祖母に育てられることになったのだ。
 祖母はおおむね優しかった。躾は厳しかったかもしれないけど、それも今となってはわたしにとっての大切な財産だと思う。わたしがきちんと礼儀正しい振舞ができているとしたら、それは祖母のおかげだ。だから、わたしはおおむね祖母に感謝している。しかしながら、祖母は時折わたしを忌々しいものでも見るかのような視線で見た。それは、わたしを通して、出て行った母を見ていたからなのだろうが、その頃のわたしにはそんなことはわからなかったので、本当は、祖母はわたしを憎んでいるのではないかと勘繰ったことが何度かある。
「あの子は」と祖母はよく母の話をした。「甘やかして育ててしまったものだから、我慢というものを知らないんだ」
「父親に似たのかもしれないね」とも。わたしの祖父にあたる人も、祖母を捨てて出て行っていた。考えようにもよるけど、祖母もわたしも、誰かに捨てられた人間なのかもしれない。
 わたしが学校に上がって初めての夏休み、わたしは祖母に連れられて遠出した。わたしは、そんな風に、バスに乗り、電車を乗り継いだことなんてそれまでなかったから、少し浮かれていたけど、祖母の様子が普段とは違ったので、それは自分の内に留めておいた。
 最後に降りた駅で買ってもらったアイスキャンディーがとても美味しかったのを覚えている。
 それがどこだったのか、わたしは覚えていない。わたしは祖母についていっただけで、どこで乗換をしたのかだって曖昧だ。夏の午後で、陽炎で道路が揺れていた。蝉がひっきりなしに鳴いていた。波の音が聞こえた。
 駅から少し歩いたところにある民宿で、祖母は足を止めた。そこの玄関口にわたしを待たせておいて、祖母は奥へ行った。しばらくすると、祖母が誰かと言い争うのが聞こえてきた。相手は若い女のようだった。わたしは奥を見た。女中が見えた。あれは母だったのかもしれない。
 戻って来た祖母の目は赤かった。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。
 帰る頃には、辺りはもう暗くなっていた。帰りの電車で、祖母は一言も口を利かなかった。わたしは祖母の枯れ枝のような手に、ずっと触れていた。




No.208



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